欲深い生き物=ワタシ
この子が健やかに育ってくれればそれだけでいい。
子の親であれば大抵の人がそう思うのだろう。
きっと、そう思わなくてはいけないのだろう。
それが社会通念なのだろう。
しかし、実際はどうなんだろうか?
自分がお腹を痛めて産んだ子どもを自己都合で手放したり虐待したり、時には殺してしまったり。
そんな母親が大勢いる。
自分が出産するまではそんな親達を軽蔑していた。
考えられない。
いまだに、経緯や加害者である親の生い立ちを考慮したとしても虐待に関してはあってはならないし、ハンムラビ法典よろしくお前らも自分の子どもと同じ目にあえばいいとさえ思ってしまう時がある。
ただ、最近、自分もいつかその加害者になってしまうのではないかと不安に駆られる。
私は虐待の被害者だったわけではないし、自分の娘は可愛い。無条件で愛おしい。
目に入れても痛くないという言葉の意味が理解できた。
そのことに嘘偽りはない。
その反面で、私はこの子のためにやりたいことを諦めなくてはならない。
それなのにやりたいことは尽きない。
この子がいなかったら私はもっと自由に遊びに行けるし飲みにも行かれる。
仕事も自由にできるし、お洒落もできる。
欲しい物も自由に買える。
美容院一つ行くのに旦那に預けて大丈夫だろうか?と気を揉むこともない。
長い爪にネイルをすることもできる。
習い事だって自由に行かれる。
日が落ちてから外食だって、深夜にコンビニだって映画だって行かれる。
なんだって私はこんなにも家の中に縛られなくちゃいけないのだろう?
どうして洗濯物をして掃除をして食事を作り、この子のオムツを替えてオッパイをあげているだけで一日を終えなくちゃいけないのだろう?
そして、なんでそれだけしか行動を許されていないのに旦那と少し口論になっただけで、俺が養ってやっている、だったらお前も家賃を払え、と言われなくちゃいけないのだろう?
そう考えてしまう瞬間がある。
妊娠がわかった時、そんなこと覚悟の上で産むという選択をした。
そのはずだった。
でも、私は仕事がしたい。
お洒落がしたい。
もっと遊びに行きたい。
もちろん、子育てと両立した上での話だということは理解している。
理解しているが、私はそんなに器用じゃないし、仕事をしようにも首も座っていない我が子を保育所に長時間預けて大丈夫だろうか。
そもそもこれから仕事を探そうとしている私が認可保育園に預けられる可能性も低い。
だからといって認証や無認可保育園に預けたら保育料が高いから働く意味もない。
かといって水商売にガッツリ戻るのは娘のためによくないことはわかりきっている。
しかし、自分が好きなことをできないのも、お金のことで旦那から言われるのもツラい。
そんなことを一人でずーっと考えているが、何が正解で何が不正解なのかわからない。
考え事をしていたら、部屋で一人でボーッとしてしまい気が付いたら朝になっていることが増えた。
寝ているわけじゃない。
時間泥棒にあっているな。
昔読んだモモという本を思い出す。
以前は読書が好きだった。
出産してから本が読めなくなった。
活字を読むための集中力すらなくなった。
今この文章だって、ここまで書き進めるのに2日以上かかっている。
文章を書くことも好きだったはずなのに。
楽しみがないのだ。
楽しいと思えないのだ。
もしかしたら、私は軽い産後鬱ってやつなのかもしれない。
いや、きっと私がワガママなだけなんだろう。
あれもこれもと欲深いだけなんだろう。
悪いのは私なんだろう。
たった二ヶ月で、自分の不甲斐なさを感じている。
いい母親になんてなれっこない。
不安と焦りばかりが募る。
これから先が見えなくて、怖い。