バーコード(1)

 一昨日近所の西友に買い物に行ったら、混雑時間前なのに、レジ前に長蛇の列ができていた。それも、高齢者ばかり、ぼんやりした顔で並んでいる。

 空いているところを探し、スナック菓子の棚の向こう、入口近くのレジに向かうと、そこにはセルフ会計のレジが所せましと並んでいた。全て、バーコード読み取り式だ。値引き品に至るまで、商品には全てバーコードがついているのを、改めて思い知ることになる。元気のいいお兄さんがくるくるとあちこちのぞきこんでは使い方を指南し、ブザーが鳴れば「はい、では、アルコールの年齢確認ですね」と画面にタッチする。

 すでに2000年代後半、わたしはイギリスのテスコという大手スーパーでは、よくこの機械で会計していた。歯痛でアスピリンを買い込もうとしたら、途端にものすごい警報が閉店まぎわの夜のテスコに鳴り響いて、有色人種のセキュリティが飛んできた。おじさん達は明るく笑い、アスピリンは二箱以上買えないんだよ、どれかひと箱にしたら?と言って、アラーム解除してくれた。

 普通のイギリス人が夕食をとり、テレビを見ている時間になれば、コンビニは勿論、テスコのレジ打ちにも移民系が多かった。そこでなんだかんだとちょこちょこ立ち話したりするのも好きだったが、ひとつしか開いてなかったレジを避けてセルフを利用していたら、たぶんドラッグの代替品になるのであろうアスピリンを、こそこそと大量購入しようとした疑いがかけられたというわけだ。「だって歯が痛いんだもん」と言ったら、アラーム以上に響く声で笑ったおじちゃん達は、日本でよくみる、これで何かあったときに大丈夫なんだろうかと思わずにいられない、パートタイムのおじいちゃん達とは違い、体格のいい腕っぷしの強そうな、まだ五十歳前後の人達だった。

 経営学専攻のキプロス人のフラットメイトが「(別の大手スーパー)センズベリーの24時間営業は、セキュリティコストがかかりすぎると思う、間違いなく打ち切りになるよ」と言っていたことがあるが、ヒースローにも近い国道沿いの郊外型大型店舗でも、はたしてその予言は的中した。イギリスは、日本でそう印象づけられているより、ずっと治安がよくない。その社会的コストはほんとうに大きい。


 イギリスのスーパーの紙箱入りのアスピリンは、歯ブラシや歯磨き粉の隣に置いてあり、キャンディやガムみたいな値段で売られているのだ。アメリカではタイガー・ウッズなどの著名人も含め、鎮痛剤依存症は200万人いると推定されているそうだが、そりゃ、あんなに手軽なら手を出すだろうなあとも思う。

 日本のバーコード読み取りの自動会計機も仕組みは同じだから、何かあったら、プログラミングで規制をかけるのは可能だろう。たとえば、コロナ自粛中、トイレットペーパーや紙おむつなど、おひとりさま一点限り、とある商品については、西友でもレジの人が予め断っていたし、男性スタッフが足しげくレジと売り場を行き来しては商品をせっせと棚に戻していた。もし二つバーコードを読み取らせたら、ロックがかかって、係員を呼ぶしかないことになっていたはずだろう。

 もうひとつ、日本でもエコバック導入後増えている万引きだが、イギリスのスーパーでは、会計していないものを持って店の外に出ようとすると、凄まじいアラームが鳴る仕組みがあった。あれもバーコードを利用しているのだろう。何度も不況を経て、節約につとめるしっかり者の主婦も多いイギリスは、しかし、そういう防犯や規制にかかる費用まで上乗せされたものを買っているのである。

 さらに、消費税も、バーコードなら管理しやすい。食料品や薬、乳幼児のおむつなどはついには20%を超えた消費税も免除されていたが、バーコードで自動入力なら、それもいちいちこれは幾らかかるのだろう、と確認せずに済むはずだ。わたしがとあるSNSで、イギリスは食料品の消費税は免除ですよ、と書いたら、それはイギリスの食生活が貧しいからで、日本のように多種多様な食材があればそんなことはできない、と反論してきた人がいたのだが、実際にはバーコード管理だろう。しかし、先だっての増税でも、新たなレジを導入することができない小さな個人商店などは閉店に追い込まれていたし、イギリスではテスコの一人勝ちと同時進行で、TVドラマのミス・マープルシリーズなどで、奥さん達が買い物に行く、どんな小さな村にも必ずあった個人経営の精肉店がほとんどなくなった、ということが起こっていた。勿論、それは“合理化”だが、バーコード管理の強みに乗じて、町の商店街がスーパー乗っ取られたと感じている人達もいるはずだ。

 かくして、狂牛病・口蹄疫は、スーパーでの大量消費にあわせて、家畜を大量輸送、大量加工するなかで起こったわけで、町の精肉店が地元の農家から仕入れていた頃にはあり得ないパンデミックになったのである。もうひとつ、合理化の波で中小農家が全く立ち行かなくなったのが牛乳だ。イギリスでは牛乳や乳製品は日本のコメのようなもので、国が介入して価格を安定させている。日本の価格でも、ことあらばバターが不足するほどに畜産農家は圧迫されているが、イギリスの牛乳価格はどうやって作ってるんだろう、と、信じられないほど安い。そして、ほぼ大手三社の寡占状態になっている。日本だって同じようなものだが、それでもまだ「お取り寄せバター」や、高級スーパーでしか買えない、濃い牛乳があるのは、中小が潰れるしかない価格設定にはなっていないせいだ。実は、乳牛は品種改良が進んだ結果、頭数を減らしても、一頭あたりの生産量が増えているそうで、イギリスでも日本で畜産農家が減っていても供給できているのは、そのせいでもある。

 欧米のヴィーガンや動物愛護の活動家が、乳牛を搾取するとして伝統的な食文化を嫌うのも、豆乳など代替品を摂取するように勧めるのも、それだけ牛乳生産のあり方に疑念が抱かれているせいだろう。アメリカで灯油タンクみたいな容器に入った牛乳を見た時に、さすがにこれは、と私も思ったけど…。

 ちなみに銭湯や温泉に必ず牛乳の自販機があるように、日本人には牛乳をがぶ飲みする習慣があるが、欧米ではシリアルにかけて“食べる”のであって、冷たいまま、そのままで飲むことはまずない。それでも、あんなに消費するんだもんなあ…と思ってしまう私は、向こうに長くてもついぞケロッグコーンフレイクで朝ごはん、が身につかなかったのである。シリアルの方は雑穀も入っていて、もっと健康的だが、語学学校で一緒だった日本人留学生の間で「鳥の餌に牛乳」と言われていた、その感覚を、ついにひきずり続けてしまったのだろう。「鳥の餌」どころか、いまやグラノーラと呼ばれて、日本でも健康志向の人達の間で流行しているのは知っている。コーンフレイクよりはるかに健康的だとも思う。ただし、あれを砂糖なしで食べられる人ってすごいなあ…と思わずにいられない。カラス麦のポリッジは、温かくいただけるので、時々やっていた。でも、『秘密の花園』の主人公は、ポリッジなんか不味い、とキレまくって、ヨークシャー訛りの女中にたしなめられていたっけなあ、と。でも、ポリッジについては、鳥の餌の食感はない。少なくとも、お粥だからねえ。

 おらの弟妹は、ポリッジなんかあろうものなら、大喜びですぐたいらげちまう

『秘密の花園』の作者バーネットはアメリカ人だが、階級社会には階級社会で、上流階級と低所得者層の接点が確かにあったのだろう。

 テスコは、80年代まではぱっとしない、安かろう悪かろうなスーパーだった、という。たとえばテスコヴァリュー、というオリジナルブランドがあるが、そのイメージがまさにそれだ。子どもにきちんとしたものを食べさせたいなら遺伝子組み換え食品は扱わない、と宣言するセンズベリーの方が、と言われていたし、うちの「鳥の餌」はテスコヴァリューだ、というのは、ステイ先に関する愚痴のなかでも同情を誘ったものの一つだった。

 それがチェーン拡大にともなって、商品の幅が広がって、テスコプレミアムなら、センズベリーよりコスパがいいかも知れない、と思うこともあったりした。

 ちなみに、独身時代のキャサリン妃が時々隠し撮りされていたのは、ちょっと高級なスーパーマーケット、ウェイトローズだ。婚約時代、ウィリアム王子がキャサリン妃をともなってテスコに訪れ、「二つ分の値段で三つ!」というテスコのお買い得品を笑顔で示したりしていた。倹しくも剛健なウィンザー家の王子さまは、テスコをご利用!というわけだ。

 だが実際には、テスコは高くなった、と学生達の間でも噂になっていた。これまで低所得者層の味方だったスーパーが、一人勝ちで一番アクセスしやすい一方、これまでのように安くはない。それでもリーマンショックで金融バブルが弾けるまでは問題がなかったが…

 いや、そうはいってもテスコは合理化を徹底した価格で食料品を提供しているかも知れない。じゃがいもはトルコ産、いちごはスペイン産、にんじんはイスラエル産、羊肉は地球の裏側のNZ産、乳製品も安いものならデンマークかアイルランド産だ。それらの空輸価格を含めても、まだ安いのだろう。

 日本のスーパーのおさかなだって、世界各地からかき集められてきてはいるし、アボカドやオレンジ、バナナだって輸入品だ。だが野菜ではどうだろうか。

 農業も人件費だからな…と最近はよく思う。イギリスはコロナ禍と、今後はEU離脱により、外国からの季節労働者を収穫にあてるのが難しくなっている。スペイン産のイチゴについては、あからさまな搾取がみられるとのリポートもあった。EU離脱支持者には、フランスの農業を支えるためにイギリスの拠出金が使われているのは納得いかない、という不満があった、と言われる。それ自体はいかにもファクトチェックが必要な話ではあるが、英国内の農業従事者自身は残留も離脱も利害半々だ、とみていたとも言われる。いくら作っても外国産との競争にさらされ、生産コストを下げるためには外国人労働者を雇い入れる必要があることを思えば、確かに半々と見るだろう。

 私の友人にも「羊肉だけはイギリス産を食べて。豪州産でもNZ産でもなく、イギリス産でね」と何度も強い調子で言っていた人があったが、そんなふうに国内農業に危機感を持っている国民も、やはりいたはずだ。チャールズ皇太子もその一人で、オーガニック農業にも、いちはやく熱心に取り組んできたといわれる

 テスコの”buy 2 get 3”は、いまやイギリスの家庭から出されるフードロスの最大の要因の一つともみなされている、という記事を数年前に読んだ。格差が広がり、食い詰める貧困家庭もあったイギリスで、ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式は、チャールズとダイアナのそれに比べれば、ずっと地味に執り行われたように思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?