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僕と業界を変えたDragonAsh。というかKJ


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ミクスチャーロックは好きですかあああぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁああaaaaaaaaaaaaaAAAAAAAAAAAAAAaaああああああああああああああ


僕がDragonAshと出会ったのは小4の時。それはたばこで煙たい5つ離れた兄の部屋から聞こえてきた。

兄が通ってる中学が家の近くにあったので部屋が溜まり場みたいになっていて、そこに顔を出しては兄の友達に遊んでもらい可愛がってもらっていた。

兄やその友達からうけた影響はかなりデカイ。今になってもその影響は古傷のように残っていて、たまに疼いては思い出し、取り入れ、繰り返している。その中の一つが間違いなくDragonAshという存在。(以下DAと省略)

最初は何気なく聞き流してたあのハードなビートとラップは、ボディーブローのように脳へダメージを与え、蓄積され、いつしか体で激しくビートを刻んだ。Hey!!Yo!!マザファカ!!

当時、三代目 J SOUL BROTHERSや菅田将暉的な存在だったKJはファッションアイコンとしても若者から絶大な支持をうけていた。COREFIGHTERやGDC、COOTIE、モノでいえばレイバンのサングラスやフェルトハット、黒のラバーリング・ピアスなんかはKJが好んで身につけていてそれを若者は真似て、KJ二世が街に溢れた。ジャンルでいうとストリートとグランジっぽい感じ。"KJ"というのが一つのブランドみたくなっていた。それらを身に着けていた兄達はものすごくかっこよくて輝いてみえた。

むちゃくちゃに欲しかったが小学生なので勿論買えるはずもなく、母と似たような服を探しにいくがないので、我慢してBADBOYとPIKOという小学生御用達のハイブランドで買い揃えKJのように立ち振る舞った。

そして、小学生ながらKJを中心とした当時の最先端のファッションや音楽・カルチャーに触れながら、高校生のお兄ちゃん・お姉ちゃんに超チヤホヤされてなにが起こったかというと








そりゃもうむちゃくちゃに、ませた



まじでほんまにただのクソませがき。デジタルが現在のように進化していたらたぶんYoutuberになって音楽変えっぞとかいいながら自撮りTiktok三昧。一生顔がエイリアン。一生顔からハートでてた。

美容院で髪をおしゃれにして、兄に頼んで毛を茶色く染めてもらって、眉毛を細く薄く整えてもらい、習い事のハンドボールで出会った別の小学校の女の子と付き合ってアイススケート場でデートとかしてた。ジローラモばりにキザでロマンティックなプレイボーイだった。

人生で一番ませてた時期だったと思う。

(後ろに手を組み、目を細め、アリミノのワックスでスタイリングしてむちゃくちゃかっこつけて小学校の卒業式に望んだ時の写真)


そんなこんなでKJにうけた影響は絶大だった。兄の目を盗んではMDを拝借し、布団の中で宇多田ヒカルばりに音楽に没頭。兄の目を盗んではVHSを拝借し、KJのファッションや立ち振る舞いの研究に勤しんでいた。

当時のDAは今では考えられないくらいHIPHOPシーンに君臨していて「LILY OF DA VALLEY」のアルバムで完全に日本の音楽業界を変えた。HIPHOPやRAPに市民権を与えたのは間違いなくDA。今でさえHIPHOPがメインストリームにきてるが、それもDAのくそデカイ功績があったこその話。DAが出てくる前にHIPHOPやミクスチャーをやっている奴らはいたと思うが、ヒットチャートに風穴を開け、一大ムーヴメントを起こし、世間一般にそのジャンルを知らしめ、定着させたのは間違いなくDA。

更に、業界が引っくり変えることを成し遂げた年齢が、この時まだ22・23歳くらいの時。今の時代そんなやつがいるだろうか?いない。年齢の制限を外しても数えきれるくらいしかいないだろう。それくらいマジモンのカリスマ。化物。本物。おつおつおつ。

僕らはそんな彼らに没頭し続けた。いや没頭しない暇がなかった。J-PHONEのCMで起用された「Life goes on」。2002年に開催されたW杯のアンセム・DAの代表曲であろう「FANTASISTA」をリリース。次々とヒット曲を生み出し超超超CHO絶好調のそんな中、ある事件が起こった。








公開処刑だ






キングキドラによるDAとKJへ向けた名指しのDIS曲。不気味なビートから醸成される不安は、見事に的中した。ガキの俺でもわかる明らかな攻撃的なメッセージだった。

星の数ほどいるワックMC これ聞いてビビって泣くMC
まぁせいぜいスキル磨きなめいめい 覚悟決めるのはオマエだ kj
他の奴ら ようはねぇ バンド取り巻き ようはねぇ 臭え金魚の糞 ようはねぇ
オメェのグレイトフルデイズも今日まで この先は通さねぇぜフェイク野郎
この俺が自ら手下そう この前のアワードの会場じゃ 生じゃねえし どーしようもないもんな
俺が来るの知ってて来やがって すれ違えばペコペコしやがって こっちはシカトだ テメーの腑抜け面
マジどうしたらそんなんで許せるか 声パクリ そしてフローパクリ ステージでの振る舞いも超パクリ
マジ神経疑うぜ まるで物真似歌合戦 親子で出にゃつまらんぜ じゃなきゃ 俺のファンクラブでも
作りゃ ちったチャンスやる
YOU LOVE HIPHOP だが HIPHOP DON`T LOVE YOU
ひっぱたかれて速攻 FUCK YOU
(一部抜粋)

まるで自分や家族が攻撃されているような気持ちになった。胸が痛かった。東京に行った時におもちゃやゲームには目もくれず、原宿で地元では手に入らないDragonAshグッズを漁ってたくらい好きだった僕には本当にショッキング出来事だった。

それ以降、心なしか兄達も業界もDragonAshだせーwみたいな雰囲気で見放したような気がした。この一件以来、DragonAshもセールス的には上々という印象だったがこれまでのような勢いがなくなり、アンサーソングも出さないまま、徐々にメインストリームから姿を消し去っていき、それと連動するように僕の興味もなくなっていった。



時は経ち、専門学生になった僕はHIPHOPを中心にいろんな音楽に触れ平凡な人生を歩んでいた。その間僕とDragonAshの関係というのは、存在は頭の中にあるが新曲がリリースされてもちょっと聞くだけで、はまらなかった。あの時貼られたレッテルは未だ剥がれないまま残っていた。


ちょうどそんな頃ある曲がリリースされる。

ROCKBANDという曲。
簡単にいうとDAのヒストリーソングでロックバンドや音楽を目指す人たちへの応援歌みたいな感じ。この曲はなぜか最初から最後まで聞いた。メディアで結構ピックアップされてたからかな。理由はどうであれ引き込まれるように聞いた。そして聞き終わり一言。






おかえり。DragonAsh。



久しぶりに聞くDAの音楽はかつてのエネルギーと遜色なく、当時をフラッシュバックした。そして、なぜかリリック一つ一つを自分とKJを交差するように照らし合わせた。

時は流れ冷めぬ感情
突き動かすあの頃の感動

うんうん。今突き動かしてるよ。あの頃KJと出会ったときの感動は忘れてなかったよ。。。

まるで街角のポスター
一つ張られ一つ消えるロックスター

うんうん。あの事件がおきて僕の中のDAは消えたんだよ。。。

俺達の歌終わんない
これがバンドマンのonelife

うんうん。終わってなかった。終わったと思ってたよ。。。

そして

忘れてねぇ!今もなんも!
俺の夢はロックバンド!






おかえり。KJ。


貼られたままひつこく残っていたレッテルは完全に剥がれ、またDragonAshの曲を聞くようになる。それからはふと思い出しては夢中になり、飽きて、またふと思い出しては夢中になり、また忘れる。その繰り返しだ。ちょうど今またそのフェーズがきていてこの想いが風化しないよう書き記しておく。

これからも一緒に人生を歩んでいくだろうDragonAsh。僕の中にずっと生き続けるだろうKJ。

今思えば、あのDIS曲がなかったら今とは全然違うDAの姿があったと思う。「LILY OF DA VALLEY」→「Life goes on」→「FANTASISTA(ピーク)」そして「公開処刑」が執行され低迷期に陥る。最高なコンディションで「FANTASISTA」の次曲をリリースできていたらどんな曲だったろう。「公開処刑」がなければ今よりもっとスターダムにのし上がり紅白とかでてたのかな。

そして「公開処刑」にアンサーソングを出していたらどう変化していたろう。しかしそんな必要はなかった。なぜなら彼らはロックバンドなのだから

最後に僕からみんなに、一つ聞きたいことがある。







ミクスチャーロックは好きですかあああぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁああaaaaaaaaaaaaaAAAAAAAAAAAAAAaaああああああああああああああ



週1でiphoneの充電器なくなってます