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削れるのは生活費とぜい肉だけにしてほしい

暮らしのなかで「もうちょっと減らしたいな」と思うものは結構多い。

たとえば、目を疑うような額の光熱費、帰り道のコンビニでのムダ遣い、税金。

そして、ぜい肉。

この憎き肉たちはいつの間にか、腹やら、顎下やら、尻やら、あらゆる部位に住み着いている。今すぐにでも住民税を払っていただきたいところだが、コイツらは私自身でもあるという事実を考えるとそうもいかない。


とにかく、まずマイナス3キロ。
どうにかなんとか達成しなければ。


「いやいや、3キロくらいならちょっと本気出せば落とせるでしょ?」

その声遮るように放つ言葉
筋金入りのズボラの怖さ
見せてあげよう
ありとあらゆる三日坊主記録更新し続ける姿を

誰だって 食事や運動 大切なのは重々承知
言うは易く行なうは難し
人間はそう単純にできてないし
yeah


このように、屁理屈を長年こねくり回している私にも、マジにならなければいけないイベントが決定した。

“結婚式”だ。

一生に一度であろう、まごうことなく特別な日。

いっぽう、姿見の前には鏡餅のような腹、ぶ厚い背中、赤ちゃんだったら可愛かったはずの腕。

自身のズボラと怠惰が積み重なって出来上がったこの姿で、神聖なるウエディングドレスを纏うのは非常に気が引ける。マジにふざけてる場合ではない。

そうだ、今こそ痩せるときなんだ。
私はついに、もう何度目かも分からない「命がけのダイエット」への挑戦をはじめた。



三日坊主がデフォルトだった私が、今のところは一週間の壁を越えている。ウエディングドレスには人を変える力があるらしい。

もし上手くいけば、パツパツになってしまったデニムをまた普通に履けるよう、いや、むしろカッコよく履けるようになるかもしれない。


しかし、期待に胸を膨らませスタートした筋トレは、想像以上に孤独で退屈だった。運動嫌いの私にとっては決して楽しいものではない。というか、驚くほどつまらなく、ただただしんどい。

しまいには気が散りすぎて、生まれてこの方一度も見えたことのない幽霊の存在に怯えるほどである。意味がわからなすぎる。

意味がわからないけど、言いわけさせてほしい。


私が筋トレで利用しているアプリは、ご親切に「トレーニングを始めてください」「3、2、1…」など、メニュー毎の音声案内が入っている。

どういうわけか、これがちょっと怖い。

昔から「放送休止中のテレビから流れるピーという機械音」や「電話の自動音声案内」が苦手だ。なんというか、抑揚のない声や、終わりの見えない音がどうにも不気味に感じる。人間の意思が伝わらない感じが怖いのかもしれない。

さらに私は、基本的にお風呂に入る前に筋トレをする。つまり、あたりが薄暗くなってきたころにトレーニングを始めることになるのだ。

そのルーティンに例外はなく、今日も私はいつも通り青いヨガマットの上に座り、アプリを起動し身体を動かす。

昼間は鳴いていたセミ、聞こえていたはずの子供たちの笑い声。さまざまな生活音が夜の闇に溶けていき、静まり返った部屋には無機質な声と自分の呼吸だけが響く。

「あと10秒」

……

「3、2、1」

いやこわァ!!
なんの10秒ですか?私をあの世に連れていくまでのカウントダウンですか??

こうなってくると、いやに背後が気になる。
筋トレの汗に混ざって、冷汗も流れる。

健康になるための行動で、なぜムダに憔悴していくのか。

嗚呼、どうして扉、微妙に開いたままにしちゃったんだろう。絶対あの隙間から見えないものを見ようとしちゃうじゃん。見えたことないけど。


まだ恐怖に支配されていない意識の一部を、まぬけな思考に全振りする。怯えてばかりいては折角続きそうなダイエットがまた失敗してしまう。

手っ取り早く聴覚からの恐怖を振り払うべく、居間のテレビをつけようと立ち上がる。目の前の鏡には、怪異と筋トレに疲弊した自分の顔が映った。

「うおッ」

ここまできたらもう、なんにでもビビる。ゴキブリが出たあとに充電コードにビビったり、なぜかちょうどよく手元にあるチョコボールにビビったりするのと同じである。


なんか面白いこと考えないと…!
面白いこと…面白いこと…

目を血走らせながら恐怖を振りきるべく頭をフル回転させ、そうだ、と頭の豆電球が点灯する。


“自分”を眺めながらやれば、結構面白いのでは?


本来、万物を映す鏡は怪異や恐怖のイメージが強い。しかし、自分でいうのもなんだが、トレーニング時の私の顔はかなり面白い自信がある。

そもそも、運動不足を極めているせいか筋トレ中は大袈裟なくらい苦しむ。己の哀れな姿を見ていたら、冷静になって段々笑えてくるかもしれない。


思い立ったら即行動。悪鬼滅殺、悪霊退散。見えない恐怖に怯え、ゴリゴリ削れているメンタルを一刻も早く修復したい。

乱れた呼吸を整えながら目の前にズリズリと全身鏡を引き寄せ、トレーニングを再開する。


「トレーニングを開始します」

全身運動から。両手を大きく上に振り上げるモーションと同時に、ジャンプしながら両足を閉じたり開いたり。これを30秒間。

当たり前だが、まだ表情には余裕がある。

とか思ったのも束の間、3つ目のメニューが終わったあたりから、身体も顔もどんどん険しくなってきた。なんか、ゴルゴ31みたいな顔してんな私。とくに腕立てふせがキツイ。

「ィ~~~アァ~~~!!!」
「ニィ~~~ゥァ~~~!!!」
「ザァ~~~ンァ~~~!!!」

たった5回の腕立てふせでこのザマである。一応断っておくが、私はバイオハザードに出演しているゾンビとかではない。


ゾンビの如く苦しんでいるうちに、地獄の筋トレは終盤に差し掛かる。トレーニングの激しさはピークを迎えていた。

大きく両手を振り上げてジャンプしている私は、両鼻の穴をこれ以上ないほど大きく膨らませている。おまけに、疲れのせいか謎にニヤけ顔である。おい、なにがそんなに可笑しい。

ふと、鏡に映る自分の姿が“誰か”に似ているような気がした。というか、これ、あれだ、


アンパンマンに出てくる「カバオくん」だ。

今にも「アンパンマ~ン!!」と叫び出しそうな顔すぎる。


いや、カバオくんは可愛い。あのフォルムだからこそ可愛い。でも、ぼてっとした身体の三十路女が滝のような汗で額をテカらせ、ちょっとニヤけながら飛び跳ねているのはもう、ただの恐怖映像だ。幽霊より怖いのは己のほうだったかもしれない。


「ハァ……ハァ……これで最後……」


なんとか最後のメニューである「プランク」まで辿り着いた。

プランクというのは、肘を床についた状態で体を平行に数十秒保つトレーニングだ。これが、慣れるまでは結構しんどい。

だが、今日の筋トレはこれで終了。
三十路カバ女はお化けにも負けず、最後までやりきってみせる。

息も絶え絶え、燃えカスほどのパワーを振り絞り30秒間のプランクに耐える。フスーッ、フスーッと激しく鼻から息がもれる音を聴いていたらカバオが脳裏によぎり、呼吸が乱れ腹筋がつりそうになる。落ち着け、落ち着けカバオ。いやまて私はカバオじゃない。


「3,2,1……トレーニング終了です。お疲れさまでした」

「ッツァ~~~!!!」


オッシャー!!やりきったぞ!!
音声カウントと共に、フローリングにおもいきり突っ伏す。

清々しい達成感に包まれながら顔を上げると、カバオくんとは違う、だが覚えのある顔がこちらを見ていた。

プルプルと震える腹筋の心地よい痛みと、ジーンと痺れる感覚が二の腕に伝わる。その余韻に耐えるよう、歯茎を剥き出しにして唇をプルプルと震わせ、歯を食いしばっている。

鏡に映っていた私は、かつてエイリアンと激しい死闘を繰り広げたこともある「プレデター」そっくりな顔をしていた。

カバオくんの次はプレデターって、自身の振り幅の広さを喜べばいいのか、どちらも人ならざるものだと悲しめばいいのか。

しかも、これからずっと筋トレするたびカバオとプレデターがチラつく羽目になるのか。世の中には知らない方がいいことも確かにあったんだな。

ていうか、自分の顔のプレデター感が結構すごくて、笑えるよりちょっとショックが勝るんですけど。

頭と体を使って疲れたプレデターは何度か小さく鳴き、ぐったりとヨガマットに項垂れる。そのまましばらく、動くことはなかった。


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