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畜牛農業はなくなるべきなのか

みなさん、こんにちは。牛ラボマガジンです。牛ラボマガジンでは「牛」を中心としながらも、食や社会、それに環境など、様々な領域を横断して、たくさんのことを考えていきたいと思っています。

今回の牛ラボマガジンのテーマは「畜牛農業はなくなるべきなのか」です。預託事業(牛を育てる事業)を手がけるウシノヒロバが何を言っているんだと思うかもしれません。ですが、畜牛農業が地球環境に与える影響が大きいことは周知の事実です。

たとえば、ノーム・チョムスキーとロバート・ポーリンは、書籍『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』のなかで、きわめて現実的に気候危機に対して提言をしています。そのなかでも、畜牛農業に対する厳しい指摘があります。

私たちは牛を育て、その事業によってお金を稼いでいます。畜牛文化がなくなっては困ります。しかし、畜牛が環境に影響を与えているという事実から目をそらすわけにはいきません。自分たちの稼ぎのために環境問題から目をそらすことは、もっとも無責任な行為だからです。当事者としてどうあるべきか、悩みながらも考えてみたいと思います。

『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』ノーム・チョムスキー、ロバート・ポーリン

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畜牛農業が環境に与える問題

まずひとつめに、畜牛農業の問題は、ほかの農業よりも「多くの土地を使う」という点にあります。牛の放牧のための土地は、それ以外に使うことができません。それはつまり、土地の利用効率が悪いということです。また、牛の放牧場のために森林が破壊される例も多々あります。

ふたつめは、牛のゲップから排出されるメタンによる「温暖化」です。牛は食べ物を消化する際にメタンと呼ばれる温室効果ガスを放出します。牛のメタン排出量は年間でおよそ20億トンといわれ、温室効果ガス全体の約4%を占めています。これはとても大きな数字です。

このように牛の存在は、土地資源を圧迫し、ときには森林破壊を促進させ、また、メタンによって直接的に温暖化に影響を与えているのです。

ですが、牛によって産出される牛乳や牛肉は私たちの生活にとって欠かせない食事です。私たちにはやはり牛が必要です。と言いたいところですが、そうでもありません。
最近は、アーモンドミルクや、じゃがいもミルク(参考記事:植物性ミルクの種類に「じゃがいもミルク」加わる。スウェーデンの大学が開発)など、牛乳に変わるミルクがたくさん研究され、開発されています。

また、牛肉に関しても大豆ミートや培養肉などの代替品がどんどん登場しています。まだまだ栄養素についてなどの課題がありますが、解決に向けて多くの研究者たちが動いているので、いずれ解決するかもしれません。

そうなると、畜牛農業は不要になります。動物愛護の観点からも、土地資源の観点からも、温暖化の観点からも、食事の観点からも、とにかく畜牛は不要になります。

ですが、おとなしく廃業するわけにはいきません。なぜなら、そこには事業者の失業の問題が発生するからです。

気候危機による失業の例

環境問題について考えるとき、畜牛農業以外にもたくさんの問題があります。代表的なのは「プラスチック問題」です。

プラスチックは石油から作られていますが、その石油資源は枯渇寸前です。かつ、プラスチックはほぼ土に還らないため、海洋汚染や土壌汚染につながる可能性があります。日本でも少し前にビニール袋が有料化されたので、多くの人が身近に感じる問題かと思います。

プラスチックの問題は、環境にとって大変大きな問題です。いずれプラスチックはなくなった方がいいのかもしれません。ですが、プラスチックがなくなって困る人たちがいます。それは、それを事業としている事業者です。

たとえば、日本でビニール袋が有料化された影響で、老舗のレジ袋大手は大打撃を受け(参考記事:レジ袋大手、苦境 有料化打撃、希望退職募集へ )、事業の精算や転換を余儀なくされています。このように、環境問題への対応は、既存事業者への打撃を意味する可能性があります。急速に進めたら、大量の失業者が出るでしょう。(さらに補足すると、ビニール袋を有料化するという政府の会議は、そこまで深い議論がなく、たった4回の会議で決定されたそうです。そのなかでは既存事業者からのヒアリングがあったようですが、たったの1度あっただけで、ほぼ結論ありきで議論が進んだことが、『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』のなかに書かれています。事業者からしたら、たまったものではありません。)

環境問題はたしかに重要です。タイムリミットも迫っており、一刻も早く進めなくてはなりません。ですが、このレジ袋大手のように、既存事業への打撃も計り知れないものがあります。国が方針転換をするのなら、こういった事業者への補償もセットで検討されるべきなのかもしれません。

そしてこれは人ごとではありません。ただでさえ縮小している畜牛農業に追い打ちをかけるような政策が進んだら、ウシノヒロバの事業も考えざるを得ない状況になるかもしれません。私たちは常にこの葛藤を抱えながら、仕事をしています。

利権と既得権益による障害

『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』のなかには、利権や既得権益の影響で環境問題が解決できないという話も書かれています。ウシノヒロバのような小さな事業者は無視できたとしても、ずっと石油をビジネスにしてきたような巨大な事業者については、国も無視することができないのだと思います。

すでに風力と太陽光による再生可能エネルギーは「原子力発電および石炭火力の半分以下」の発電コストで調達できる。にもかかわらず、日本でその転換が進まないのは、「東京電力を代表とする電力産業、新日鉄(現日本製鉄)を代表とする鉄鋼業、トヨタを代表とする自動車産業が温暖化対策に消極的」だからだという。

【書評】『グリーン・ニューディール』国際的な温暖化対策で周回遅れの日本

あまりよくない話ですが、現実的にはそういったことも起こるのでしょう。さまざまな仕事のなかでも、大人の事情が障害になり、正義を実行できないことは多々あります。

しかし、やはりそれはダメだと思います。私たちも当事者なので気持ちはわかりますが、それでも、自分たちが生きているあいださえ良ければいいとは思いません。私たちには、未来のために生きる責任があります。利権や既得権益を利用して自分たちの利益を守るのではなく、自分たちのいなくなったあとの利益を考えなくてはいけません。それが私たち人間の倫理です。

畜牛農業を越えて、人と牛にできること

ここまで書いた文章をなんとなくまとめると、

  • 畜牛農業が環境に与えている影響は大きい

  • 牛乳や牛肉の代替案もどんどん出ている


  • 既存の事業者への影響は大きいものの、そのうち畜牛農業はなくなる(べき)なのかもしれない


という話になってしまいそうです。

ですが、牛と人間には、食事以外の関わりがあります。牛と人間には数千年の歴史があり、私たちが動物とともにいるということは、人類の文化にとってとても大切なことだと思っています。

牛は昔から神聖な存在として、人間の身近で、人間を守ってくれていました。牛を神として崇める文化は、いまでも世界中のいたるところで存在しています。

このように、人間は自分たちの身近に自分たちを超えた存在を置くことで、何かを学び続けてきたはずです。環境問題の観点からは、畜牛農業は否定できても、宗教や哲学の観点からは、人間と動物の関係は否定できないと思います。

ウシノヒロバのミッションは、環境問題だけでなく、牛と人と自然のかかわりについて考えていくことです。それは少し拡張して言うと、生命と自然のかかわり——つまり、地球そのものの仕組み——について考えるということです。

これからもウシノヒロバは、さまざまな視点を持って、否定も肯定も受け入れながら、自分たちなりの答えを探し続けていこうと思います。

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(編集・執筆:山本 文弥)