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ホーチミン社会隔離中に思った、飲食店のデリバリーをどう捉えるか(2020年4月23日)

まず最初に

ご存知の通り、私は食べるのが大好きです。
引いては、飲食店も大好きです。

美味しいものを提供してくれる場所として、そのサービスを楽しめる場所として、社会のビジネスを支える場としての飲食店を敬愛しています。

なのでこれは偏った記事になるかもしれません。
が、今回のホーチミンの社会隔離政策を経験し、飲食店に従事される皆さんについて、新たに思いを深めたところがあったので覚書を。


ホーチミンの飲食店事情

今更かい、と言われそうですが(自分、飲食のことをメインに発信しているので)、ホーチミンの飲食事情。

個人的な見解としては、ベトナム料理の奥深さは言うに及ばず、世界中の高水準レシピが集まってるのに、手を出しやすい価格帯という、素晴らしい状況だと感じています。

世界中の質の高い料理が集まる東京への敬意も忘れませんが、何分、東京は私の財布が及ばず、たまに訪れる程度のアウェイな人間の大雑把な感想としては玉石混合、石多め。地元の方には良いお店の方が多いのでしょうが、他県・他国の都市に比べてハズレを引きがちなのが、私にとっての東京。

しかし、もっとアウェイであるはずのホーチミンで滞在8年を振り返ると…人生の中でこんなに自分の食歴を上げてくれた土地はない。

自分のベースは日本にあれど、ホーチミンでは安いローカルフードに凄まじい手間と英知が注ぎ込まれているレシピがあったり、高価格帯で言えば、ミシュランのスターシェフの食事を味わう機会が割りに気軽にあったりするという驚愕の事態。ここは天国かと思う勢い。

日本国内外を合わせると、レビューを書いているだけでも3000件以上(書けていないお店も含むとさらにプラス300件は軽くある)。平均的な食歴の方よりはちょっとだけ色んなものを食べてきている自負があるのですが、ホーチミンにあっては、あらゆるお店が私の知らないレシピを次から次へと繰り出してきて、それだけ食べても感心仕切りの日々。それは私のブログを見ていただいての通り。

我ながら、よく食ってる。うん。
そんなこんなで私はもともと、この街の飲食事情には感謝しかなかったのですが、さらに。


ホーチミンのデリバリー事情

今回の社会隔離政策にあって、大きな役割を果たしてくれた「デリバリー」。これはコロナ以前の日常から大変重宝していて、ブログの中にもカテゴリーを作るほどには多用してました。

特に多忙な中では、自分の時間はとても貴重。家に居ながらにして=出かける時間とコストをセーヴしたままに、新たな食体験ができると言うのは、どんなにコストパフォーマンスの良いことか。

挙句にベトナムでは宅配料がとても安い。

市内だとざっくり100〜200円くらいで収まることが多く、私のように外出時に車を使う人間だと(贅沢に聞こえるかもですが安全性を考えるとむしろ安いという判断)、片道分にも満たない金額。往復を考えると破格。

加えて片道にかかる時間は平均、20分程度だろうか。勤め人じゃないので他の用事のついで、よりも「わざわざ食べに出かける」ことが多い。

そうなると往復30~40分の時間が必要で、オーダーしてから料理が到着するまでの時間、食後うっかりそこでお茶をして時間を過ごすと、1度の食事に往復も含めると2時間位は使ってしまうこともザラ。

その時間有意義ではあるけれど、作業時間として換算した時、200円もしない宅配料と照らし合わせると、デリバリーがどんなにお得かがわかる。

たかが趣味の書き物をすることに対してですらそのように感じられるのですから、稼得単価の高い方にあっては、更に得。

支払う金額だけが対価にあらず。それを取り巻く背景を思うと、ホーチミンでのデリバリーがどんなにありがたいものか。これは、社会隔離となる以前から感じて居たこと。


社会隔離時のデリバリーは是か非か問題

さてそんな飲食店のデリバリーに際しての賛否を見たのは、社会隔離が開始されるか否かという段階の時のこと。

外出を控えるべし、という施策は世界中で取られており、日本でも推奨されているところ。その根拠は、「人との接触を減らすことが感染拡大防止に有効」だから。

これを、家族以外の全ての人との接触を断つべし、と解釈した人の中に、飲食店の営業は一切禁じるべきと考えた方がおられた様でした。もちろん密度が高まる店内営業に関しては政府も早々に禁じたのですが、

・デリバリーに関しても、店内業務で人と寄りあつまる
・宅配時に外部の人と接触がある

などの理由でデリバリー業務すらもすべきではない、という考え方からか、飲食店が心無い言葉を投げつけられている場面も幾度か見ました。

飲食店贔屓な私は反射的に反発したくなったのですが、事は人の命に関わる事。且つ、自分の飲食店贔屓が過ぎることは承知していたので、その場はグッと我慢して改めて考えて見たのです。

飲食店が一切の活動を禁じられたらどうなるか。


もしも社会隔離期間中にデリバリーがなかったら?

これはあくまで想像の話なので必ずそうなった、という話ではありません。予測し得る範囲の、飲食店贔屓の人間が考えたことなので異論反論はあろうかと思いますが…

特にホーチミンの場合を考えた時。
こんなことが起こり得るのではないかと思いました。

【配達員さんの稼ぎがなくなる】

お店自前で配達しているところもありますが、ホーチミンの多くのデリバリーケースでは、オンラインの配車アプリを活用しているところも多いです。

その場合は、最終的にお店が負担しようと客側が負担しようと、配達員さんへの収入が発生します。

隔離政策期間中、他にも多くの方が収入を断たれて困っている人はいるのにバイクの配達員だけ多少儲かったところで、というご意見もあろうかと思いますが、街を一つの生き物として考えた時、少しでも機能している活動はあった方が良い。

目先の話的には多くの人の生活自体が物理的に困る、というのもありますが、街の循環機能を担う配達・配送に関わる人が止まったら、その後へのダメージが大きいのは明白。

安全と天秤にかけて、可能な経済活動は、できる限り生かしておく方が得策である、と考えます。その観点から、デリバリーサービスは配送収益を上げる窓口の一つになったと思います。

【街に人が変わらず溢れる】

自炊以外の食事が必要と言う前提で考えた時、みんながお店に行くよりも、お店があちこちの人に食事を運んでくださった方が、街全体の人出は確実に減ります。デリバリーがなく、仮にこれが店頭販売で持ち帰りのみ許可、という形態であったとしたら…

街の人出はもっと増えて居た事でしょう。外出が禁止されて居た訳ではないし、お仕事をされている方たちは居て、彼らが職場での昼食を買いに外出することを考えたらば、配達の人が一部の人と接触するだけの方がずっと接触機会は少ない。

この場合、配達員さんのリスクは増えるので、あくまでこれは配達員さんがそのお仕事をしてくれるというご意思があり、予防のための対策を十分に取った上でお願いできるなら、という話ですが、ありがたいことにそういう方が多数いて、その需要を満たすために、国もバイクでの配達は許してくれていた(バイク以外の公共交通機関はタクシーやオンラインタクシーの車両を含め止められていた)。

人々の外出を完全に禁止せず、でもできるだけ家にいることを推奨しつつ、店内飲食は禁じるが商品販売は良しとし、バイクでの配達も良しとしていたが政府は、むしろ食品や生活雑貨を宅配という形で利用することでの効果を狙っていたと解釈するのが順当かなと。

そんなの自炊だけしてれば外出する人はもっと減る、もっと安全じゃないか、と言うご意見は正しいのですが、では自炊だけになった場合、どう言うことが起こるかを考えて見ましょう。

【キッチンを持たない人が困る】

ホーチミンにはキッチンのないお部屋がたくさんあります。ご家族で済むようなお部屋であればキッチン必須でしょうけれど、単身者のスタジオタイプのお部屋には湯沸かし程度の設備しかなく、簡素なキッチンが共用で付いている程度、というケースは珍しくないです。

となると、買ってすぐに食べられるものか、お湯で調理できるインスタント食品に限られてきて、実にバリエーションが豊かでない食生活に。

それで十分、それが好き、という方には失礼な言い方になるかもですが、栄養的にも少し心配。単調さに飽きる方も出てこられるかと。私ほどではないにしても、食の自由度を抑え付けられると、それだけでストレスになるということは十分考えられること。

【料理をしない・できない人が飢える】

飢えるなんて大げさな、と思われると思いますが、食事というのは腹を満たすだけのものに非ず。気持ちの上でも満たされない思いがつのる可能性が。

特にホーチミンに在住する日本人の中には単身赴任の方も多く、普段の食事を外食に頼っている方も多いはず。料理好きだって料理をするのが億劫になることがあるのですから、お仕事しながらだと自炊も更に大変です。

外食が好き、というよりも、それが唯一に近い手段、という方がコンビニ飯(日本よりも自由度は低い)だけで過ごすことになったら栄養面でも心理面でも疲弊が加速した思われます。

そしてカロリーが足りることと、栄養が足りる事は別の話。たくさん食べていても栄養的に飢える例は、平穏な日常生活の中でも珍しくないのです。

【これを機会に料理を始めてみた人への危険】

この機会に自炊率が上がったという話は各国で聞かれ、それはそれでいいのですが、食材調達も毎日は行けませんから買い貯め必至。

となると食材の使い回しが必要になるのですが、これが難しい。普段、継続的に調理をしない人となると尚のこと。

ましてや南国。ホーチミンでは食材に対して日本と同じスタンスでいると危険です。1日を通しての気温の高さはもちろん、常在菌も違うので、日本に比べるとものの傷み方も違いますし、扱い方も間違うと危険。

そもそも、こんな例もあるのです。

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鍵垢の方だったので、ご本人の了解を得た上で、匿名は私の判断で掲載させてもらいましたが…

こ、怖い…。上の文章、料理がわかる人が読むと事故案件。読んでも何が怖いのかわからない方もおられると思う。そこが怖い。これ下手したら食中毒まっしぐら。

料理をする人にはわかる食の安全の境界線を、普段料理をしない方に分かれと言っても無理なのです。そしておそらく、料理をやったことがない人が走るのは「時短料理」とか「手抜き裏技」とかそういうやつ。

それはそれで有益ですし、それら全部が危険というものではありません。私のレシピもかなり単純ですし(危険性は排除するよう考えていますが何かあればご指摘ください)。

ですが何事も、基本を持たない人が簡略化したものに手を出した時、確保されるべき安全性が見逃される、もしくは安全性のありかがわかっていないことがしばしばあります。ネットを見てても「それあかーん!」と叫びたくなるような「簡単料理」の多いこと。

コロナにかからなくても食中毒で入院、なんてことになったら目も当てられません。慣れない人が食材を使いまわして料理を継続することの危険性がそこにある。

【楽しみが奪われることのストレス】

食事がどのくらいの楽しみかは人によって千差万別ですが、1日の句読点としてのビールを飲み、望むご飯を頬張ることを嫌う人はいないでしょう。

慌しい生活の中で、美味しいコーヒーとスイーツをカフェで楽しむひと時。これを苦痛と感じる人は少ないでしょう。

ちょっと特別な食事を楽しみたい時だってあるでしょう。それら全ては日常の中の「ささやかな楽しみ」だったりしないでしょうか。

ささやかすぎて日々に埋もれ、それらを当たり前に感じてしまってたことを痛感している人は今、多いはず。

それらを楽しむ環境(お店での飲食)は禁じられはしたものの、「人の手のかかったものをいただける」ことは、ある種の楽しみであり癒しではないかと思うのです。

私に至ってはそれが発見になることもあり、学びにもなる貴重な機会。それが一切絶たれてしまったら…?

別に生きてはいけると思います。ただし、最低限の食生活で。
そういえば、懐かし映画の一場面を引用されてる方がいました。

Before Sunsetの一場面。
美味しいものや、良き環境で食事を楽しむことは、必要最低限ではないし、今回の事態にあたっては自粛すべきことだったかと思いますが、それらを欲するのは人として当たり前のこと。食べ物のことに限らず、そういう欲求があってこそ、諸々は上に向かえると私は思います。

そして上に向かおうとするのも、人として生きていれば極自然な欲求かと。そしてそれが封じられるのは、とてもストレスになると思うのです。

個人的なことを言うと、我が家はこの期間中に結婚記念日を迎えました。その際、ホーチミンの中でも最高レベルにあると思われる飲食店、YAZAWAさんのデリバリーにてお祝いすることができました。これまでYAZAWAさんはデリバリーをされていませんでしたから、これは、一客的には嬉しい誤算。

自作の料理でもそれなりのことはできたでしょう。
でもそれよりもずっとずっと華やかで特別なお食事ができたことで満たされたものは確実にそこにあった。外出ができないからといって諦めなくてよかったんです。これ、すごいことだと思います。

【経済の一部が深く沈む】

ベトナムの数字ではないのですが、例えば日本。裏を取る手段を持たないのですが、この様な試算がある様です。

凄まじい数字。
外食産業というのは経済の中でもかなり大きな部分を占める産業の一つ。数字はないものの、経験と肌感覚から、これはホーチミンでも同じことが言えると思います。

これらが絶えてしまったら、ウイルスのことが落ち着いたとしても、経済的にその後が大変。飲食業には、表に出るお店を支える卸業者さんがおられ、一連の過程でお仕事をされている方がものすごい数いらっしゃるのです。その働き口が絶えてしまったら…

考えるのも恐ろしい。
素人ながらに想像しても、一つの業界が著しく落ち込んだ場合、他への影響も必ずあるはず。それは一時的かもしれませんが、取り戻せない重大な損失になるかもしれないことを思うと、改めて空恐ろしい。


デリバリーがあってくれることの意味

それらの予測に基づいて、デリバリーというサービスがこの事態下にあってくれたことの意味を考えてみると…?

1)食生活を支えてくれる
2)安全を与えてくれる
3)エンターテイメントである
4)経済を支える一翼である

といった役割を担う存在ではなかったか、と思われます。
そしてそれらがあってくれたことで、私たちの気持ちがどれだけ平穏に保たれ、時には支えられ、元気付けてもらえただろうっかと思うのです。

もちろん、飲食店の皆さん方は、ご自身たちが生き残ると言う使命が何より先にあったと思いますが、同時にそう言う側面もあった、と強く思う次第。

そしてこれは結果論ですが、全ての人が一切の外出を禁じられなくても、多くの人が外出しないように協力をし、その他諸々の国の政策もあって、必要な人は仕事のために出勤しても、そしてデリバリーが稼働しても、ベトナムは他に例を見ない成果を上げて、事態の収束に向かおうとしています。


全体の協力の結果

これは飲食店の人たちだけの成果でも、私たちだけの成果でもなく、全体が噛み合った結果であるので、ことさらに飲食店さんだけを持ち上げるべきものではありませんが、ベトナムの飲食店の皆さんさんに関しては、今回の結果に導いた一翼を、間違いなく担ってくれたのではないかと思うのです。

日本で見られる現状下での飲食店へのバッシング(配慮がなかったり自治体などのルールの沿っていない、感染防止対策を取っていない例は除く)であったり、販売小売店への強い風当たり、必要なお仕事をしている方への暴言事例などを見ると…

当初、デリバリーを頑張ろうとしているお店に向けられていた批判的な言葉を思い出します。必死で乗り切ろうとする彼らを、お金のためだけという前提で浅ましい、とまで言った発言も見ました。

その言い分に心底、腹が煮え繰り返ったのはナイショですが、感情的な反発で声を荒げても意味がなかったので、よく考え、経過を見てきた今やっと、「その発言は如何なものか」と言えるに至りました。

ただそれは結果論であり、批判的だった人たちの主張の方が「安全策」であったことには間違いありません。あの段階では一つの選択肢ではあった。

が、幸いにも今回はベトナム政府のコントロールにより、良い結果を導き出せた。これは一つの例として記録すべきことではないかな、と思うのです。


改めて感謝を

ともあれ、飲食店の皆さん、ひとまずは本当にお疲れ様でした。そして、いろんなものを守ってくださって、ありがとうございました。なんだったら、守っただけでなく、色々気付かせてくださったり、今までなかった感動を与えてくださったりすらしてくれたと思っています。

私の読者さんたちからの声は、私個人宛のメッセージなので公開する事はできませんが、飲食店さんに関する数々のご感想からも、多くの人が同じ様に感じていると思っています。勝手に消費者の代表者ヅラをするのも図々しい事ですが、少なくとも私はみなさんに感謝している人を数多く知っているので、それをお伝えしたく。

都市隔離が解けたからと言って、営業停止時の停滞分が即、取り戻せる訳ではないと思うので、手放しで喜べるものでも、お疲れ様、と、こちらが終止符を打っても良いものではないとは思いますが、どうかこれからもますますご発展されて、美味しいものを提供していただきたいと思います。

良き客であれる様に、私もこれまで以上に皆さん方からのお仕事から学び、ますます食べてまいりますので。(やっぱり食うのね)

2020年4月23日
ちぇり



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