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大海のひとしずくでも~言葉が生みだす思いをかたちに 英日翻訳者 玉川千絵子さん

翻訳と私

玉川千絵子
英日翻訳者。共訳『ブラック・クランズマン』ロン・ストールワース著(パルコ出版)、共訳『海賊のジレンマ―ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』マット・メイソン著(フィルムアート社)。

羅針盤
 
言葉を編んで考えを他人に伝えるには、声で話すよりも文字で記すほうが自分には合っていると思う。私が翻訳者として活動している理由のひとつはそれだ。しかし、翻訳には原文がある。原文に込められた思いを読み取り訳文で表現することと、自分の思いをゼロから自分の言葉で記すことはまた別の話。両方とも楽ではない作業だし、自分語りはちょっと恥ずかしくもある。それでも、自分がどこからきて現在どの位置にいるのかを書き出してみることで、これから進む方向が見えてくるのではないかと感じている。

「知りたい」が原動力
 
まだインターネットが発達していない時代に、自然に囲まれた田舎町で育った。超少子高齢化が進むこの町では、買い物を含めて移動には車が必要不可欠である。東京まで電車で1時間強なので都心からそれほど遠いわけではないが、駅から自宅までのバスが1日に数本ではサークル活動など到底できない。だから、高校を卒業し大学の入学が決まるとすぐに教習所に通い運転免許を取った。インターネットが普及しコロナ禍で在宅勤務が進む中で、そんな生まれ故郷に今でも住み続けているが、歩いて3分もかからない母校の小学校は2023年3月いっぱいで閉校して、町には小学校が1校だけになってしまう。
 こんな環境だったから、子ども時代はとにかく情報に飢えていたのだと思う。目が悪く運動が苦手なインドア派だったが、テレビやラジオは大人が使うもので、テレビゲームが普及するのはまだずっと先のことだ。だから、ことばもあまり知らない小学生のころから、近所の小さなお店で学校帰りになけなしの小遣いで漫画雑誌を買ってくり返し読みふけっていた。眼科に行くなど大きな本屋で買い物ができるときには、図鑑や漫画で読む歴史の本などを買ってもらい、欄外のコラムを暗記してしまうほどだった。幼稚園の砂場で人生に必要な知恵を学ぶかわりに、それなりの基礎知識を漫画から学んだわけだ。
 なにか新しいことを知るのが好きだった私は、地元の中学に入り英語を学び始めると、同じ事象を日本語と違う表現で描写する英語に魅力を感じた。学校で先生に毎週提出していた宿題ノートに、習ったばかりの英文法と単語を使い短い物語を書いたり、国語のテストで出てきた詩の英訳をしたりしていた(注:余白には挿絵と称してたっぷりと落書きもしていた)。塾講師をしている現在の自分の立場から考えると、時間がない中で学校の授業に関係のない私の創作をよく添削してくれたものだと、私たちのクラスを担当してくれた英語教師には感謝しかない。
 高校時代には、理数系の勉強が得意ではないことを自覚するとともに、世界史を学びテレビやラジオからの情報に触れる機会が増えたことで社会情勢に関心をもった。夜の報道番組でベルリンの壁崩壊やロス暴動のニュースを知り、今の世界で何が起きているのかを理解しようとその時点で入手できる限りの英語で発信されている情報を追いかけた。そんな3年間を過ごした私は、これも英語の勉強の一環だと心の中で言い訳をしながら、大学入試前の自習時間にアメリカのヒップホップ・グループであるパブリック・エネミーの曲を紙の辞書片手に夢中で翻訳するまでになっていた。しかも高校の英語教師は、そんな私の様子を見て怒ることもなく、逆に「英語の曲を訳してるの?できたら先生に見せて」といって励ましてくれたのだ。
 ベルリンの壁崩壊とその後の東西ドイツの動向への興味から、大学は外国語学部に入りドイツ語を専攻した。卒業後はドイツ語に触れる機会もすっかり減ってしまい、ドイツの情勢に関心はあるもののせっかく学んだドイツ語を生かすこともなく過ごしてきた。あるきっかけで最近ドイツ語の勉強を再開したのだが、卒業してから何年も経つ現在でも辞書さえあれば文字になっているドイツ語をそれなりに理解できるのは、大学で4年間しっかりとドイツ語を学んだおかげなのだろう。 
 大学を卒業してからは、塾講師や家庭教師として小学生から大学受験生まで数多くの生徒に英語や国語の勉強を指導してきた。「自分が理解していない内容は教えられない」という言葉が示すように、教える立場になって初めて(まじめに受験勉強に取り組まなかった私は)英語の文法書をすみずみまで読み、物語文や説明文の論理的な解き方を考えるようになった。教えていて一番自分に合っている(やっていて楽しい)と感じるのは、言語を問わず文章の読解。中学受験過去問で国語の読解に出題される文章は人生経験の浅い子どもには難解だし、美大受験予備校で学科を教えていたときに扱った多摩美や武蔵美の入試問題は哲学的で興味深かった。英語の先生にいろいろとお世話になった自分は、どちらかというと国語の先生になっていた。小学校のころは「(私は登場人物の楊ではないから)楊の気もちがわからない」といって教師を困らせていたが、人間は必要に迫られるとここまで成長するのである。

「伝えたい」の機動力
 
塾講師をしていた2001年に語学雑誌の海外留学モニターに当選しアメリカの語学学校へ行くために休職。そのままアメリカの大学で社会学の授業などを聴講。大学の図書館で課題として大量の英文を毎日のように読んでいたので、この時期にかなり英文の読解力がついたと思う。アメリカでの不規則な生活がたたり体調を崩し2002年には帰国したが、9.11事件でアメリカ社会が愛国精神に飲み込まれていく変化を目の当たりにしたことをきっかけに、私の中でも世界で起きていることを知りたいという欲求が、世界で起きていることをみんなに伝えたいという欲求へと変わっていった。
 そこからは、塾講師をしながら、自分が持つ翻訳のスキルを生かして世界で起きている事やさまざまな人の思いを伝えるために、いろいろな団体で活動をしてきた。2003年には『通訳・翻訳ジャーナル』の告知コーナーでボランティアスタッフを募集していたアフリカ映画祭の活動に参加し、パンフレット翻訳や映像の字幕翻訳に携わった(アフリカ関係のことをするなら、大学時代にフランス語を学んでおけばよかったと後悔したことは脇に置いておく)。このときに身につけた字幕翻訳のノウハウを生かして2008年ごろから参加したのが、”音楽で紐解く社会”を合言葉に活動している5th-elementというグループだった。
 メンバーは私を含めた3人。もともと私以外の音楽好き2人がしていた活動だが、デモクラシー・ナウ!ジャパンというウェブサイトで偶然同じ動画に興味を持った3人が字幕翻訳を担当したことがきっかけで知り合うことになった。あるとき彼女たちから「この映画を日本でみんなで観たいよね」といわれ、「だったら私が日本語字幕をつけるよ」と返事をした。そこから上映会の企画が始まった。3人の得意分野がバランスよく異なっていたことが幸いし、私は字幕作成や資料の翻訳に専念することができた。監督との連絡や会場の映画館との打ち合わせ、音楽活動をしている当事者や学者などのトークゲストの調整、ウェブサイトの構築、フライヤーや宣伝素材の用意、上映用の資料集めなどの仕事は、3人がそれぞれの得意分野を生かす形で進め、時間があるときに3人がそれぞれサイトの記事やSNSに投稿している。スポンサーがついているわけではなく、唯一の収入である入場料金は会場費と上映料に消えてしまうので手元に残るお金は限りなくゼロにひとしいどころかマイナスだが、3人で1週間ハワイ旅行をする代わりに上映会をしたと思いながら「みんなに知って欲しいこと」を伝える活動を続けている。
 他にも、スーダンの元子ども兵でミュージシャンになったエマニュエル・ジャルの生い立ちを伝えたくてTEDのボランティア日本語字幕翻訳者になり、アラブの春で起きていることを伝えたくてTwitterを始めた。アムネスティ・ジャパンで動画の字幕作成をしていた時期もある。

誰かの「伝えたい」を実現するために
 
意志を持って動いていると、運が舞い込んでくることもあるのかもしれない。2010年に5th-elementで初めて『ヒップホップ~その裏にあるもの』というヒップホップ社会の男らしさにまつわる問題を描いたドキュメンタリーの上映会をした。その会場に偶然作品を観にきていたのが、私が初めて共訳者として書籍翻訳の仕事をさせてもらった本の編集者だった。上映会が終わって間もなく連絡をもらい翻訳を頼まれたのが、さまざまな分野で社会システムに挑戦し境界を越えていく海賊(権利侵害者)たちの活躍が描かれた『海賊のジレンマ―ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』だった。私の字幕を観て、この本の内容なら翻訳できるだろうと思ったのだという。確かに、音楽と著作権の話やヒップホップ業界の話などなじみのあるテーマもあったが、一方であまり詳しく知らない分野の話もあった。ただ、その出版企画が持ち込まれてから時間がたっていて早く出版したいとのことだったし、共訳にしてもらうということだったので依頼を引き受け、2012年には私にとって1冊目の翻訳本を出版をすることができた。
 その時の共訳者の一人から頼まれて翻訳を手伝い2019年に出版されたのが2冊目の『ブラック・クランズマン』だ。これは同名の映画の原作本で、黒人警官が白人至上主義者集団のクー・クラックス・クラン(KKK)への潜入捜査をするという著者の実体験をもとに書かれた回顧録だった。1冊目の本が出てから、何度か彼女の仕事を少し手伝ったり同じイベントに参加したりしていたことはあったが、それほど頻繁に交流していたわけではない。そんな彼女から映画の上映を翌年に控えた年末に急に連絡を受けた。またしても、時間のない中での作業だった。もちろん、KKKの話やその周辺のアメリカ社会で起きていた出来事についてある程度の知識はある。ただ、改めて資料の本を読み、人一倍勉強してから(他人に教えられる程度に知識を整理して)翻訳に取り組んだ。

「文明の利器」を活用しよう
 
現在では個人の活動を発信することがずっと容易にできるようになった。自動ドアのセンサーにも駐車場で車の誘導をしている人にも気配を感じてもらえないことが多い私だが、塾講師業のかたわらで映画の上映会をしたり、音楽やユースカルチャーなどにまつわる社会問題に関心があることをSNSで発信したりと動いていると、どこかでそれに気づいてくれる人が現れることもある。もちろん、チャンスの女神がいつ目の前に現れても前髪をつかめるように、原文を正確に読めて原文と同じ絵を日本語で描ける実力をつけておくことも大切だ。この点でも、今なら翻訳スクールに通うだけではなく、オンラインでの勉強会に参加したりして翻訳仲間を見つけることも可能だ。
 私は地方在住なので、スクールに通った経験はなく、フェローの歌詞翻訳講座を受けたときも通信講座だった。講座ではいろいろなジャンルの曲や歌手の紹介記事などを訳し、スクーリング時に講師から歌詞翻訳の仕事を依頼されたのだが、アドバイスとして「玉川さんは、もう少し恋愛経験を積んだ方が良い訳になる(ラブソングが下手)」といわれた。ノンフィクションやドキュメンタリー翻訳ばかりしていた経験が裏目に出てしまったのだろう。

この先の社会を「楽しめる人」になるために
 
その時々の興味や関心に導かれるままに、みんなに伝えたいことを翻訳という手段で世の中に発信してきた私が最近関心を持っているのは、ストリート文化が衰退しクラスルームで求められる能力が変化している中でストリートとクラスルームの分断を言葉でつなぐことだ。それぞれの世界を知ることでお互いをリスペクトし合える社会にする活動ができればと思っている。
 田舎に住んでいてインターネットがつながらない時代を生きていた私は、本を読み情報を求めて英語を学びそこから世界へつながっていった感覚がある。だから、原文を正確に読めて日本語で表現できる実力がある人は、それをどんどん表に出して自分の存在を知ってもらい、翻訳を通していろいろな世界を私たちに紹介して欲しい。世の中には翻訳されるのを待っている作品がたくさんある。世界中の人たちが伝えたい思いという大海に翻訳という帆を張って乗り出してみよう。ひとりでは不安になってしまうような荒波でもみんなで動けば境界線を越えて行けるし、その先には新しい出会いやひとりひとりが活躍できる社会があるはずだ。今は個人的な趣味(偏愛)から派生して配給会社や出版社を始めている人もいるし、その意味でのチャンスは結構多いのではないだろうか。そもそも、カンパニー(会社)は「共にパンを食べる仲間」が語源なのだから。

玉川千絵子
英日翻訳者。共訳『ブラック・クランズマン』ロン・ストールワース著(パルコ出版)、共訳『海賊のジレンマ―ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』マット・メイソン著(フィルムアート社)。


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