中世ヨーロッパ

中世はともかく暗くないと分かった話

またまた歴史もので恐縮です。教養の歴史を、博識で知られる出口氏が執筆した歴史概括書です。ただし、ご本人曰く、学者ではなく、歴史愛好家のような立場で書いたのだそうです。特定の時代を細かく検証するのではなく、趣味レベルで、既存の歴史教科書に選択的に追加記述した感じです。また、歴史に対しての独自の考察があるわけでもないので、雑学集と思って気さくに読まれるとよいでしょう。
※冒頭画像は「中世ヨーロッパ」の暗黒イメージを逆によく理解できるかもしれない番組から借用しました。文末にリンクあり。

本書は、目移りの激しさで、分かったような分からないような、中途半端な構成になっています。ただ、学ぶところはあったので、それを見ていきましょう。本書の知識に、少々情報を追加しています。

中世終盤:中国では反グローバル、欧州ではペスト

書籍の終わりからいきますが、中国で漢民族の王朝が復活しました。中世も終わりになる頃です。それが「明」です。貧民から這い上がった朱元璋は、モンゴルに蹂躙された祖国の復活を期するのですが、少々性質が良くありません。商業を弾圧(貨幣を拒否)し、反グローバリズムに舵を切りました。その代わり、始めたのが、朝貢(勘合)貿易でした。彼は、政権の安定はかりに躍起になり、インテリ層や功臣を虐殺しました。戸籍を整備し統制色を強めたのも時代の針を逆回しにする所業でした。このように、明朝の前半は暗いことばかりが起きます。同時代史的には、ヨーロッパでペストが流行し、多くの農民が死にました。まさに「暗黒」です。このペスト、実はモンゴル軍が世界制覇を行ったタイミングで広めたのだと言われています。人々が国境を越えるというのは、病のタネが世界にばらまかれるのと同義なのですね。今も昔も同じです。

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中世の前半から中盤にかけては、良好だった

中世の終盤に地球全体を襲った寒冷化は、かなり急激なものでした。モンゴルの世界制覇が寒冷化のもたらしたわけでは必ずしもないようですが、遊牧民族が移動を始めるとき、たいていは気候条件が悪くなっています。要は食糧問題なのです。これによって各地の文明は甚大な影響を受けてしまいました。この頃、小氷河期などと呼ばれる期間が交互に生じているようですが、全般的に暗いイベントで占められています。しかし、その「暗黒の時代」と揶揄される中世を、地球の平均温度で見直してみると、それは間違いであることも分かりました。

実は中世の大半は、概ね温暖化が続き、農業生産が拡大していました。庶民は豊かさを実感できつつあったのかもしれません。その証拠に、この頃中国では世界初の農業百科全書『農書』が誕生しました。ヨーロッパでも農業技術の革新(三圃式農業)が広がり、大聖堂の建設が進みました。イスラム圏や地中海で交易が活発化したのも、余剰食糧が増え続けた結果です。

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高度成長の波に乗ったイスラム圏に対し、突如として十字軍が派兵されます。表面的には宗教戦争、いわゆるキリスト教側の聖地奪回を目的としたものとされますが、実際には、ローマ教皇がみずからの権威回復を期して、西欧の大量の失業者を東に送り込んだとされています。そもそもキリスト教は東西に分裂して以降、東高西低でした。同じ宗教内の劣勢を挽回したかったために、第三者を巻き込んだのです。イスラム世界にとってははなはだ迷惑な話です。

今日の中国人はなぜ宋の時代を懐かしがるのか

話題を変えましょう。意外と繁栄していた中世の実例を伝えるものとして、中国の宋朝がいいかもしれません。経済という概念で初めて語れる時代でもあります。鉄器具の普及で新田開発が進み、さらに生産性も大幅に高まりました。そのおかげもあって、社会の分業化と貨幣経済の流れが鮮明になります。鉄の普及を支えたのは、石炭とコークスが活用できるようになったからです。火が身近になったことで、今日の中華料理の原型が誕生したとも言われます。経済とは面白いもので、すべてが数珠つながりのように連鎖していきます。火が鉄を、鉄が農業を、そして様々な産業の勃興をフォローして貨幣が普及。さらに人々の欲望はより多くの物資を求め、海の向こうへと広がって行きます。宋銭は現に日本列島を席巻しました。その後、帝国の比重が南方に移ったせいでしょうか、広州・泉州・明州(寧波)の三大貿易港が開かれます。人々の視野と欲望が格段に広がった時代でした。首都が開封になり、その繁栄ぶりが『清明上河図』に描かれています。この絵は、今日の中国でもたびたび生活空間に飾られています。中国の人々の一番人気が宋朝であることを伺わせます。

本書はともかく書ききれないくらい、歴史の小咄が並びます。まとまりがないので、要約には向きません。また本物の教科書でのそれなりの暗記がなされていないと、読むのは大変だと思います。それでもなぜ僕が取り上げたかと言えば、歴史の雑多性を理解するのにちょうどよい書だからです。歴史とはまさに大河です。底流には大きな流れがあり、河のいずこを取ってもその影響を受けます。しかし、そこそこで生じている細かな渦は、数え切れないほどあって、それぞれに興味深いトピックをなしています。

中世の日本は「内向き」、世界はイスラムが席巻

中世の前半期はまさにイスラム教圏の誕生がハイライトでした。ローマ帝国の瓦解や分裂、その後で伸張した巨大王朝。日本人はあまりその歴史を学びませんが本書ではきちんと触れています。首都バクダートが建設され、人口も当時世界最大だったようです。大都市の建設、すなわち公共事業という概念もここで誕生しました。そして、地中海がイスラムの海に染まった時、古代の後の混迷期が終焉したと言えます。中世と古代との違いは、自然発生的に成立した「国」ではなく、仕組みを備えた「国家」に変わったことです。組織性が備わり、人々の生活の問題解決に取り組む役割をもつようになりました。宗教に支配された暗黒なイメージではなく、実際には、余剰生産のもと成立した分業社会において、様々なルールを設ける「国家」が生じた。それが中世だったようです。そんな新しい中世像を本書で見直してみるのも面白いかもしれません。


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