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あの世の話

7月18日(土)に「焚き火のある講演会」で「旅と人生、生と死」のテーマでお話をさせていただいた。

https://note.com/chiaki_nairobi/n/n604eec74d6f6


「焚き火のある講演会」では、21歳のときに突然亡くなった私の恋人の死の前後で起きた様々なエピソードについて話し、そのあと私がアフリカに定住するまでの放浪の旅の話をした。
みんなで焚き火を見つめながら話をする、という趣向の講演会だったので、私自身も深く当時の想いに入っていけたので、とても良い機会だった。その場を共有してくれた参加者の皆さんと、主催してくれた海の旅人の光菅修さんに感謝している。

講演会が終わって、何とも言えない余韻がずっと残った。生と死と再生の物語の中で、話そうと計画していたわけではないエピソードまで溢れるように次から次に湧いて出てきた。

実はこの講演会が始まる直前に、人気の俳優さんが自死されたというニュースを目にしていた。ドラマの収録が進行中の突然の死だったという。
講演会が終わってから、このニュースを思い出した。ご家族・ご友人の皆さんやスタッフの方々、そしてファンの皆さんなど、彼を愛した人たちがどれほどのショックと悲しみに包まれているだろうかと気がかりで、自分自身のその時の経験が思い出された。
どんな人だったのだろうかと気になって、その俳優さんが主演した「僕のいた時間」というドラマを見つけて視聴した。筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病を発症し葛藤する、「命」を題材としたとても深いドラマだった。美しく透明感のあるその俳優さんが渾身こめて演じる姿が、とても胸に響いた。

それから数日たち、今朝、ふっと偶然目についたSNSの投稿があった。それは、「どうか誰も自殺しないで欲しい」という想いを込めて書かれた投稿で、このような内容だった。
その方のおばあちゃんは、彼女が幼い頃から「自殺は絶対にしてはならない。自殺したらそのときの苦しみがその後もずっと続くのだから」と繰り返し話し、その影響で彼女はその後どんなに辛いことがあっても自殺しようという発想にはならなかった、という内容だった。
もうこれ以上誰も自死してほしくないから、勇気を出してその投稿をした彼女の気持ちが伝わってくるし、そのおばあちゃんもとても立派な人だと思った。
その後、私の頭の中で彼女の文章がグルグルと駆け巡り続けた。何か心の奥底が疼く。自死した方に救いがないとしたら本当に悲しい。そして、ちょっと考えたあと、私は昔の自分の「ある経験」について書いてみたいと思った。

これは、だからと言って自死してもいいと言いたいわけではなく、どんな人のどんなケースにおいても決して自死はしないで欲しい、それを食い止めるためなら何でもしたいと心から思う。
でも、「自死したら最後、そこから先その魂はずっと苦しみ続ける」としたら本人にとっても、残された人々にとっても、あまりにも悲しい。
死後の世界について、いま生きている私たちが何を言ってもそれを証明することは不可能で、絵空事としか思えないだろうが、それでも実際に私が経験したある出来事を書いてみたいと思った。

実は私は、34年前に亡くなった恋人と、これまで二度、会話をしたことがある。そしてそのとき彼は、とても具体的に、「あの世の話」をしてくれた。
こんなことを書くとマユツバものだと思う人もいるだろうが、これは私が実際に経験したことなので、それを大きくも小さくもせずに、ありのままで書いてみたいと思う。

大切な誰かを亡くした人は、「夢でもいいから、幽霊でもいいから会いたい」と思うことも多いのではないだろうか。私もそうだった。
しかし、身近な人であればあるほど、亡くなってからあと、なかなか夢には現れてくれない。これは一体なぜだろうかと、毎晩毎晩思ったものだ。
私の場合は特に、さっきまで一緒にいた人が次の瞬間にはもう生きていない、というあまりにも突然の死だったから、「その瞬間にいったい何があったのだろう」「最後に何を思っていただろうか」「もっとこうしたらよかった、ああしたらよかった」「私がこうしていたら死なずに済んだのではないか・・」と、答えの無い問いが自分の中で駆け巡り続けた。
死んだ人は、いくら問いかけても、決して返事をしてはくれない。

しかしそのように思っていたら、本人の姿は現れないけれどもメッセージが夢の中で届くようになった。
いつもいつものことではない。ふとしたときに、それは突然やってくる。
メッセージは「水」と共にやってきた。夢の中に必ず水に関わるシーンが出てきて、そこにメッセージがやってくるのだ。

例えば、一番最初はこうだった。まだ彼が死んで間もなかった頃だ。ある夜、川の夢を見た。流れの早い、たっぷりの水がザーッと流れている川だ。川の周りは森だった。その川辺に私がたたずんでいたら、そこに小瓶が流れてきた。
その瓶を拾い上げると、中に手紙が入っていた。取り出してみると、彼からの手紙だった。そこには、「ちょっと事情があって今は会えないけど、実は僕は死んではいない」と書いてあった。この夢はとても印象に残って、今でもあの小瓶が流れてくる映像が脳裏に焼き付いている。

このようなことはそれから先、めったに起こることは無かった。
ただ、彼ではない別の死者が、夢の中で水を通じて姿を現すことは何度か起きた。
1つは、大学時代の親しい友人で、中学生のときに母親が入水して亡くなった人がいた。私たちは気が合ってよくいろいろなことを語り合っていたが、日本を出てからは何年も会うことが無かった。
ところがあるとき、夢で彼のお母さんと会話することになった。その夢では私はプールに入っていて、当時まだ小学校の低学年だった私の娘と息子がプールの浅瀬で一緒に遊んでいた。そこに突然、電話がかかってきた。
私はプールに入ったままでその電話を受け取った。当時は携帯電話はなく、線が繋がっている普通の受話器が私に渡された。
電話に出たら、受話器の向こうでその人は「私はFの母親です」と言った。そして、挨拶を交わしたあと彼女が「息子のことが心配なのです。様子を見てくれませんか」と言ったので、「わかりました、連絡をしてみるので安心してくださいね」と言った。そしてこれはその夢の中の話なのだが、電話に出た途端、私の意識の中はまるでテレビ画面のようになり、画面が2つに分かれて、片方にプールに入って電話に出ている自分の姿、もう半分が電話口でしゃべっている彼女の姿になっていた。その画面を私自身が眺めている。という形だった。
電話を切ったあとで、その夢も終わった。目覚めてからしばらくの間、それが夢だということに気が付かず、また、母親は彼が中学生のときに亡くなったということもすぐには思い出せなかった。
気になって、共通の友達を通じて連絡をしてみた。そうしたら彼は、体を壊していた。いろいろあって人生の調子も良くないようだけど、頑張っていることがわかった。そこで、次の来日のときに彼に連絡して会った。なんだかしみじみとした時間を一緒に過ごして、天気の良い日に公園のベンチに座って長い時間、話をした。会えて本当によかったなと思った。私も励まされた。

私の日常には、このようなことがたまに起きるようになった。
私は長い旅の末、アフリカのケニアに定住し、働き、出産し子育てもしていた。充実した暮らしを送っていたが、自分の中にはずっと心の奥底で常に深い痛みと悲しみを抱えていた。それはまるで、深い海の底にいるような感覚で、誰にも理解してもらえない痛みのようにも思ったし、決して答えを得られない永遠の問いのようにも感じていた。

そんなあるとき、私は沖縄に旅をした。
沖縄には、その昔私が旅をしていた頃に親しくなった旅仲間が住んでいて、音楽や自然に囲まれた素敵な暮らしをしていた。それが好きで、私はケニアから毎年のように沖縄に遊びに行くようになっていた。
その友達とはいろんなことを語り合っていたので、私が彼の死にずっとこだわっていることも知っていた。それには誰も有効なアドバイスは出来ないし、解決できることでもないけど、話すことで心が安らぐことは多かった。

ある年は、大学時代の友達と沖縄に遊びに行った。そうしたらその沖縄の友達が、「不思議な力を持った人と知り合った。遊びに行ってみる?」と誘った。その人は、Nさんという沖縄出身のおばあちゃんだった。
Nさんの家に遊びに行ったら、よく来たねえと笑顔で迎え入れてくれて、居間に座ってお茶を入れてくれようとした。
そのお茶を湯のみに注いでいるときのことだ。ムムッ!とNさんが言い、突然、目の色が変わった。
「そこに一緒に来ている人がいるよ。話を聞いてもらいたいと言っている。あなたたちの誰が連れてきたのかね?」
彼女がそう言った途端、なぜか私の友人が、わーっ!と大声をあげて号泣しはじめた。
これはあとで彼女に聞いたところ、何故あんなに泣いたのか全然わからない、不思議だと言った。ただ、爆発したように声をあげて泣きたくなったのだそうだ。
その一方で私はというと、一瞬にして体中がガチガチになり、金縛りになっていた。座ったまま意識がある状態で、金縛りになったことは人生でこの一回きりだ。
お茶を注いでいたNさんは、おやおや、あなたはそういう体質なのだね。驚かないでいい。直してあげます。と言って立ち上がって、私の背後に回り、背中に手を当てて、「ハッ!」とカツを入れた。
すると、ガチガチになっていた金縛りが一瞬で解けて、楽になった。

Nさんは横を指差して、ここに座っている人が見えますか?と聞いた。私たちには誰にもその姿は見えなかった。
するとNさんが、これこれこのような服を着た人が、このような恰好をしてそこでこういう姿勢で座っているよ。と言った。
その描写を聞いて驚いた。それはまさしく、亡くなった彼そのものだった。

私の友人たちは、当時まだ小さかった私の娘を連れて「ちょっと遊びに行ってくるね」と言って出て行った。そして私はそこに一人で残った。
Nさんは、「この人は話を聞いてもらいたがっているから、ちょっと聞いてみようね」と言って、会話をはじめた。
その会話はとても長い時間続いた。Nさんは、「そうなんだ、へぇ~、うん、うん、そうだったんだ・・・」と相槌を打ちながら丁寧に話を聞き、そして途中から涙を流しながら話を聞き続けた。

その会話の間、私は静かに待っていたのだが、ひとしきり話してからあとでNさんが「彼が伝えて欲しいと言っている」と言って、それから彼女を通じて会話をさせてもらった。

まさに「会話」と言っていい。というのは、彼が何か言う。それに対して私が何か言うと、それに対しての返事が返ってくる。そしてそこには、私たちしか知らない内容、誰も知るはずがない内容も含まれていた。
例えば、「あのとき僕たちはこのように話し合ったよね」とか、「一緒に見に行ったあの場所のことを覚えているか?」とか「こういう夢があったよね」など。そしてより具体的に私が「これは本当だ」と思ったのは何故かというと、その言葉の端々に、彼の生前のキャラクター、例えば彼特有のユーモラスな言葉使いとか、彼らしいウィットだったり、Nさんが解説してくれる「こんな座り方をして」「こんなしぐさで」というのがまさに、彼らしさそのものだったからだ。

その後どんな会話がされたかは詳しくは書かないけれども、その中でいくつか伝えたいことがある。

まずは、「伝えたいことがあるから、自分の声を正確に聞き取ってくれる人のもとに行くように仕向けた」と彼は言い、「自分がアフリカに行きたかったので、行くように仕向けた」と言った。
これには、そう言われてみたら思い当たる節がいろいろとあった。偶然は偶然ではないのかもしれないと気が付かされた。
彼がさらに言ったのは、「正確に聞き取って伝えてくれる適任の人がなかなかいなくて、こんなに時間がかかってしまった」ということと、「あの世でもいろんな段階があり、すぐに出てこれるわけではない」とのことだった。

彼はこう言った。「こっちは面白い。勉強したいと思ったことはどんどん勉強できる方法がある。先生もいる」
「こっちの世界でも、いろんな段階があり、成長がある。その段階が上がっていくと出来ることが増えていく」
「あの頃はわからなかったけど、今ならわかることがたくさんある」

彼が亡くなって7年が過ぎていた。どうやら7年というのは段階的に別の次元になるようで、やっとこうして会話できるまでになった。ということらしい。
そして話のポイントとしては、「死んだらそれで終わりではない」ということだった。
彼が言うには、あの世にはあの世の学びがあり、成長がある。やることがたくさんあって結構忙しい。
自分はいま、課題を一つ一つクリアしていくためにいろんな作業や学びをしている。

さらに彼は話し続けた。
「君は僕が死んだことで自分を責め続けてきたけど、わかって欲しい。人間には、宿命というものがあるんだよ」

彼が言うには、生まれながらにして人には宿命というものがあり、自分はたとえあのとき死をまぬがれていたとしても近いうちに死ぬことになっていた。それが自分の宿命だった。

そしてNさんは話しながら時々、目の前に置いた紙にメモを書くのだけれど、そこに、「わびています」と書いた。
突然逝って悪かったと、私に謝っているらしい。
君は自分の人生を思いきり生きてくれ。絶対に不幸にはしないから。いつも助けているから、と言った。
それから彼は、やらなければならないことがあるので今から京都に行ってくる。と言って、そのまま、行ってきまーす、とあっさりと行ってしまった。

「もうそこにいません。さーっと行っちゃいましたね」とNさんが言った。
それからあと、彼はそこに戻ってこなかった。なんだか、すがすがしいとすら思えた。

その後Nさんは、ちょっと家を見に行きましょう、と言った。それで、ここに住所と名前を書いて欲しいと私に紙を渡した。私は彼の住所と名前をそこに書き、Nさんはじっとその住所をながめ、話しはじめた。
大通りから家に向かう路地の横には水路があると、Nさんは実際に頭の中で風景を見ながら説明した。そして見えてくる大きな門構えを説明し、Nさんは門の中に入って、家の間取りをサラサラと紙に書いた。
家の間取りを完全に正確に書き記し、いくつかのバッテンをその中に書いた。そして、ここには何がありますか。と私に聞いた。
彼の実家は、とても古くて大きく、ずっしりとした古民家だった。私は彼から聞いた話で、幼い頃に家の裏に井戸があってそれを小学校に上がる前に埋めたが、その際彼は井戸に落ちて死にそうになったという話を覚えていた。その場所にバッテンが付いていた。
さらに、やはり彼から聞いた話で、中1のときに庭の片隅に倉庫を建てた。そのとき大工さんが屋根から落ちて死んだという話があった。その場所にもバッテンが付いていた。
あと他にもいくつかのバッテンがあり、その位置に何があるか私は知っていたが、ここでは触れない。
ただ、このような不思議なことが本当にあるのだということに驚愕した。
驚いている私の顔を見て、Nさんは、フフッと笑うのだった。これはそれほど難しいことではない。と彼女は言った。

そしてそれから、Nさんは紙にメモを書きながら、私に解説をしてくれた。どうやらメモを書くということが彼女にとって一つの透視のテクニックのようだった。
それによると、私たちはそれまで何度も何度も生まれ変わっては、いつの人生でも様々な関係性で出会って、こうなったりああなったりというストーリーがあった。それをひとしきり説明してくれてから、Nさんは最後に、「これが本当かどうかはわかりませんよ。そういう気がする、というだけです。そう思うことがロマンチックでしょう?」と言って、お茶目に笑った。

朝からずっと話し続けて、いつの間にか夕暮れになっていた。私の友達が迎えに来て、Nさんとお別れした。
壮大な物語を聞いて疲労感で一杯だったけど、気持ちは不思議と晴れ晴れとしていた。この世と並行してあの世の世界があるのだ、そこでも学びや成長や反省があり、果たすべき課題があるということは、何かとても腑に落ちる気持ちだった。
そして彼は死んだことを悲観もしていなければ、未練もなかった。「宿命というものがあるんだよ。それを知った」という言葉に私は救われる想いがした。でも唯一、悔いのようなものを口にしたのは、「もしももっと君の言うアドバイスを聞いていたら、こんなに早く死なずに済んだもしれない。でもそれも今となっては仕方がない」ということだった。

その出来事は、私にとって確かに転機になった。そのあともまだ2年くらいかかったけれども、私はナイロビでそれまで勤めていた会社を辞めて、フリーランスになり、キベラスラムで孤児や貧困児童を助けていく活動を本格的に行っていくようになった。自分の中で「命」や「宿命」に対しての確信のようなものが生まれたからではないかと思う。

ちなみに、ナイロビに帰ってきてからNさんにお礼の手紙を書いた。間もなく、その手紙への返事が届いた。そこには、こう書いてあった。
「あなたからの手紙の封を切ったら、タイコの音が聞こえてきました。アフリカは、音楽があるところなのですか?」

「焚き火のある講演会」の準備をしていた時、告知に使うため古い写真を探していて、このNさんからの手紙が出てきた。講演会の当日、私は焚き火の前で、このNさんからの手紙を置いて話をした。

命とは何か、人は何のために生まれ、何を目指して生きていくのか、ということが、私の人生と旅のテーマだったが、これからもこの魂の不思議をじっくりと考え続けて、人生に訪れる一つ一つの出来事を大切にして生きていきたいと思う。

「焚き火のある講演会」の余韻と共に、みんなで語り合おうという座談会を、修ちゃんが企画してくれた。これは7/22(水)の21:30~23:00。Zoomによるオンラインでみんなで焚き火を囲んで語り合おうという企画だ。自分は語らずに聞いているだけでも良い。参加費は880円。申し込みは修ちゃんにメールを送ると折り返し、Zoom IDと振込先が送られてくる。
駆け込みでまだ間に合うので興味ある方は「7/22座談会参加希望」とメールしてください。o.kosuge@gmail.com 光菅修さんまで。

また、「焚き火のある講演会」の続編も企画してくれた。
8月16日(日)の19:30~21:00、参加費は880円。
「旅と人生、生と死」のテーマで、さらにその先を話せたらと思う。申し込みは同じくメールにて。o.kosuge@gmail.com 光菅修さんまで。

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