人間は死ぬとどうなるのか
もう30年以上も前の話。
年齢は22歳で1990年の3月頃(数え年の23になる年)に起きた不思議な現象。
人間は、まだ見た事のない未知の生物が居ることを知らない。
アメーバとも違うプランクトンの集合体なのか不思議な生命を持った存在が海には存在する。
ダニの形をしてたり、蜘蛛の形をしてたり、蟹の形をしてたり、最後に目撃した時には、人の形をした透明な人間の大きさを超える厚さ1.5~2mm程度の不思議なエビセンくらいの厚さの割れると溶ける奇妙な生物。
しかもその生物は、人の心に話し掛けてくる。
僕が言われたのは、「人は死ぬと海にかえる」という言葉だった。
ダニのような形の大きさが60㎝以上もあるような透明な生き物が話し掛けてきた事があった。
「俺も死ぬ前は人間だった」
人は海で選別され、また生を受けるという内容だった。
それがダニの形だったり、蜘蛛の形だったり、輪廻転生じゃないけど繰り返されるというもの。
白昼夢だったのかも知れないし、本当に透明な生物が語り掛けたのかも知れない。
自分の潜在意識の中に無かったものが話し掛けてきた。
その後もUFOの大群に遭遇したり、あの直径3mほどの光体には人は乗れないだろう。
上下動を繰り返したり、15m前後まで近寄って来て一緒に並航したと思ったら瞬時に見えない上空まで登り素早く戻ってきたり。
まるで意思を持つ光の塊りが、自然現象ではない事をアピールしてるようだった。
大昔の人なら、神の降臨だというのだろう。
100を超える光の群れの存在は、三日三晩も続き、毎晩夜の19時半くらいから22時くらいまで2~3時間ほど遭遇した。
つまり、見間違いとか錯視や錯覚でもなく、乗船員21名全員が目撃した内容だった。
慣れてる人にすると大西洋のモンテビデオ(ウルグアイ沖)からブラジルでは頻繁に見られるという事だった。
特にモンテビデオ沖からリオ・グランデ沖に掛けての沖合では、珍しい事ではないという話。
物凄い速度の瞬間移動のような光体の速度は、線香などの灯かりを暗闇で振り回してるような光の航跡を描くほどの速さ。
もし地球上に人とは違った文明人が存在するのなら、乗り物としてかドローンのようなUAVとしても技術的に敵わないレベルの技術差が存在する。
僕は太陽系内には、宇宙人というのは居ないと思っている。
神話などの内容から神は存在した訳だし、不思議な小人の冶金を行なう技術を持った者が居た事も分かっている。
その神話の中の小人たちは、何処に消えたのだろう。
絶滅したのか?
ギリシア神話では膝の丈ほどの大きさの小人族が表現され、北欧神話などでは冶金を行なう者として神々の武器を作っている。
特にグングニルと呼ばれる槍に関しては、現代のミサイルそのものを言い当てている。
山を削り取る槍として表現される。
神は、戦って死ぬとバルハラに行くとされる。
年老いて死んだ者や病気で死んだ者は、受け入れられないらしい。
僕は、透明な生物が言った言葉の意味が、何となく分かる気がして来てる。
土に返るのか、地球上で塵となり、もう一度、生物の魂となって生まれるのかは分からないが、すべての生物には、輪廻転生のようなのモノがあるのだろう。
植物の小さな種には活力があり、人は種を食べることで生命力を得ると考えたのが、米や麦などの穀物を食べるという習性になっている。
植物の多くは、空気中の水分や二酸化炭素を栄養として吸収しエネルギーを作り出す。
最近になり、石油の基となっている植物が、ボツリオコッカス・ブラウニーのような藻類から成り立っている事が解明され始めてる。
つまり、石油資源は枯渇しないということ。
人は無駄を好む。
人は創造する事で、未来をつくる知恵を持ってる。
雇われる者と雇う者の違い。
意外と理解されてない。
左翼思想にある資本主義の否定。
資本主義にある社会主義の否定。
どちらが正しいのかは、ヘンリー・フォードの成功を見れば明らかなように、創造する者が世界を躍進させる事が理解できる。
フォードが当時のビジネスの概念を変えた事は事実であり、それまでノブレス・オブリージュ(領主や名士)を相手に商売をする事で利益を得るという考えを根本から変えたのが、ヘンリー・フォードが行った農業などの牧場主への自動車の普及。
アメリカで資本の概念が大きく変わり、これまで王侯貴族や領主などの統治者により消費されていたものが、産業の拡大と共に多くの民に利益を与える事に繋がっている。
逆に言うと、物が溢れる時代になり、多くの民が欲を持つようになると不平不満が満ちてくる。
不平や不満は、お金を得ても消えるものではなく、税の公平性を訴えるようになる。
何故こんな話をするかというと、死んだら何も残らないし持って行けないのだから、どうして不平や不満に固執するのかという話。
人生死ぬまでの暇つぶしと嘯く西村博之のような人も居れば、世の中を良くするという謳い文句で政治家となり、愚策を重ねる政治家も大勢いる。
僕の母の従弟は、1986年に東証二部上場を果たし、現在も東証一部上場後にプライム市場で生き残ってる珍しい企業を作ってる。
死ぬ間際に株式を全て開放して息子(はとこ)を社長とし、一部上場へと変更してる。
僕が28歳の時に、母の従弟から諭されたことは、会社とはどういうものなのかという考え方だった。
当時、1,500人の従業員が居て、その従業員には家族が存在する。
1,500人の従業員に妻や子供が居れば、6,000人の家族を養う覚悟が必要になるという話だった。
僕はその時に初めて、会社を背負うという事の意味を理解した気がした。
僕は好き勝手に生き、やりたい事をやりたいようにやって来たので、後悔の念はない。
弟の死を機に、僕が22歳当時に体験したあの言葉が蘇ってきた。
人は死ぬと海にかえる。
人は死後、海を漂っているらしい。
あの不思議な体験から33年以上が過ぎてる。
8月が終わる頃に、弟の45日が過ぎる。
僕の今後の人生で、ヘンリー・フォードを超えるような出世はないだろう。
だけど、資本主義のお手本のようなサクセス・ストーリーを築くのは、一つの技術だったりする。
海にかえるまでの短い人生だと思うけど、やり残したことをやって死にたいと思うようになった。
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