食べたチーズケーキ

ほぼ毎日チーズケーキを食べる生活にはこんな幸福と不幸があった

ほぼ毎日チーズケーキを食べています。(チーズケーキを食べる理由は自己紹介で)

幸いチーズケーキはほぼ無臭なので、体臭がチーズケーキになっても大丈夫そうです。

ちなみに「チーズケーキが無臭でよかった!」が今回のタイトルのアンサーというわけではありません。

では、いったいどんな幸福と不幸があったのか?

まずは幸福から。

チーズケーキの違いがわかるのは楽しいし幸福でもある

ほぼ毎日チーズケーキを食べていると、お店による味の違いや、使っている素材の違いなど、色々な違いが何となくわかるようになります。

たとえば、「あのケーキ屋は土台にナッツを使っているな」とか、

「あのカフェは、インスタ映え狙っているな」とか。

そういったお店よる違いがわかることは楽しいもので、食べ歩きの醍醐味ともいえるもので、人生を豊かにしてくれます。

これがチーズケーキをほぼ毎日食べることの幸福の1つです。

その一方で、1つの不幸もあります。

その不幸とは、以前に比べて、簡単には満足できなくなってしまうこと。

簡単な言葉でいえば、「舌が肥えてしまい、良いものでないと満足できなくなってしまう」ということ。

舌が肥えてしまうのは不幸でもある

日々食べ歩きをしていれば、当然、素晴らしいチーズケーキに出会うことがあります。

素晴らしいチーズケーキがわかるということは、つまり、素晴らしくないチーズケーキがわかるということ。

いや実際、素晴らしくないチーズケーキなんて1つもないのです。

あるのは、「とても素晴らしいチーズケーキ」と、「まあまあ素晴らしいチーズケーキ」です。しかし、やっぱりその判別ができてしまうのです。

これ、一種の不幸だと思うのです。

チーズケーキの食べ歩きをする以前は、チーズケーキは単なるチーズケーキでした。

わかるのはベイクドかレア、スフレかといった単純な違いくらい。

どこで食べても感想は「やっぱりチーズケーキはおいしい」でした。

スイーツを食べた感想が「なるほど、甘い!」みたいな……、作った人に申し訳なくなるような、感想しかいだきませんでした。

それはある意味、幸せなことでもあります。

なぜなら500円のチーズケーキを食べても、150円のチーズケーキを食べても、どこでどんなチーズケーキを食べても満足度は同じだったから。

「美味しいチーズケーキを食べて満足したい」という願望は、簡単に満たせのです。

値段や質は関係なく、それがチーズケーキであれば。

いうなられば、知恵の実を食べる前のアダムとイブの状態だったのです。

しかしチーズケーキに対する舌が肥えてしまった今はどうでしょう。

「美味しいチーズケーキを食べて満足したい」という願望を満たそうと思ったら、

「濃厚でねっとりした舌ざわりで、土台のクッキー生地のザクザク感を楽しめて、甘さ控え目でチーズのコクを存分に感じられて、深煎りの苦味の強いコーヒーと合うようなベイクドチーズケーキ」

このようなチーズケーキでなければ、「美味しいチーズケーキを食べて満足したい」という願望は、満たされません。

いや、どんなチーズケーキでもある程度は満たせるかもしれませんが、「何か物足りない」と思ってしまうような気がします。

ほぼ毎日チーズケーキを食べて舌が肥えるということは、簡単には満足できなくなってしまったということ。

ケバブの食べ歩きをしたら、ケバブを気軽に食べられなくなってしまった

ちなみに私は以前、ドネル・ケバブの食べ歩きをしていたことがあります。

ケバブとは街で時々みかける肉をサンドした食べ物です。

上の画像のように、肉の塊を店頭で焼いているお店をみたことがあると思います。これがケバブ屋です。

なぜ、「ケバブの食べ歩きをしていたのか?」という質問には、別の機会に答えるとして、

その当時は東京のケバブ屋に狙いを絞って、片っ端からケバブ屋を訪問していました。

その結果どうなったか。

気軽にドネル・ケバブを食べられなくなってしまったのです。

なぜなら、めちゃくちゃ美味しいケバブ屋を見つけてしまったから。

そのめちゃくちゃ美味しいケバブ屋に比べると、他のケバブ屋は「ひどい」とまでいえるほど、味や作り方に雲泥の差があったのです。

そして気づきました。

ほとんどのケバブや美味しくないことに。(数年前の話です。現在は、美味しいケバブ屋ばかりになっているかもしれませんが。またあくまで東京都のケバブ屋に限った話です)

ケバブを気軽に食べられなくなってしまったときの不幸は大きなものでした。

あれだけ好きだで毎日のように食べていたケバブ。舌が肥えてしまったせいで、特定の店のケバブしか食べられなくなったのです。

それは私のとって1つの不幸でした。

幸い、チーズケーキはどこで食べても美味しいので、一生楽しく続けられそうです。

しかし、舌が肥えてしまったことによって、私が得た不幸があるのは確かです。

以前はどんなチーズケーキを食べても「うまい!うまい!」と満足できたのですから。

終わりに:それでも食べ歩きは楽しい

舌が肥えることを「不幸」などとといってしまうのは大げさかもしれません。

実際、グルメで食べ歩きを日頃している人たちは、不幸だなんてちっとも思っていないでしょう。

また、食べ歩きから得られる幸福は絶大なものです。

自分だけのお気に入りを見つけたり、違いを周りの人に語ったり、

SNSやブログで公開してリアクションがあったり、

グルメな人同士でおすすめを教え合ったり。

その楽しさは、舌が肥えることで得る不幸の何十倍も大きいと感じます。

今後、チーズケーキの食べ歩きをすることで、舌が肥えてしまい、簡単に満足できなくなってしまったとしても、それを正面から受け入れ、チーズケーキの道を極めていきたい。そんな風に思います。


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コメント (2)
はじめまして。肥えた舌との戦い、大変共感いたしました。
私はそれと「思い出の美化」という厄介なものも感じています。
もう潰れたお店や、なかなか行けない場所のものなど、上回るものに出会えるのだろうかと思います。
ちなみに私の思い出チーズケーキは、20年ぐらい前にバリ島のグランドハイアットで食べたチーズケーキです。滞在中は每日食べてました。まだあるのかは不明ですが。
はじめまして。読んでいただきありがとうございます。
私はまだまだ「思い出の美化」はないのですが、食べ歩きを長く続ければ、思い出の美化との戦いも覚悟しないといけなさそうですね。
それもまた幸と不幸があってなんとも言い難いですね。

グランドハイアットのチーズケーキ、 毎日食べられるほど美味しかったんですね!
とても気になります!
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