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いずれ大人になる君へ

29歳になりました。

数年前は「このまま30歳になったら生きていけないじゃないかな」みたいな強迫観念や焦燥感があったのですが、ここまでくるともうあらゆることを受け入れて生きていくしかないのかなという境地になってきました。

日々は仕事も生活も理解ある人々の支えのおかげで、相変わらず自由気ままに楽しくやらせていただいていて、本当にありがたいことに昨年末からは個人でライターやPRのお仕事をいただく機会も増えました。

興味のないことは基本的に一切やらない、興味のあることは常に全身全霊でやるという子どもみたいな姿勢のまま気づけば社会人5年目に突入してしまったのですが、これまで関わらせていただいた仕事は全て誇りを持ってやってよかったと思えるものになっています。

ポートフォリオにまとめてある20代後半にやらせてもらった仕事(すべて自分が主体でやったというよりは、関わらせてもらったというかたちのも含めてますが)は、ままならない人生の中で、唯一胸を張って肯定出来る部分かもしれません。

一方で、この数年は仕事にも生活にも頭打ち感、行き詰まり感を感じていました。高校2年生の時に高機能広汎性発達障害と診断されて以降、引きこもっていた浪人時代なども含めて、これまではそれほど自分が社会的なマイノリティーであるということを実感する機会はなかったのですが、皮肉なことに20代後半仕事が軌道に乗ってきて、視野が開けて、社会の中で色々な人と出会ったり、メディアや広告を入り口に社会全体のことを考える機会が増えるにつれて、自分が異質な存在であると痛感する機会が増えました。

数年前からの感覚として20代後半の自分は既に「ライフステージの終点にいる」という思いがあって、他の同世代はキャリアアップ、結婚、マイホームの購入、子育てなど、どんどん次のステージに進んでいくのに、自分はずっと同じ場所で足踏みをしているという取り残されていく感覚や、この先平均寿命で死ぬとした場合の約半世紀をずっと同じ場所で、ゆるやかに衰えながら生きなければならないのかという虚無感がありました。

新海誠監督の映画「言の葉の庭」で、休職中の国語教師の主人公のこんなセリフがあるのですが、上映当時大学生の頃は素通りしていた言葉が、少し前に見返した時に深く刺さりました。

27歳の私は15歳の頃の私より少しも賢くない
私ばっかりずっと同じ場所にいる

人と親密な関係を築けない、未来を描くことが出来ないという悩み、葛藤は私個人の特性(こだわり)に基づいたあくまで、一面的な物事の捉え方に起因するものであると自覚しているのですが、一方で、高機能広汎性発達障害を抱えている人の中で一定共通して見られる傾向でもあるという説もあって、この問題にはライフワークとして取り組んでいきたいと考えています。

発達障害の当事者として所属している会社や個人での取り組みや発信は以下にまとめていますが、今後もマイペースに続けて行きたいと思っています。

客観的には、自由に自分のやりたいことを仕事にして働くことが出来ていて、少ないながら趣味を共有したり悩みを相談する友人にも恵まれて、何不自由ない生活かもしれないのですが、ずっと「大人になれない」という自意識を抱えたまま歳を重ねること、普段生活する中で接するメディアや人の何気ない一言に疎外感を感じる経験は、じわじわと自尊心を蝕んで、何のために生きているのか分からないという思いは年々強くなっていきました。

でもこれは自分自身の考え方、生き方を変えることでしか乗り越えることは出来ないと思うのでこれからも自分なりに向き合っていきたいと思います。

29年生きてきて今この瞬間に感じていることは、自分の人生の可能性を全て使い果たしてしまったという喪失感や、家族や健康、未来の希望等大切なものが1つづつ失われていく恐怖感なのですが、もちろんそれだけではないはずで、きっと出来るようになったことや、人との出会いなど、積み上げてきたもの、未来への可能性を秘めているものもたくさんあると思います。

20代最後の1年は、自分にとって残された可能性、希望を地に足を付けながら丁寧に掘り起こしていく1年にしたいと思っています。

最後にお知らせになるのですが、本文で書いたマイノリティーとしての葛藤や、ライフステージの終点にいるような行き詰まり感、他人とうまく繋がれないもどかしさなどを、対話の中で開示してそれをグラフィックレコーディングにまとめてもらうというワークショップに参加した際の様子が六本木にある21_21 DESIGN SIGHT ギャラリーで10月16日(金)から開催予定の「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」で展示される予定なので、関心のある人は是非ご覧ください。

家族、結婚、発達障害どれかに "もやもや" を感じている人には何か得られるものがあるかと思います。

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追伸**
30歳になることが現実味を帯びてきた数か月前くらいから、自分の半生を総括する文章を書きたいと思うようになりました。
ただ、ストレートに書くにしても誰に宛ててどんな内容を書けばいいのか考えがまとまらなくて、ある時ふと、恐らく生涯出会うことのないであろう自分の子どもあるいは、子ども時代の自分や、そんなかつての自分と似た境遇にある未来の子ども達に向けて、30年弱生きて来た中で感じたこと考えたこと、まごころから伝えたいと思ったことを記録して残すという意味での「遺書」を書くという構想を思いつきました。

未だその取り組みは実現出来ておらず、その文章につける予定だったのが本文のタイトル「いずれ大人になる君へ」でした。
この未来の子ども達に向けての遺書については20代の残りの1年間で何らかのかたちにしたいと考えています。

人と社会とうまく繋がれない、何のために生きているのか分からないそんな虚無感を抱えた自分にもいくつか希望はあって、1つ確かな手ごたえがある物としては、自分が好きなもの、つくったものを通して人と社会と繋がるという手段です。

生涯出来る限り続けたいと思っているライターの仕事も、趣味でのめり込んでいる写真も、ずっと続けている本を集めることも、部屋をつくることも、こうして誰が読むかもわからない文章を綴ることも。
すべて思いがけないところで、自分と他者を社会を繋いでくれるかもしれないという希望、自分が生きる中で残した痕跡がまわりまわってどこかでほんの少し誰かの心に触れることがあるかもしれないという希望で、私をこの世界に繋ぎとめてくれます。

思考が発散的な自分にはよくあることなのですが最近ふとしたきっかけから坂本龍一の「The Other Side of Love」という曲にハマって憑りつかれた様に繰り返し聞いていました。

1997年発表の今から20年以上の前の曲で、元々坂本龍一の大ファンの自分としては、今までこの曲を知らなかったことに驚いたのですが、曲のメロディー、歌詞のテーマなどすべてが、今の2020年を生きる自分のための曲に思えて、出会うべくして出会えたという喜びと救いを感じていました。

In my heart, I know I must be right
Darkest shadows will someday come to light
I've been down, but I can rise above
I keep searching for the other side of love

※The other side of love / 坂本龍一 feat.Sister Mからの引用

もちろん、作品との運命の出会いというのは私の思い込みに過ぎないのですが、まごころを込めてつくられたものは、時に、時代や国境、時間や空間など壁やあらゆる文脈を越えて、今ここにいる一人の人間の救いになりうることを私はこの人生の中で知りました。

幼い頃に夢見た、思い描いた20代の終わりからは、果てしなく遠い場所に来てしまい、未だに今自分がどこにいるのか、これからどこへ向かえばいいか分からない状況ではありますが、これからも目の前の現実と真摯に向き合いながら、自分が囚われている世の中の普通とは「別のかたち」で他者、社会と繋がって、この人生を全うしたいと思います。

(2020/9/14)



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