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本を読まない人間が、本の魅力に気づくまで


このnoteに何度か書いているが、わたしは今までの人生で本当に本を読んでこなかった。

どれくらい読んでいないかというと、まず小学生の頃図書室に行く授業では絵本やマンガで書かれた伝記を見るばかりで、解決ゾロリなど読んだことがなかった。
中学に入ると朝読書という時間があった。
朝練を終え、1限の開始前に20分くらいだっただろうか、毎日本を読む時間が与えられていた。
皆思い思いの本を持参して少しずつ読み進める中、わたしはパラパラと国語の教科書を眺めていた。
読むのではなく、眺めていた。

当時は朝読書のためにと、本屋に行っても何が読みたいかわからなくてなかなか買えず、そしていざ読んでもなぜか集中できず、気づいたら同じ行を何度も見てしまう、謎の状態だった。

(ただ、国語の教科書を眺めることは授業の予習となり、なかなか有意義なものだった。教科書に出てくる新しく習う漢字まで予習できたのでラッキーだ。)


時は経ち、本を読む機会は激減した。

高校時代は夏休みの読書感想文の課題図書に指定されていた夏目漱石の「こころ」を読んだ。
記憶にある読書はこの「こころ」で終了していた。(えっあなたいま30歳ですよね)

どうやら本を読むという行為は自らが選択しなければ得ることのできない時間のようだ。


そして今年の夏、休職に突入。
ひたすらに時間を持て余す。
ふと夫のkindleを見てみる。
「嫌われる勇気」など、そういえば話題になっていたな、なんだかちょっと気になるな、という本がたくさんあった。

どうせ暇だし、時間つぶしとして本を読み始める。
初めは時間がかかったが、気づけば読書に集中している自分がいた。
それはメンタルダウンならではの、心が過去と未来を行き来してしまうという状態を、「今」に引き戻してくれる時間だった。

それから、今の自分にはメンタル面で勇気をもらえそうだとか、こう考えると楽になるよとか、そういった内容の本を求めていると気づき、読み漁った。
そのうち心が少し落ち着いてきて、エッセイなども手を出すようになった。
(まだ、重い話とかは心が引っ張られてしまいそうで、小説には手が出せていない)


そうか、読書って一口に言っても学びであり、娯楽であり、癒しであり、役割が様々なんだ。

中学時代の朝読書で同級生の皆はこれに気づいていたの・・・?
思い起こせばいつも一緒に騒いでいたあの子もこの子も、あの時間は静かに本を読んでいた。


ちょっと気づくのが遅くなってしまったけれど、読書の魅力に気づくことが出来て良かった。
同じものについて書いてあるものでも書き方で読みやすさや好みもある。
自分に合う1冊に出会うのはなかなか大変だけれど、山のように多くの本から選ぶことが出来るのは、幸せなのかもしれない。


これから復職を迎え、きっと忙しくなると思うのだけど、そういうときこそ他のことを頭から追い出して、今に集中できる時間が必要になると思う。
どうやら読書は、私の趣味の一つになるようだ。



カバー画像は、読書に対して気負わず、色々な本を読んでみたいなという気持ちにぴったりだと思い、使用させていただきました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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