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多様性の終着駅

多様性がキーワードとして叫ばれるこの世の中。多様性を認めなければいけないというような結論に向かわないことを祈るばかりだ。

私はアセクシャル・性自認は中性。まぁね、理解されなくて当然なんですよ。そりゃ自分が生まれるまでの過程には恋愛やセックスが必ずあるわけだ。職場は既婚者が多く、出産経験者も沢山。経てきたことを真っ向から違うと言う私はそりゃね、わからんと思います。でも同じように、私も貴方達の恋愛に傾ける気持ち全くわからんからお互いさまなんです。
私は、認めてくれないから生きづらいとは思わない。
ただ、友達がいないとかいつかいい人見つかるとか、趣味があるから向かないだけって言われるのがすごく嫌だ。

いや実際、オタクでもバンギャ仲間でも恋愛して結婚してる人はいるので趣味のせいにされるのはまことに遺憾だ。それは本気で失礼だぞって思うんですよ。

このことは、家族にしか話していない。でもそうやって傷を負うならば言ったほうがいいんだろうかとも思う。ここで、最初に言った認めなければいけないにつながる。

理解、共存、容認って似た色をした別物で大変難しいものなんだけど別に私は認めて貰って共感が欲しいわけじゃない。
恋愛がしたい人はすればいい。したくなければしないでいい。それじゃダメなんだろうか?
知ってほしいとは思う。中にはこういう人もいるから、私に恋愛の話は振らないでねっていうスタンスでいたい。

認めなければ悪は非常に危うい考えだなと個人的に思う。

私が生きづらいのはアセクシャルだからではなく、めんどくさい気にしすぎな性格だからなんですよね。

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