見出し画像

帰ってきたオドンゴ

事実は小説よりも奇なり。
マゴソスクール近況報告と、アフリカの文化を知る話題の一つとして、お伝えします。

先日、1年半くらい前から音信不通になっていたマゴソ卒業生のオドンゴが久しぶりにマゴソに帰ってきた。私は大喜び。皆さんもオドンゴを覚えている方は多いだろう。マゴソスクール一期生であり、初代マゴソ生徒会長、さらに、マゴソOBOGクラブ初代会長、そして、2013年のマゴソOBOG日本ツアーの来日メンバーでもあったオドンゴ。
高校卒業後は、マゴソスクールでソーシャルワーカーとして働き、さらに、ティカのNGOアマニヤアフリカに就職して活躍していた。大学進学への準備もしていた。その矢先、彼は突然行方不明になり音信不通が続き、どうしたのかと心配していたのだった。
とにかく顔を見せてくれて嬉しい、と、再会を喜び合い、積もる話をはじめた。あれからどうしていたの?と聞くと、さて、話せば長いのでどこから話したらいいかなぁ、と笑っている。

彼が言うには、長く厳しい修行が一段落ついたので、とにかく挨拶に来たのだと。
え?修行?いったい何の?と驚いたが、彼は、修行を経て、伝統的な預言者になったのだと言った。
驚いた。
それって、どういうこと?なになに?どういうことー!!!と、私はオドンゴを質問ぜめに。オドンゴはというと、その私の反応に笑っている。
本当に驚いた。いや、キベラスラムと付き合っていると驚くことは山ほどあるけど、これはいつもとまた違う種類の驚きだった。なんというか、仰天したけど、まずは、めでたい。修行の大事な部分を終えたというのだから、本当にめでたいことなのだ。彼を祝福した。
そして、ルオ民族の伝統にのっとり、下の歯も6本抜いていた。しかもこれは、麻酔も使わず、伝統方式に乗っ取っての抜歯だそうだ。想像するだけで気を失いそうになるほど痛そうだ。
伝統的コミュニティの承認も受けて、今後、世のため人のために活動していく存在になるそうだ。(すでになっているとのこと。)

事の経緯を詳しく尋ねた。
まず、オドンゴが生まれる前に、夢で父親のもとに啓示があった。彼が生まれたときにはすでに「そうなっていく存在」として伝統コミュニティの上の人たちや家族は認識していたそうだ。しかし幼少期のオドンゴは、どうしても学校に行きたかったため、今はまだ待ってほしいと言い続け、学校に通うようになる。
もともと小さな頃からいろいろなものが見えたり、声が聞こえたりしていたが、それは自力でブロックして学校に通うようになった。
ところが、このような世界の常として、あちらの世界からの再三のお誘いを受けずにいると、現実的な人生では様々なことが起こるようで、父親の失業、それに伴う家計の困窮、など問題が相次ぎ、オドンゴはマゴソスクールにやってきた。
私にとっては、オドンゴは数多くのマゴソの子どもたちの一人であり、その中でもリーダー的存在ではあるが、他の多くの子どもたちと同じように、音楽やスポーツを楽しみ、一生懸命学び、学校を思いきり楽しむ普通の子どもであった。ただ、家庭状況はいつも本当に大変そうだということはわかっていた。
オドンゴがマゴソにやってきたことも不思議だ。なぜなら、オドンゴは他のどの子どもよりもとても遠くに住んでいた。彼の住まいはキベラスラムの端の端にあった。そのエリアからマゴソまで徒歩で通うのは、子どもの足では大変な距離だった。しかしそれがご縁というものなのか。遠くからでもオドンゴは楽しんでマゴソスクールに通っていた。
マゴソOBOGクラブ一期生として、オドンゴとその同級生たちは、マゴソスクールではじめてKCPE(全国統一試験)を受けた生徒だった。高校に進学したのも初めての生徒だ。
オドンゴとその同級生たちは、すべてにおいて先駆者だった。私も彼らと一緒に歩んでいくことをとても楽しんでいたし、彼らもそうだったと思う。

オドンゴがひどい病気になったのは、高校2年生の頃だったと思う。マラリア、腸チフス、肺炎と、様々な病気を同時多発して、起き上がれないほどに衰弱した。骨と皮と言っていいほど痩せ細って、このままだと死んでしまうのではないかと本気で心配した。結局彼は一年間、病気療養のために休学せねばならなかった。
今にして思えば、これもあちらの世界からのお知らせであったのだろう。今回修行を終えて帰ってきたオドンゴは、あの頃それをわかっていたけどまだ自分は学校に行きたかったと言った。当然だと思う。彼らはその頃、高校生活をおおいにエンジョイしていた。将来の夢を語り合い、スポーツや音楽に精を出し、受験に向けての勉強に打ち込み、まさに青春真っ只中だった。

病気療養の一年間のあと、復学して高校を卒業。そして2013年に私たちはマゴソスクール卒業生を連れて来日ツアーを行うことになった。誰もが日本に行きたいのは同じ気持ち。私は卒業生全員に対してオーディションを行い、来日メンバーを選抜することにした。
キベラ生まれ、キベラ育ちのオドンゴが語る、スラムの子どもたちの面白おかしい日常生活のエピソードや、高校で病気になったとき励まし合った友達との友情の話は、明るく素直で爽快だった。
オーディションの結果、オドンゴ、ドリス、ザブロンという卒業生3人、リリアンとオギラ先生、タイコの大西匡哉さん、NPOアマニヤアフリカの石原輝さん、そして私、というメンバーで日本各地をツアーすることになった。

日本では、毎日毎日講演し、歌い、日本全国各地で合計5000人以上の人々の前で自分の人生や夢について語った。日本各地で、特別支援学校や児童養護施設、老人ホームを訪問し、交流し、学んだ。日本の貧困の現場も訪れ、ホームレスの人々が数多く暮らすエリアで夜回りをし、おにぎりを手渡し、話を聞いた。日本の若者たちとも交流し、中学高校で授業を受け、語り合った。
このような貴重な経験の中で、彼らはめきめきと成長し、目を見開いていった。

帰国後、それぞれの道に進んでいき、オドンゴも進学したいという夢を語った。いつもその相談に乗っていたが、不思議に思ったのは、そんな具体的な進路を語っているときも、いつも何か違うところにあるもう一つの世界を見ているような様子がオドンゴにはあった。彼の進路の希望はソーシャルワーカーになるための専門学校に行くことだった。それは彼に向いていると私は思ったし、マゴソにとっても役立つことだから、応援したいと言ったが、なかなか具体化しないのは何故だろうと不思議に思っていた。
マゴソとアマニヤアフリカで働き、その給料で弟妹たちの学費や生活費をまかなっていると話す彼は嬉しそうだった。でもなぜか、目はいつも何か違うもう一つの世界を見ているようなところがあった。いわば、「心ここにあらず」のような状態だ。そのつかみがたい感覚は正直何なのか私にもよくわからなかった。

そんな日々が数年続き、オドンゴは再び、体調を崩すようになった。あまりにも痩せていくため、私は肺病を疑い、病院に行って検査を受けるべきではないかと何度か伝えた。本人は、大丈夫、大丈夫と繰り返していたが、あきらかに体調がおかしいと彼の顔色を見ていても思った。
ある日突然彼が死んだと言われても、やっぱりそうだったか、と納得してしまいそうなくらい、生命力が弱っているという感じがした。驚くほど線が細く、今にも消えてしまいそうな、ふっと吹きかけたら飛んでいってしまいそうな危うさがあり、心配になった。
そして、あるとき急に、オドンゴはいなくなった。

ずっと私は気になっていたけど、彼はどこにいったの?と周りの人に聞くのが躊躇されて、そのまま流れにまかせていた。どこにいったの?と聞いて、ああ、彼は死んだんだよ、と言われるような気がしてなんだか怖かった。あの線の細さ、影の薄さは、言葉で言い現わすことが難しいが、極端に言うと、写真を撮っても映らないのではないか、と思うような薄さだった。

それが、年月が過ぎて今回帰ってきたオドンゴの、健康的で力強かったこと。一目見て、そのエネルギーの違いに驚いた。むしろ、昔に比べて普通の健康な人間になって戻ってきた、という感じで、まずはそれが嬉しかった。
彼が、修行してきたと言ったから、それは例えば滝に打たれたり、洞窟にこもって祈ったり、山を駆け登ったりなど、そういうことをするわけ?と聞いたら、彼は、ハハハハハハと明るく笑って、まぁそんなもんだね、と言った。
いろんな、いろんなことだよ。と彼は言ったのだけど、その「いろんなこと」って具体的に何をしたのかな?というところが、私がもっと知りたいことだったけど、そのへんはまた追い追い聞いていくとしよう。

一緒にお昼ご飯を食べながら、オドンゴの視線がふっと、外で降っている雨を見ていて、それから、そうなんだよ、あの頃も見えていたし聞こえていたけど、見えないようにしていたんだ。と言った。今はもう受け入れたので、はっきりと見え、はっきりと会話が出来るらしい。そして具体的に、自分もそんな何かと共に作業が出来るらしい。

念のため解説しておくと、ケニアという国には様々な民族がいるが、伝統的な生活のみを守って暮らす民族は非常に少なく、多くは早くに「文明開化」し、キリスト教化し、都市生活に生活形態も変化している。オドンゴは特にナイロビという大都会で生まれ育った都会っ子だ。しかし、そんな都会人の彼らの中に、アフリカの土着的なうねりを感じることはこれまでも何度もあった。私が、何故だろう、知りたい、何故なの?と聞く相手はたいてい親友のリリアンで、そんなとき、彼女から帰ってくるのは、「Because we are Africans. だって我々はアフリカ人だから。」という答えだった。彼女に言わせると、「血の中にある」のだそうだ。

呪術や妖術を使う人々の中には様々な種類があり、必ずしもきれいな使い道の人々ばかりではないらしいが、オドンゴの場合は、その力を世のため人のために使うという存在らしい。
また、預言者とはいえ、一人の生活者として自力で生きる糧を得なければならないとのことで、何らかの仕事をして生活費を稼ぎながら、必要があればすぐ動くという行動になるのだという。それは、いつ来るかわからないし、突然、オドンゴにだけわかる方法でやってくるということらしい。

何しろオドンゴはまだ26歳だし、これからの人生の中でいろんな形でこの能力が展開していくことだろう。私にはそれがどういうことになるのか想像もつかないが、いま目の前に現れたオドンゴの、迷いのない言葉と、晴れ晴れとした顔を見ると、何も間違っていないような気がした。

これが最近、マゴソスクールで起きた出来事だ。
やはりアフリカは、奥が深い。

オドンゴ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?