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現在31歳、幸せがなんなのか分かりませんが、不幸かどうかは分かる気がします。それじゃダメでしょうか

最近、会社の社名変更に合わせて、ミッション・ビジョン・バリュー(いわゆるMVV)の見直しを行っています。この3年ほど結果だけに向き合ってきた手前、いつもと違う脳みその使い方にヒーヒーしています。

MVVを整理するに当たって、「幸せとは何か」について、有志で集まったメンバーと話し合っています。それぞれが考える幸せの定義は、当たり前に異なっており、それぞれの違いを知ることの楽しみと、会社として一本に集約することの難しさを感じています。

幸せとは何か。困らない生活ができていることか。家族との時間を過ごせることか。多くの経験を通して知識量が付くことか。考えたらキリが無いほどに難しい。例えば私の親にとっては何が幸せなんだろうか。分からない。だけど、私が死んだら不幸になる気がする。それはなんとなく確信できる。

あ...

幸せとは何かを考えるより、目の前の1人ひとりの不幸を考えるほうがリアリティがあるね。なんて話をプロジェクトメンバーとはしています。

そういえば、リアルワールドが上場したときに作成された「リアルバイブル」には、こんな言葉があったなぁ。

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「世界を幸せにするより、今、隣にいるその人をちょっと幸せにしよう。」

「漠然と、抽象的に考えるのではなくて、
身近な人のことを考えながら、仕事を進めていくほうが、
具体的に見えてくる。世界は、
そういった具体的なひとり一人がつくっている。」

ふむ。

デジタルをうまく活用していきながら、それでいてデジタルだけに頼り切らずに、「不幸じゃない」と言い切れる人を少しでも増やしていきたいね。

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