橋下徹

政治家橋下徹がなした「改革」手法

本書は、ご本人が著したもので、彼が大阪でなしたことの一部が分かります。その根底には、ロジックを整理する力のすごさがありました。
※冒頭画像は、橋下徹の引退会見時の写真です。引用元はその質疑応答を記載した《ハフポスト》の記事。文中にリンクあり。

イデオロギーにとらわれない政治家

同氏の最大の功績は、メディアやコメンテーターが発する情報の多くが、認識の浅い無責任なメッセージだったと暴いたことでした。その具体例は、同氏が政治家であった期間、続々と湧き上がってきました。何しろ敵に回したのが、教育委員会・労組・電力会社・高齢者層・マスコミメディア・自民党&公明党など。圧巻だったのは、何のイズムにも縛られず、とことん現場の問題解決のロジックで対処してきた結果、たとえば原発に対する態度などは、途中から180度変えられたことです。「原発がなくても電力は足りる」と唱えるだけの専門家は多いのですが、万一のことを考えるのが政治家。そう言って、計画停電になった場合の、病院等の予備電源の整備状況を確認しながら、深刻な現実を受け入れました。しかし返す刀で、関西電力は「どうしようもない」企業だとの言説は変えませんでした。相手構わず喧嘩をして、原発反対を騒ぐだけでは「脳がない」のです。まったくもってその通りだと思います。この件は、改革の司令塔として期待した有識者会議から一定の距離を取り、トップダウンでの改革推進に切り替えます。その自己修正もお見事でした。「2万パーセントない」などと言ってから、あっさり方向転換できるところはさすがです。

たった一人から政治勢力を作る

ある方が上手にまとめておられました。橋下氏は、小沢一郎氏に政治姿勢を学び、石原慎太郎氏の行政改革を参考にし、小泉純一郎氏の政策を追っ掛けた。この個性的な3氏をうまく自分の中に取り込んだところが、橋下氏の天才たる所以です。また、それがちょうど、大阪市・大阪府に巣食っていた問題の対処に効力を発揮しました。

①大阪市と大阪府の二重行政:二大行政機関が重複・対立していた非効率を解消させた。②改革を阻む公務員の組合活動を事実上無力化させた。③過度な高齢者寄りの行政を中立な方向にシフトさせた。④地下鉄の民営化をはじめ、行政の負の資産を有効活用した。⑤行政の長としてのトップダウン体制を確立し、国にも強気の交渉を挑んだ。

人を動かし、仕事をさせる「政治力」

巨大組織を落下傘の政治家が動かすのは並大抵のことではありません。特に、彼は、大きな政治勢力をもたない一匹狼でした。足元の役所とも最初は喧嘩腰だったと思います。そんな人たち(役所組織)をロジックの再整理で次々と自分の手足としていった技は惚れ惚れします。また、先に挙げた有識者会議などは、知識・経験で圧倒的に自身を上回る専門家や役人たちと渡り合いました。それも、ロジックを整理する力があったからでしょう。さらに、橋下氏の場合、突出したその行動力・実現力です。政治家は、実行できなければ、存在していないのと同じ。彼のその姿勢が、今の野党(の地位に安住している)をして模範させたいくらいです。

本書は、舛添元都知事の公費流用問題にも、最適な解を示しています。同問題が起こる前から、橋下氏は大阪でこの問題に取り組んでいたました。自分の費用はおろか、維新での政治活動とも一線を引いて、公費を使い分けました。あちこちで闘いを仕掛けているわけですから、こんなことで足元をすくわれたくなかったのでしょう。

問題は、整理してから解決する

橋下氏の問題対処法には共通点があります。まず、過去の歪んだロジックを一度整理するところから始まります。そして対立する相手にも一定の理解を示します。本書で挙げられている「豊洲問題」も、橋下氏なら、小池都知事とは異なるアプローチをしたでしょう。これまでの都庁の意思決定に問題あり、とした小池氏の手法を評価しつつ、豊洲が安全かどうかに固執しすぎる彼女の行き過ぎには否定的でした。なぜなら、過去の役所の対応を非難される立場になり、さらに有識者からも高いハードルを課される。こうなると、過去をひきづり、実効性のある未来すら語れなくなってしまいます。現に、この構図が、都知事の意思決定を無駄に遅らせることになりました。

組織を守ろうとすればするほど、外部からの信用を失います。逆に、組織を軽く見れば見るほど、現実的な解から遠ざかってしまいます。両者のバランスを取ることは、改革思考のプレーヤー(政治家)にとって必須の能力かもしれません。早々に、過去のことを精算し、客観的な解決基準の確立を目指す。過去をひきずればひきずるほど、足を引っ張る人間の数もどんどん膨らんでいきます。引いては、同じ解決策であっても、そのハードルを著しく上げてしまうのかもしれません。

最後の補則ですが、そんな橋下氏ですら「行き過ぎ」があったのかもしれません。『(平成)維新』の会の名付け親でもある大前氏が、そのことに触れています。今でこそ、橋下氏に悪口を言われてしまう大前氏ですが、当初は橋下応援団の一人でした。「無駄な喧嘩はやめたほうがいい」と助言された橋下氏は、みずからの戦術を否定されたと感じて態度を硬化させます。橋下人気の源はきっと、このような喧嘩早いところなのでしょう。しかし、大前氏の助言を多少聞き入れていれば、橋下氏の後を継いだ吉村府知事(元市長)のように、数年早く、粛々と維新改革を実現できた可能性があります。良い面悪い面、背中合わせですから、そこには目をつむるとしましょう。


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