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「幸せですか?」は他人が問うものじゃない

「幸せですか?」

この問いは場合によってはとても厄介だと思う。
他人に聞かれるという形が私にとっては最悪だと思う。
他人に聞かれる幸せと、「今幸せだなぁ」と自発的に思う幸せは、私の中でイコールではない。

例えば私は、うちの猫が幸せそうに寝ている姿を見て、私も幸せだと感じる。
夫の嬉しそうな顔を見て、私も幸せだと感じる。
母の楽しそうな声、父の笑顔、友人との会話、例えばそんな瞬間的な事柄で今私は幸せだと感じる。

しかし「あなたは幸せですか?」

こう聞かれたら私は答えに窮するだろう。
いつだって病が足を引っ張り、毎日何かしらの症状が出ている。薬を毎日たらふく飲み生きている事実は果たして幸せだろうか?

夫もいて猫もいて毎日不満はない。でも自分が楽に生きているわけではない。

何かに我慢し生きているのは事実で、何かを躱しながら生きているのも事実で、何をするにも自分が軽やかに動けているとは言えない。
些細なことで心が傷つき身動きが取れなくなることもある。

さあ、私は果たして幸せと言えるのだろうか?

これは別に「幸せではない」わけではない。「不幸せ」になるわけでもない。
ただ素直に自分が今「幸せ」と言えるのか、という問題だ。

「あなたは幸せですか?」という問いに、即座に答えられない自分に「じゃぁ、自分は幸せではないのかもしれない…」と思わせかねないこの問いは、厄介だ。

厄介で、考えなしで、呪詛のような趣さえ感じる事がある。

だから私はこの問いが苦手だ。
この問いに関わらず、自分が思う分にはいいが他人に言われることに違和感を覚える言葉って意外に多いような気がする。
身内が言う分にはいいが、他人が言うものではないようなものもある。
あなたがそれを言うな、と思う言葉がある。

言葉は有能なこともあるけれど、万能ではない。
なんでもかんでも言語化すればいいと言うものではない。

そこにただ有って、たゆたっているだけが良いものもきっと世の中には多いと思う。

その言葉を発することは必要なのか。
いつもそれを自問自答していきたい。

最後まで読んでいただきありがとうございます。 暑くなってきたので冷たい飲み物が美味しいです。