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「ありがとう」の発信元は・・・

こんばんは。今日は、どんな1日でした?
わたしは、すっごい虚しかったですよ。自虐でしかないけど、毎日思うんです。

でもね、暗い気持ちはあんまりなくって。
それは、「その当時に気づくことができなかったんだもの」という思いと、「やりたいことやろうって、挑戦した結果だもの」という思いがしっかりと浮かんでくるから。

何がそんなに虚しいかっていうと・・・
道ゆくカップル。
仲良しファミリー。
打ち解けて喋ってる友人グループ。
そういう人たちが、本当に羨ましい。

基本的に、人に感情を許して喋ることに憧れてるけど、実際にはできないみたい。なんか違うんで、変な感じになる。全然ナチュラルじゃなくなる。

独り行動多めだった。今もそう。
海外にホームステイとか旅行とか飛び出した時は「若い感性でなくちゃダメだ!」っていう意気込みが強かった。それがターボエンジンみたいな働きをしてたんだった。

仕事を転々としていたのも、目の前の現実を感じられなくって、がむしゃらに動きまわって、挫折して、息を詰めてしまうくらいに1人で闘ってたし。

全ての経験には時間がついて回ってて、得たのは「動く勇気」だった。
本当に欲しかったのは「集団の輪」にはいる勇気だったのに。

言い方を変えると自分都合で動き回ってたから、その当時はめちゃくちゃ生き生きしてた。かといって、社会に適合してるかというとそうでもなくて。

だから、独り時間でしか楽しみを見出せなかった。1人で動くと、出会う確率は高くなる。なんて素晴らしい世界なんだ・・・って思ってた。

そのころの私は「ありがとう」を連発してはいたんだけど、今思うととっても自己都合な「ありがとう」だったなって思う。

けど、今、実感するのは「ありがとう」っていう口癖を持っていて良かったってこと。幾つになっても素直に「ありがとう」が言える自分でよかったって思う。本当にそう思う。

人への感謝ではあるんだけど、それだけでもないみたい。
自分の居場所さえ作れるほどに、壮大なパワーを感じる。

時には空回りの「ありがとう」もあるけれど、それでも何も言わずに気まずく居るよりずっといい。あと味が違う。

ぶっちゃけ「ありがとう」って言葉は、「今、ここ」を生み出す言葉だって感じる。

今は、集団の中に居て、チームワークを必要としている仕事についている。
そこでは、やっぱり浮いてて、困る事もいっぱいある。

でも、不満を「伝える言葉」へと昇華させて「困っている事」として話せるようになった。その変換に必ず必要になるのは「ありがとう」っていう気持ちと視点だったりするんです。

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