
〈第13章〉 「泣くな研修医」 中山祐次郎 幻冬舎
現在、僕のTwitterのタイムラインの3分の2は、医療関係のツイートだ。医療関係者のSNSをフォローするきっかけとなったのは、中山祐次郎先生との出逢いがきっかけだった。
出会いといっても、実際にお会いしたわけでなく、SNSとしてスタートして間もない頃の755を、訳もわからずクリックしていたら、アイドルの名前ばかりが並ぶリストの間に、全く雰囲気の異なるアカウントがあった。
毎朝、「おはようございます」の一言で始まり、フォロアーの言葉にも丁寧に返事をされていた。実はその後、755で中山先生とトークしてみたこともある。内容はすでに忘れているが、丁寧なお返事をいただいた記憶だけは残っている。
Yahoo!や日経ビジネスの記事をクリックすると、時々中山という名のお医者さんが記事を書いていた。あの中山先生と同一人物であることに気づいたのは、恥ずかしながらしばらく時間が経ってからだった。
その後、中山先生36歳の時、存続の危機に直面していた福島県広野町の高野病院の院長となる。2016年のことだが、震災の記憶が生々しい中で話題になっていた。僕もこの頃から、ニュースや記事だけでなく、ブログ、ツイッターなどSNS全般もフォローするようになっていた。
なぜなのか自分でもよくわからないのだが、ファンになっていた。(割とミーハーな意味で笑)「幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと」(幻冬社舎)「医者の本音」(SBクリエイティブ)などの著書は、予約してすぐに読んだ。どちらも、医療とは何か、どうあるべきなのか考え、日々の葛藤すらさらけだしながら、一文一文を綴っていた。
そして、まさか、その中山先生に直接お会いできる機会が訪れるなんて、755をクリックしていた頃の自分は、想像すらしなかった。「医者の本音」出版記念の講演会が、2月26日(火)に開かれるのを知り、瞬間決済で3000円を支払った。
早い時間に、大手町の会場に到着したので、いつもの通り一番前の席を陣取った。講演の直前、中山先生の姿を始めて目にして、なんだかかなり緊張している自分がいた。
「医者の本音vs患者の本音」と題された講演は、とてもわかりやすく、終始優しい笑顔と和やかな雰囲気で進んでいった。来てよかった、と心から思えた。そしてわかったこと。
僕は最初から、作家として中山先生のファンになっていたんだと。
極度に研ぎ澄まされた文章、素人に書くことが難しい文章で勝負する作家はもちろん存在する。スリリングな冒険へ旅立つような読書は、個人的に大好きだ。小説にせよ、論説にせよ、濃縮した言葉の世界をそぞろ歩くのは楽しい。
その一方で、シンプルだけれど奥深い思考、結論を出すことが難しい事象を、伝えようとする情熱をもちながら、専門家以外の人に対してもわかりやすく文章にする。時間がかかり、難しい作業である。
そんな中山先生が、小説を出版された。熱く、優しく、楽しく、そして重い。是非読んで欲しい。
「泣くな研修医」(幻冬舎)
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