見出し画像

アフリカのご先祖様になった日本人

このコロナ禍でご縁があって30歳の娘が結婚した。
ケニアはコロナの非常事態下で集会が禁止されているため、結婚式はまだ実現できていないが、彼の2人の息子(15歳と9歳)と、娘の息子(14歳)との合計5人家族となって8月から新居に引っ越し、新しい家族としてすっかり落ち着いた。
昨日、夕食に招待してくれたので息子と共に行ってきたが、ずっと私と一緒に暮らしてきた娘と孫が、新しい家族と共に幸せそうにしている姿をみて、とても感慨深かった。これは、今までの私の人生の中で最も嬉しい出来事の一つだと言える。

彼は今ではケニアのトップレベルの成功者だが、なかなかの苦労人で、もともとは裕福な家庭の出身ではない。
ナイロビはかつてイギリス植民地政府により人種隔離政策が行われ、白人居住区、黒人居住区、アジア人居住区に分けられて、黒人の自由な移動は禁止されていた。もちろん1963年の独立以降はそんな分離は撤廃されており、誰がどこに居住するのも自由だが、その名残での経済格差は大きい。ナイロビ在住のケニア人の一般庶民の多くは、旧黒人居住区だったエリアに住んでいて、旧白人居住区には富裕層のケニア人や外国人が居住している。

彼は旧黒人居住区で生まれ育ち、高校を卒業してからあとは親から進学支援を受けることなく、自力で底辺から這い上がった人だ。低賃金の仕事をいくつもこなしながら、自らの努力で学び、上を目指していき、学歴ベースではなく能力と努力によって異例の出世をして、最底辺から最高峰まで一気に昇りつめた。自分の境遇を決して悲観することなく、いつも明るく前向きで、様々なことに挑戦し、自らの力で道を切り開いてきたからこその自信に満ちている。その生きる姿勢は尊敬に値する。
海外生活が長く、スペインに3年、イギリスに2年、アメリカに1年、シンガポールに1年。そして今の仕事では、ある業界でアフリカ全体の総括のトップにいるので、普段はアフリカ全体と中東、欧米への出張の連続だったようだ。コロナで出張がすべて取りやめになってリモート業務になったからこそ、2人は出会えたということだ。
人生とは本当に不思議だ。

結婚にあたり、彼の高齢の両親に会いに車で8時間離れている田舎に行った。
ずっとナイロビで働いてきた父親は、定年退職してからあと夫婦で田舎に引き上げ、8人の子どもたちはナイロビで自力で生活していった。ケニアでは、子どもの親離れが早い。兄弟姉妹も多いので親がそこまで面倒を見れないということもあり、子どもたちは早く自立して、親を助けたいと思うのが一般的だ。

そのご両親に会うことを私はことのほか楽しみにしていた。彼らがナイロビで人生を切り開いていったのは1960年代から2000年にかけてだ。今でこそ発展した大都会になり、先進国の暮らしとまったく変わらない便利な生活が可能なナイロビだが、昔はそうではなかった。植民地時代の抑圧と搾取、理不尽な扱いを受けた時代を経て1963年に独立を勝ち取り、60年代、70年代はケニア人が自らの力で国を作り上げていこうとした時代だ。

私より20歳年長のご両親との話はとても面白かった。私がケニアに住み始めたのは80年代、ケニアの暗黒の独裁政権が真っ盛りの時代だった。その頃のナイロビがどうだったかという話題で、私たちは夜更けまで盛り上がった。居間に集って、祖父母の語りを聞く孫たち。新しい時代のケニアの子どもたちがまったく知らないような昔話を、まるで昨日のことのように語り続けた。孫たちは目を白黒させながらその話を聞いた。

そしてさらに奥地にある祖父の生まれ育った村を訪ねた。そこには、孫たちにとっては曾祖父母、私の娘夫婦にとっては祖父母の墓があった。
その村は小高い丘にあり、家はまばらで、地平線まで広がる自然そのままの大地を見渡すことができた。大地に流れる川の向こうの地平線のかなたから、曾祖父母より昔の人々は移動してきたという。静かに見渡しながら、かつての時代の人々に想いを馳せた。
ヨーロッパの植民地支配が入ってくるよりももっと前の、アフリカの民族が大自然の中でアフリカらしい生き方をしていた時代の人々は、ここでどんな想いを持ち、どんな暮らしをしていたのだろう。

墓は、かつて曾祖父母の家が建っていた場所にあるこんもりとした茂みの奥にひっそりと、苔むして横たわっていた。墓石に手を当て、私は挨拶をした。

「こんにちは、はるか遠くかなたの日本という国から来ました。これからどうぞよろしくお願いします」

なんだか不思議な感覚だった。思えば遠くに来たもんだ。

私はかつて20代のはじめに日本を出て、旅をしながらアフリカにやってきた。アフリカ大陸もしばらく旅をして、最終的にケニアに定住した。そこで何の基盤もない中から生活を作っていき、働き、子育てをして、無我夢中で過ぎた32年間だった。

旅と生活とは、本質的なところでまったく違う。「旅」というのは、そこにある様々なもの見て、いろんな経験をしながら、自分自身は通り過ぎていく存在だ。しかし、「生活」とはその国の現実を受け止め、その国の一部として生きる。その国の現実は、自分自身の現実だ。そして、自分の働きや子育て、自分がここで生きて活動することのすべてが、この国に影響を与え、この国の力となる。

私がこの国で生きていくことを決定的に自覚したのは、はじめての出産をしたときのことだった。
昼に夜に、数多くの人々が私のもとにやってきて、赤ん坊を抱きあげて頬ずりをして、「私たちの子どもを産んでくれてありがとう」と口々に言った。
私が命がけで産んだ子どもを「私たちの子ども」と言ってくれる人々がこの世にいるということは、私にとって、そこから先の人生の大きな希望になった。

それから私は何とかかんとかアフリカで生きていく基盤を作ることが出来、ここまで生きてこれたことにはつくづく感謝している。
手探りの中でもがき続けての子育てと仕事だったけど、とても楽しかった。子育てしながら働き続け、子どもたちと思いきり遊び、ケニアやアフリカについて一歩一歩学んでいった日々は、私の人生で最も楽しく充実した時代だったと思う。

それが今こうして、私が生んだ娘を通じてケニアに新しい家族が出来た。
しかも、ビックリするほどの大人数だ。私は孫が一気に三人になり、娘が結婚した彼の両親、兄弟姉妹やその結婚相手、その叔父、叔母や、ご先祖様までを考えていくと、壮大なアフリカのファミリーツリーの一部になったようでワクワクする。

娘は16歳になってすぐ、シングルマザーで子どもを産んで、子育てしながら学業を続けて大学院まで卒業した。孫の子育ては私と彼女が一緒にやってきた。娘も孫も私の日本の姓である「早川」を名乗ってきた。
いま14歳になった孫は、先日私にあらためてこう言った。彼の母親、要するに私の娘の結婚相手は孫のことも自分の正式な息子として受け入れ、親子の絆を結ぶことになったが、孫は私の「早川」という姓をこれからも名乗り続けたいという。何故かと聞くと、ずっとそれで生きてきたし、気に入っているからだという。

それは私にとって嬉しいことだった。ちょっと想像してみよう。私が死んでからあとも、孫の子どものまた子どもにもこの名前は受け継がれていき、何代も先の子孫には私は会うことが出来なくても「私たちのご先祖様には日本人がいたんだよ」と語り継がれるかもしれない。
姿かたちに日本人らしい特徴はなくなっても、世界を旅をしながらアフリカまでたどり着いて定住したご先祖様のことは語り継がれるかもしれない。
ふっと思いをはせると、私につながるご先祖様たちが喜んで手を叩いている姿が見えるような気がした。
そして、墓石に手を当てて繋がった彼のご先祖様も、喜んでいるような気がした。
脈々たる人類の歴史、私たちは元をたどっていけば、このようにして何かのはずみで世界のまったく違う場所で生きていた人と繋がり合って、絡まり合っているのかもしれない。

世界中の人々と友情をはぐくみ、理解をし合い、協力をし合うこと、そして、アフリカのためになる働きが出来る人間になることを、最も重要なポリシーとして私は子育てをしてきた。こうして平和な心を持ちあえる良い家族を築いてくれて嬉しい。
そしてここから先、繋がった点と点が生んだ線が、どこまで広がっていくだろう。出来るだけ長生きして、それを出来るだけ長く見届けていきたい。

********************************

★私がアフリカに至るまでの、私に繋がるファミリーヒストリーを語るZoomでトークショーを8/29に企画した。
私の曾祖父は明治時代のアメリカ開拓移民、曾祖母は「写真花嫁」、祖父はアメリカで生まれてのち、日本、朝鮮、中国と変遷し、満州で父が生まれて終戦となった。母はその隣人で、2家族で運命を共にして逃避行と難民生活を送った。
そして私はケニアに移住。明治から令和へのファミリーヒストリー。
トークショーは8月29日(土) 20:30~22:30 、20:00からスライドショーを上映。参加費は1,000円。
https://haronoya.com/shop/17264

ZOOMでトークショー!
★早川千晶のひとり語りVOL.4★
~アメリカ開拓移民、満州、そしてアフリカへ~
明治から令和へのファミリーヒストリー

●日時:2020/8/29(土) 20:30より開始
(20:00よりスライドショーを上映しています)

画像1

********************************

★長い旅の末にアフリカで生きていこうと決めて、ケニアに定住し、そこでどんな出来事があってどんなふうに人生を作っていったか、私のケニアでの暮らし、仕事や活動についても話すオンラインの講演会を、海の旅人の光菅修さんの「焚き火シリーズ」の中でゲストに招いていただいてお話しすることになった。
タイトルは、「アフリカで生きる」
お申し込みはメールで、o.kosuge@gmail.com 光菅修さんに「8/16(日)の講演会に参加希望」と送ると、折り返しZoomのIDと振込先が届くという方式。「焚き火のある講演会」といって、Zoomの画面で焚き火の映像をみんなが眺めながら、お話をするという趣向。
8月16日(日)19:30~21:00 参加費は880円。
https://web.facebook.com/events/339270713758539/

********************************

★Zoomでトークショー!「早川千晶のこの人に聞きたい!」シリーズ
世界の様々な場所で生きるステキな人たちをゲストにお招きし、その人生や仕事、暮らし、活動についてお話をお聞きしていく。参加費用は各回1,000円。

★早川千晶の「この人に聞きたい!」VOL.26★
ゲスト:大江里佳(ルワンダ在住ダンサー・一児の母)

~ルワンダで踊りながら生きていく~
出産・子育て、ルワンダの庶民と共に
https://haronoya.com/shop/17078

画像2

★早川千晶の「この人に聞きたい!」VOL.27★
ゲスト:榎本恵(モザンビークのいのちをつなぐ会代表)

~モザンビークの内戦の記憶~
ナジャの母親の証言から
https://haronoya.com/shop/16182

画像3


★Zoomでトークショー!「早川千晶のこの人に聞きたい!」シリーズ
DVD第一弾~第三弾が好評発売中!DVDは各2,000円です。
https://haronoya.com/brand/original/dvd


【ZOOM DVD VOL.1】https://haronoya.com/shop/zd0001
ゲスト:CHIKO(シンガー、コンゴ&日本)
~CHIKOの素顔に出会おう~ 歌で日本とアフリカの懸け橋に

画像4

【ZOOM DVD VOL.2】https://haronoya.com/shop/zd0002
ゲスト:鈴木まど佳(カナダ在住・旅するダンサー・国際同性婚・双子のふたりママ)
~踊りながら世界を旅して~ 本物の愛との出会い

画像5

【ZOOM DVD VOL.3】https://haronoya.com/shop/zd0003
ゲスト:金子裕昭 氏(野生動物写真家)
~トゥエンデ・サファリ!(サファリに行こう!)~
野生動物に出会う旅

画像6


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?