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不思議なことを教えてくれる人に出会った話

私は、不思議なことを教えてくれる人に何度か出会ったことがある。人には見えないものが見えたり、これからどうなると教えてくれたり、まるで見てきたかのように過去のことや遠く離れた何かを見ることができる人のことだ。

実は今日の朝、突然思い出したエピソードがある。30年近く忘れていたことだ。
せっかく思い出したので、noteに書いておきたいと思う。

私は19歳のとき、中国を陸路で旅したのだが、西へ西へとシルクロードをたどり、そこからチベット自治区を目指して南下していく途中、青海省の天湖という湖に立ち寄った。

標高の高い高原をずっと遠くに歩いていくと、忽然と現れるとても美しい湖だった。真夏なのに雪をたたえた険しい山々が遠くに見えていた。

その行き道に、突然、道端に座っていたおじいさんに呼び止められた。そのおじいさんは白髪で、白いあごひげがあり、小さな体に人民服を着ていた。道端に座っていたおじいさんは、歩いている私に声をかけ呼び止めた。

何だろうと振り向くと、人通りのまったくない、周辺は360度荒野が広がる何も無い場所でおじいさんは地面に座っていた。

彼は私に向かって何か一生懸命言っている。しかし中国語なので何を言っているのかわからない。私は首をかしげる。それでもおじいさんは話し続ける。

困っていたら、馬を連れた青年が通りかかった。そして、間に入っておじいさんから話を聞いてくれた。

いま冷静に考えてみると、その青年だって英語が話せたわけではないだろうから、一体私たちはどうやって会話したのだろうか。
中国を旅行中に私はよく筆談をしていたので、もしかしたら筆談だったのかもしれないし、身振り手振りだったのかもしれない。

おじいさんは私の顔に指を近づけて、右頬にある大きなほくろを触った。このほくろは、私が小さいときから母や祖母がよく話題にしたもので、「大きな泣きぼくろがあるから、千晶はよく泣く」と言われた。私は泣いてばかりいる子どもだったらしい。

そのときおじいさんが言ったのは、「このほくろがあると、あなたが出会う男性は早く死ぬ」ということだった。
「でも運がいい。あなたはとても運がいい」とも言った。

なんだかよくわからないけど、私は早く湖に行きたいので、おじいさんにありがとうと言い、先を急いだ。

湖にたどり着き、湖畔で遊び、お弁当を食べ、その景色をひとしきり堪能してから、帰り道に同じ場所を通った。おじいさんはもういなかった。

それから数日後、私はチベットの聖都ラサに到着した。
そこで出会ったのが、これまでこのnoteの記事にも何度か登場している判君という青年だ。
出会ってすぐに私たちは意気投合して、共に旅をするようになり、そこから先の人生もずっと一緒に生きていこうと言い合ったのだが、出会いからわずか1年3か月後に彼は突然死んでしまった。

それまで天湖のおじいさんに言われたことはすっかり忘れていた。
通夜も葬式も終わり、お骨も拾い終わってからあとで、私がその頃暮らしていた東京の下町の木造アパートの一室に戻ってきたとき、西日に照らされる畳を眺めていたら、天湖のおじいさんが言った言葉を思い出した。

それから私は自分の持ち物をすべて捨てて、家具は大学の後輩に「全部タダであげるから取りに来て」とお願いして、彼の死の一か月後には日本を出発して長い旅に出た。

その頃の私は、ずいぶんと刹那的思考の持ち主だったように思う。さっきまで一緒に生きていた人が、次の瞬間にはもう生きていないという青天の霹靂を経験して、人生は儚いんだ、ある日突然想像もしていなかったことが起きて何もかも無くすのだと、私は思った。
その一方で、命の確かさや力強さの実感を求めながら旅をしていた。

それから私の旅はさらに続き、持ち金が尽きたときにはロンドンで仕事を見つけ、アウトローの吹き溜まりのようなボロボロのアパートの屋根裏部屋に住み、人生裏街道まっしぐらの貧しいアーティストや画家のタマゴ、身を持ち崩した金持ちのボンボンなどの住人と共同生活をし、それなりに楽しい日々を過ごしたりもした。
だけど心の中に抱えたどうしようもない喪失感は大きかった。でも前に進めば、その先には何かがあるような気がした。
その先に私はアフリカに出会い、その強烈な明るさと生命力に魅了されて、最終的に旅をやめてケニアに定住した。
私はケニアで仕事と子どもを得て、働きながら子育てに忙しい日々を送るようになったけど、子どもを産んでも何年も結婚しなかった。
「結局はこの人もまた突然死んでしまうんだ」という恐れがあったような気がする。

そのような状態で6年間過ごしてから、ある出来事がきっかけとなり、私は子どもの父親と結婚しようと決めて、2人目の子どもが生まれる1週間前にケニアの役所で婚姻書類にサインをした。
そのきっかけとは何だったのかというと、大したことではない。でもその出来事によって「この人は簡単には死なない」と確信したし、アフリカの強い生命力と繋がる自分、繋がりたい自分を知った。
もちろん彼の寛大な人柄や思いやりに感謝していたし、私はアフリカが心底好きだった。懐深く私を受け入れてくれたアフリカに感謝していた。
「私はアフリカに生涯コミットする。私はアフリカの現実から逃げない、目をそらさない」と、誰よりもまずは自分自身に宣言して、けじめをつけたかったのだと思う。それが私にとっての結婚だった。

さて、そこまで至る間にも何人もの不思議な人に出会ったのだが、特に印象に残っているのは、アフリカにたどり着くよりも前、ロンドンの屋根裏部屋に住んでいたときに出会ったサイキックな女性に、「あなたは何年も日本に帰ることはないけど、次に日本に行くときは1人じゃなくて3人だよ」と言われたことだった。
実際に、それから何年もあとに私は夫と娘と私の3人で、日本に一カ月間遊びに行くことになった。それまでは一度も日本の地を踏まなかった。

そして、ケニアに住み始めてからも、何人かの不思議な人に出会った。その中で印象深いのは、リズというオーストラリア人で、大きな体に優しい顔をした女性だった。リズはアフリカ人とのハーフの小さな娘を連れていた。

彼女は、短い瞑想をするとすぐに目が不思議な色に変わり、トランス状態になって、小さな声で長い長い物語を語るのだった。その息つく暇もなく延々と語られる物語は壮大で、面白かった。

彼女は、あなたにとって大切な人の写真とカセットテープを持ってきてと事前に言った。
トランスになると、猛スピードで途切れなく話し続け、彼女自身にはその記憶は残らないため、カセットテープを持ってきて録音してあとで聞けるように持っていきなさいということなのだった。

私が持っていったのは判君の写真だったが、詳細は何も説明せずにリズに写真を渡すと、彼女は写真を見つめてそのまま瞑想を始めた。

そして間もなく、溢れるように出てきた話は、私と判君がいつの時代にどこで出会って何をしていたかという連続した物語だった。次から次に、場所も時代も移り変わった。
彼女がそれをその場で作りだしてしゃべっているとはとても思えなかった。もしもすべてが作り話だったとしたら、彼女はベストセラー作家になっていたことだろう。

メモを取る余裕もないほど、話はどんどん進んでいくのだが、そんな中で私の記憶にはっきりと残ったエピソードが2つある。

そのうちの一つは、私と判君がずいぶんと昔に、チベットの少年修行僧だったという話だ。同じ寺で同じ釜の飯を食べ、共に修行をしていた仲間だったという。

そしてもう一つは、それほど古くない過去に、私たちはタイにいて、私は浮浪児に食べ物を与えるおばあさんで、判君はその食べ物をもらっていた浮浪児だったという話だ。

このリズという女性は、その直後にケニアを去り、再び会うことは無かった。

さて、彼女のセッションは経験としてとても面白かったけど、だからといって私がその話に深く感銘を受けたとか、人生が変わったとかいうことは特になかった。なので時と共に私はそのことを次第に忘れてしまった。

30年近く経った今日の朝まで、私は忘れていた。
それを今日の明け方、私は急に思い出したのだ。
思い出してみて、私は昔聞いたときとは違う感慨を持った。
「そうか、そうだったのか」と納得できた気がした。

リズに会った当時、私はナイロビの旅行会社で働いていて、現在私がやっているスラムの駆け込み寺的な学校「マゴソスクール」は影も形も無かったし、貧困児童への給食や、子どもたちの教育に関わる活動などまったく何もはじまっていなかった。
それを私が将来やることになるとも想像すらしていなかった。
その頃の私は日々の暮らしを立てていくことに一生懸命で、頑張って働き、世知辛い世の中をドタバタしながら生きていたのだ。

しかし今朝、急にこの話を思い出し、ハッとした。

リズに出会ってから何年もたって、21年前に私はスラムの腹をすかせた貧困児童に給食を出すようになり、浮浪児が路上生活からまともな暮らしを送るための手助けをはじめて、今に至っている。
まるでリズが30年近く前に霊視した、私の過去世みたいじゃないか。

リズがあのとき見たものは、一体なんだったんだろう。どこのチャンネルにどう繋いだら、そんな光景が見えたのだろう。
その光景は、果たして過去だったのか、未来だったのか。
そのどっちでもあるような気がした。

私は、すっかり年を取った今となっては、もう何事にも感傷的にはならないけれど、今朝思い出したこの話にちょっと嬉しい気持ちになり、何かが深く響いた。

食べ物を与える私が、かつては飢えた浮浪児だったかもしれないし、いま私が食糧配布をしているボロボロの貧困者たちは、かつて私に食べ物を恵んでくれた人だったかもしれない。

そんなことを想像してみると、人生とはなんと不思議な、味わい深いもんだろうとあらためて感心して、またこの先も頑張ろうという勇気が湧いてくるのだった。

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他にも面白い話がいろいろとあるのだが、(例えば、ナイロビの空港で飛行機が遅れて、コーヒーショップで相席になり仲良くなったインド人のおじさんが、未来を見ることが出来る人だった話。その人が言ったことはその後すべてことごとく当たった。)それはまたの機会に書きたいと思う。

Zoomによるオンラインのトークショーで、「早川千晶のひとり語り」というシリーズをやっていて、一カ月に一回くらい、こんな不思議な人間同士の繋がりやご縁を紐解いていくような話をしている。

次は2020年9月30日(水)の日本時間20:30~22:30で、アフリカに至るまでの私の人生話と、その後ケニアのキベラスラムで孤児や貧困者の駆け込み寺のような場所を作った背景になる話をするので、興味がある方はぜひご参加いただけると嬉しいです。



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