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千明の神様日記 生命のリズムを止めるな

 
シャーマン修行をする
ジャングルには
おおきなおおきな
御神木がある。
 
 
1日に何度も
その御神木の前で
祈りを捧げ
聖水を浴びる。
 
 
修行入りの
森のセレモニーも
そこで行うという。
 
 

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正直
 
 
「セレモニーって
 なんなんだろ…
 どんな心持ちで
 やればいいんだろ?」
 
 
と、よくわからないまま
当日を迎えた。
 
  
***
 
 
 
師匠デワアユに
繕っていただいた
聖布を身に纏い
御神木の前に座る。
 
ともに手作りした
お供物を捧げ
火を焚き
鈴の音を鳴らして
儀式を始めたとき
 
 
全身に
いままで感じたことのない
優しく凛とした感覚が通った。
 
 
 
そして
自分の中から
ことばが出てきた。
 
 
 
 
『 わたしは、自然です 』
 
 
 
 
ふっと涙がこぼれた。
 
 
 
 
 
 
わたしは
福岡県の
都会と田舎の
ちょうど中間のような
場所で生まれ育った。
 
大きな公園など
整備された緑の中で
いろんな生き物や
目に見えない存在と
遊びながら育ってきた。
 
 
それもあってか
わたしの興味は
常に『人』
 
 
大自然もいいけれど
それ以上に
そこに暮らす
『人』
に興味があった。
 
人の写真ばかりを
撮っていた。
 
 
自然とともに
生きることは
正直そんなに
得意分野では
なかったと思う。
 
 
 
恋愛で好きになる方は
大自然とともに
生きてきた人ばかりだった。
 
 
自然のリズムが
息づいている人に
わたしにない何かを感じ
強く惹かれたんだと思う。
 
 
 
 
 
***
 
 
 
でも、気づいた。
どんな時も
わたしの中にも
自然のリズムは
息づいていた。
 
(それに沿わず
 己の思考のリズムで
 生きていた時間も
 長かったけれど)
 
 
 
間違いなく
わたしたち
ひとりひとりは
自然物なんだ。
 
 
 
 
『わたしは
 偉大なるあなたと
 ともに生きる
 自然です。
 
 自然そのものです。
 
 あなたとわたしは
 おんなじです。
 
 わたしと
 すべての命は
 おんなじです』
 
 
 
そう改めて誓うことが
このシャーマン修行入りの
セレモニーなんだ。
 
 
そう感じた。
 
 



 
 
 
***
 
 
 
 
バリに来てから
 
 
『オウム』
 
 
という言葉を
唱えるようになった。
 
オウムは聖音であり
それぞれの一音に呼応する
ヒンディーの神様がいるそう。
 
ヨガの前、後に
3回唱えると
場が浄化され
エネルギーが通るらしい。
(日本はオウム真理教の影響で
 唱えることがあまりないんだって)
 
 
 
 
昨日の夕方
海で目を瞑り
『オウム』を
唱えた。
 
 
その時
時空が歪むような
ものすごいエネルギーの波が
ぶわわわわわっと
流れているのを感じた。
 
 
 
目を開けると
一緒にいたまゆこさんが
こう言ってくれた。
 
 
 
「ちーちゃんが
 オウムを唱えている時
 波がすごかったよ。
 普通ではない
 波しぶきが立ってた…」
 
 
 
おおお、やっぱりか…😳
ただならぬオーラを
感じたもんな…。
 
 
 
 
次は2人で
目を開けたまま
唱えてみることにした。
 
 
 
…やはり
大きな波が
ゴゴゴゴゴ、とやってきた。
 
波しぶきの
一粒一粒が
私たちの音と
振動しあって
生き、跳ねている。
 
 
 
 
それで
ふっと、わかった。
 
 
 
 
 
私たちが
オウムを唱えたことで
奇跡のように
波を呼んだわけでは
ないということ。
 
 
 
私たちが
生命のリズムで
生き、行うことは
自然界のリズムと
恐らくすべて イコール。
一致しているのだ。
 
 
そこには何の抵抗もない。
向かい風はない。
ひとつの大きな流れだから。
 
 
 
その大元は
宇宙の理のリズム
 
 
 
そこに流れる
大きく緩やかな風を
人は『神』と
呼んでいるのかもしれない。
 
 
 
 
***
 
 
 
 
 
自然や動物は
いつだって
宇宙(地球・自然・生命)のリズムで
生き続けている。
 
 
もうしかしたら
思考、脳を大きく持ったからこそ
人間だけが
宇宙のリズムの中で
自分の芯から大きく外れることもできる
少し特殊な生命体なのかもしれない。
 
 
 
だからこそ
人が
生命のリズムで生き
万物と重なり合う時
美しく調和し
呼応しあい
より大きなエネルギーが
生まれるんだろうな。
 
 
 
 
 
***
 
 
 
 
 
海では
地元のバリ人たちが
神への祈りを捧げていた。
 


お供物を流す
その瞬間
綺麗な一筋の光が
海へ差し込んだ。
 
完璧なる
カミゴトの世界だった。
 
 
 
「あぁ…
 流石神とともに生きる
 バリ人だなぁ」
 
 
 
そう感じた。
 
 



 
神とともに生きれば
奇跡は当たり前に
スルスルどんどんと、起こる。
 
 
 
 
ひとりひとりが
すなおな
生命のリズムで生きれば
少しずつ
いろいろなものが
修復されていくかもしれないね💐
 
 
 
 
 
***
 
 
 
 
 
そして先日。
ちょっと
面白いことがあった。
 
 
みんなで瞑想をしている最中
わたしのお腹が
ぐぅっ、と鳴った。
 
 
恥ずかしくて
思わず縮こまり
息を止めようとした瞬間
目に見えない存在から
スパン!と声をいただいた。
 
 
 
「生命のリズムを止めるな。
 それは自然な生命の音
 自分の中で起こる
 小さき音すら
 恥とて否定すれば
 積もり積もって
 歪みが生ずる。
 一見なんでもない
 些細なところから
 すべては始まるのです。
 あなたのまま
 生きなさい」
 
 
 
ハッッッ!!!としたなぁ😂
 
 
会社の大事な会議中でもない
自分が自分で在るための
瞑想の場
親しい人たちの中でも
恥じらいで
生命のカタチを
変えようとしている自分に。笑
 
 
 
いま、わたしは
バリにいて
毎瞬がわかりやすく
自由の身なのだから
自然のリズムとともに
どんどんすなおに
生きてみようではないか。
 
 
 
 
自粛という
力の強いプレゼント
 
 
お金
健康
なにがなくとも
自分の生命のリズムで
時を過ごすことは
きっと、できる。
 
 
ほんの10秒でも。
ほんの5分でも。
 
 
 
もしかしたら
そこから
大切な何かは
すこぉしずつ
湧き出てくるのかも
しれないね💐

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