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不便な生活は決して不幸ではない

オーストラリアに移住してきて、13年目。日本人美容師夫妻と8歳、6歳、1歳の3人の男の子を持つママこと、モンブランです。

メルボルンもだんだんと暖かくなってきた今日この頃。

そして、ロックダウンも少しづつ緩和されてきました。

夜間の外出規制がなくなりました。今までは夜の9時から朝の5時までは家から出てはいけないルールがありました。

しかし、今日からそのルールは無くなりました。夜間の外出OK!!しかし、すべてのお店は夜8時に閉まるのでこのルールが撤廃されたとしても意味がないように思います。

それから、買い物に行く人数制限がなくなりました。今までなら、1人だったんですが、それが子供連れや家族連れでもOKになりました。これは子供たちにとっては嬉しいかも。

次は学校です。10月12日からすべての学校が再開されるみたいです。

なので、たっつーとスネ夫は来月から学校に通うことになります。

メルボルンのコロナの感染者数一時期700人超えていましたが、最近では10人~20人台で推移しています。

これを見て不便だなーと思いますか?

実際不便です。


私は18歳まで、地元の高知県で育ちました。高知県と言っても高知市まで、車で2に時間半かかります。

人口2000人の小さな町。2000人って??あんまり想像がつきません。私は5人家族なので、単純計算5人家族だったら、400家族しかいないってこと。今私が住んでいるアパートは1棟144戸です。なので、このアパートが3棟ですべての人が住める。とういうことになります。

小学校、中学校は町内に1つしかありませんでした。高校はないので、町をでてバスで30分以上かけて通っていました。コンビニも歩いて行ける場所にはありません。

小学校のクラスメイトは16人。中学校のクラスメイトは9人。スーパーは町に1つしかなく、学校が終わると川や海で遊んだり、夏にはザリガニやカブトムシを捕まえたり、中学校にはプールがなかったので、水泳の授業は川で泳いでいました。金曜日の午後からあったクラブ活動で川にアユを釣りに行ってそのまま家の持って帰って焼いてもらったりそんな自然豊かな場所で育ちました。

私はそんな田舎が嫌で都会に憧れていました。東京は親に反対されて、大阪の美容学校に進学しました。それから、就職が決まって私は大阪のミナミと呼ばれる、難波、心斎橋エリアで働いていました。

ミナミはとても便利でした。なんでもある。遊ぶ場所も人もいっぱい。駅の周りには高いビルが立ち並び、お金さえあれば買えないものはないくらい、なんでも手に入れることができた。若さも、時間も、愛情も。

ピンク色のネオン街。

通りすがっただけではわからない、人間の欲望が絡み合った世界を私はミナミのネオン街で学んだ。

それから、私はオーストラリアへ渡った。

そこは、まるで異国。

国が違うと、文化も違う。

私は、また人生のリセットボタンを押した。

・毎回遅れてくるバス。

・土日は違うルートしか走らないバスに終電は6時とめちゃくちゃ早いバス。

・土日はスーパーやお店は4時に閉まる。

・家に子供(10歳未満)だけでお留守番させることは、法律で禁止されている。

・子供(10歳まで)は学校に一人で行くことができない。友達の家に遊びに行くときでさえ、親が送り迎えをしないといけない。

・日本食材が限られた場所でしか売っていない。

その他もに不便なことはたくさんある。でも便利なこともある。

それは、オーストラリアでは、銀行のカードがクレジットカードのような役割を果たして銀行のカードで買い物ができる。クレジットカード機能がないので、自分の口座がゼロになると使えない。財布に現金があるとか、ないとか気にしたことがあまりない。これはめちゃくちゃ便利だ。

そんな不便な生活をつづけると、どうなるのか?

人間は、その不便な生活に適応できるようにプログラミングされている。

私がオーストラリアに来た当時、みんなで焼き肉(BBQ)をしようとしたけど、焼き肉のタレが売っていない。

そんあこと、よくあります。

醤油と、砂糖とリンゴと玉ねぎとニンニクをすりおろして、酒とみりんをいれて煮立たせる。

自家製焼き肉たれの出来上がり。

なかったら、あるのもで作る。

これまでに、私が作ったもの…

焼き肉のタレ・ドレッシング・マヨネーズ・魚の干物・うどん・ラーメン・パン粉・シュークリーム・マカロン・酢・梅酒・餃子の皮など。

趣味の物もありますが、日本で買うより格段に高いものは作ってきました。

今では、うどんやラーメン、焼き肉のタレ・餃子の皮などは、お手軽に手に入るようになったので、作ったりはしていませんが、あの頃は一生懸命作っていました。

そして、作ることによって喜びや達成感も一緒に得ることができました。

不便イコール不幸ではなく、逆もまた便利イコール幸せではないと私は気づいた。

私のおじいちゃんは耳が聞こえない。 

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私の海外育児生活や今までの人生、家族、趣味について(すべて事実)をnoteに全部書いています。そして、少しでも私の記事がお役に立つことを願っています。サポートしていただいたお金は、母に軽自動車を買う費用にあてたいと思っていますのでよろしくお願いします。私に親孝行させてください。