見出し画像

就活の、その先へ~いつか誰かのヒーローとなるために~

こんにちは!
「キーマン(訳:鍵の開け閉め担当)」の出口です。

今回は就活につかれたそこのあなた、是非読んでください。

たまには肩の力を抜いてくださいね!
ベンチャー企業に興味があるそこのあなたもぜひ覗いてみてください!
「ヒーロー」なんて言葉口に出したのいつが最後だろ…
そんな方にも読んで欲しい内容です。


僕のヒーローは、クリストファー・ノーラン監督が描く「ダークナイト」シリーズのバットマン

画像1

彼は、寡黙であり、賞賛を好まない人であり、
守りたい存在のために自己犠牲ができ、いつでも道理を通す人であった。

彼のように陰ひなたに咲く、黒子として生きる人生を僕も送りたいと本気で思っている。

これは僕のヒーローの話である。
あくまでこれは僕が切り取った、僕なりのヒーロー像である。
じゃあ、あなたにとってのヒーローって何ですか?

◆ヒーローの本質

ヒーローはなぜヒーロー足りえるのか。
「英雄、勇士、勇者」呼び方は人それぞれ。
そしてこの言葉を聞いて思い浮かぶ像もまた人それぞれ。
でもそれを人は押しなべてヒーローと呼ぶ。
だから今日に至るまで世界にはヒーローが沢山いる。

この「個の時代」の中で、ヒーローの共通点を探していくとある一つのことが言えることに気づいた。どんな架空の存在だろうと、上司や親などどんなに身近な存在であっても共通である。

それは物語上の勧善懲悪の「マナー」でもなければピンチから一気に形勢逆転する火事場の馬鹿力の「理論」でもない。
もっとシンプルで、きっとみんなが今まで言語化してこなかっただけである。

①ヒーローの立ち回りが、「主人公」である

①ヒーローの立ち回りが、「主人公」であるということ。
これは言い換えると、
自らが何者であるかを自覚しているということである。
量産された商品を身にまとい、当たり障りのない「市民」でいることを良しとする。一方では、「社会に変革を起こすのは若い世代だ」と期待され圧倒的な力を持った「何者」かになることを求められている。
この見えない圧迫感が現代社会に生きる私たちの強大な敵のように感じる。

そんな中で、自らの社会的存在を自覚し、その意義を全うするための言動が取れる存在は間違いなく憧れであり、なりたい存在であり、ヒーローであろう。

ちなみに…
あえて『ヒーローの立ち回りが「主人公」』という言い回しをしたのにはワケがある。「ヒーローであること」と、「主人公(≒自分の人生の主役は自分であると心得た人)であること」は必要十分ではないと伝えたいのだ。

主人公のように、自分の人生を自分で選びぬいたからこそ周りがヒーローとして賞賛するのであり、生まれつきヒーローだから、主人公足りえるのではない。

だから架空の人物でも、身近なあの人でも
尊敬できる人はやっぱり自分の人生をしっかり歩んでいるのだ。

②語り継がれるべき、一貫した道理が備わっていること

情報が溢れかえり、社会とすぐに繋がるようになった現代において、自らの大義を貫き通すことは相当にハードモード。
行なってきたことは事実としてあるのに、事実はそれを切り取る者と受け取る者の間で2度歪曲され「各々の真実」として着地するからだ。

そんな世の中で、言動や考えが一貫しているように受け手が捉えられるのであればそれは2度の歪曲を乗り越えた限りなく事実に近い真実として残っている。

そう考えると、このハードモード時代に
今も語り継がれるヒーローや、今を生きる著名人たちは相当に芯が通っているのである。

で、結局何が言いたいの?

◆あなたも誰かのヒーロー足りえるということ

あいにく僕らには後ろに目がついていない。
だから後ろ指刺されているか、
羨望の眼差しを向けているかわからない。

あいにく僕は自信の持ち方は知らない。
でも生きているから仕方ない、
とりあえず前を向こう。

目の前にはまだ道はないけれど、
あなたが自ら一歩踏み出せばうしろには道ができる。
そしたらきっと夜道に迷っている人の道標となる
「闇夜の騎士(ダークナイト)」になれる日が
いつかやってくるはず。

就活だってきっと同じ。
今は人生のターニングポイント。
確かに今いるあなたは、
家族や友人、恋人と歩んできた道の上に立っている。
そしてそれは今後も変わらない。
だけど、人生の岐路に立ったとき、
どの道を選ぶかの最初の一歩は自分で決めて欲しい。
どんなに迷ってもいいから、最後は自分で決断する。
最初の一歩を自分以外に委ねない。これがヒーローのスタートだと思う。


ちょっぴり自信を無くしかけていたあなたの背中を
ちょっぴり押せたらと思ってのただの独り言。
ただそれだけのこと。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?