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#5 映画のロケ地になった世界遺産その3~星の旅人たち、サン・ジャックへの道~

こんにちは、チェ・ブンブンです。

人生に迷う時、人は自分探しの旅に出たくなるもの。私は、人生の道に迷ったらやってみたいことがあります。それはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼である。

ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教巡礼路の一つであり、フランスピネレー山脈の方やポルトガル・リスボンからスペインのガリシア州まで伸びる道である。フランスから伸びる道は800kmにもおよび、巡礼者は約40日かけて聖地を目指すこととなる。

9世紀初頭、星に導かれガリシアにやってきた修道士が聖ヤコブの遺骨を見つけたことを記念にサンティアゴ大聖堂が作られました。9~11世紀にかけてこのサンティアゴ大聖堂がを目指す巡礼路が確立されていきました。元々、キリスト教とはエルサレムに巡礼していたのですが、セルジューク朝による戦乱により、エルサレム巡礼が困難になり、その代替としてサンティアゴ大聖堂を新しい聖地にしたのです。

さて、私がサンティアゴ・デ・コンポステーラと出会ったのは、『サン・ジャックへの道』と『星の旅人たち』を観たところから始まる。高校時代、意識高い系だった私は、大学付属高校に通っている特権を活かして夏休みに海外一人旅をしたいと考えていた。そんな私にインスピレーションを与えた作品の一本が『サン・ジャックへの道』であった。国籍も宗派も性別も異なる人の一期一会に憧れを抱いた。

社会人になると、名作『ブレックファスト・クラブ』で主人公を演じたエミリオ・エステベスがサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼を描いたロードムービー『星の旅人たち』と出会った。旅を通じて自分の人生を見つめ直すこのドラマに感動し、いつしか仕事をドロップアウトしたらサンティアゴ・デ・コンポステーラへ自分探しの旅に行こうと考えるようになった。ちなみに本作の邦題はさりげなく秀逸だったりする。原題は"The Way"とド直球だ。しかし、サンティアゴ・デ・コンポステーラの「コンポステーラ」とはラテン語で「星の野原(Campus Stellae)」を意味し、かつて修道士が星を頼りに聖ヤコブの遺骨へたどり着いたように、息子の死をきっかけに巡礼路に導かれていく父を重ね『星の旅人たち』としたセンスに脱帽する(ひょっとしたらそこまでは考えてないのかもしれませんが)。

さて、話を世界遺産に戻すと、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路は世界遺産の中でも独特な登録をされている。通常、1つの対象につき1件として登録される。いくつか構成要素があれば、それらをひとまとめにして登録する。

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※私が撮影したシャンボール城、不気味ですね。

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※レオナルド・ダ・ヴィンチが建てた説がある二重螺旋の階段。これは登ると楽しいです。

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※川の上に立つシュノンソーは独特な景観です。

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※シュノンソー城内はロワール古城の中でもトップクラスに面白い。RPGゲーム好きや厨二病の心揺さぶります。

その特性上、例えばロワール渓谷(登録基準:ⅰ,ⅱ,ⅳ)は、1981年にシャンボール城だけ登録されていたものがシュノンソー城、アンジェ城、それに付随する景観含めて2000年に1件としてまとめられた。これをシリアル・ノミネーション・サイトと言います。これは国を超えて登録される場合もあり、中には三角測量を行った場所シュトルーヴェ測地弧(登録基準:ⅱ,ⅲ,ⅵ)のように10カ国(ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・ロシア・エストニア・ラトビア・リトアニア・ベラルーシ・モルドバ・ウクライナ)に及ぶものもある。近年だと、ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-(登録基準:ⅰ,ⅱ,ⅵ)のように大陸を大きく超え、トランスコンチネンタル・サイトとして登録されるケースもあります。

一方で、サンティアゴ・デ・コンポステーラ関連の世界遺産は分散しています。ひとつづつみていきましょう。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ

スペイン
文化遺産(1985年登録)
登録基準:ⅰ,ⅱ,ⅵ

世界遺産は国際関係や政治的側面もあり、謎の基準で登録されているものが少なくないが、やはり「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の異常さは異常さは気になる所。巡礼のゴールでもあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ。9世紀にアストゥリア王国のアルフォンソ2世によって大聖堂が建築される。一度、イスラム勢力によって破壊されるが、再建、増改築が施され今に至る。建物全面に豪華絢爛な装飾を施したチュリゲラ様式のファサードや栄光の門が建築された。大聖堂では、ボタフメイロが行われる。これは煙を入れたケースを振り子のように大聖堂内で揺らす儀式であり、巡礼者の消臭や疫病対策で行われたものが行事化している。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

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スペイン
文化遺産(1993年登録)
登録基準:ⅱ,ⅳ,ⅵ

こちらはスペイン側の巡礼路が登録されている。道中いたるところに、ホタテとひょうたんが彫られた標石がある。現代では、巡礼者はホタテやヒョウタンを装備して巡礼し、各拠点にある教会や事務所にて巡礼手帳にスタンプを押してもらう。余談だが、サンティアゴ巡礼の道と熊野古道は提携を結んでいるそうで、両方の巡礼を達成すると、ホタテ貝と八咫烏の限定ピンバッチがもらえるらしい(「スペイン サンティアゴ巡礼の道」実業之日本社出版、髙森玲子編著、井島健至写真、2016年参照)。

フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

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フランス
文化遺産(1998年登録)
登録基準:ⅱ,ⅳ,ⅵ

「トゥールの道」、「リモージュの道」、「ル・ピュイの道」、「トゥールーズの道」と関連物件が対象。派手なタンパン(ざっくり言えば、教会、大聖堂入り口上部のアーチ)が特徴的なサン・ガディアン大聖堂はロマネスク様式の基礎の上にゴシック様式の装飾が施されており、増改築によって建築様式の変容が見られる。フランスの大聖堂といえばステンドグラスが特徴的でもあるのですが、ここのステンドグラスはとても豪華らしく、フランス留学中美術の先生が激推ししていた記憶があります。

モン・サン・ミシェルとその湾

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※私が行った時の写真。映画ファンだと『トゥ・ザ・ワンダー』の白っぽいイメージがあるかもしれませんが、天気が良いと、香ばしい陽光が外観/内観を美しく魅せてくれます。

フランス
文化遺産(1979年登録、2007年範囲変更)
登録基準:ⅰ,ⅲ,ⅵ

ロワール渓谷のシャンボール城とは異なり、フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の構成遺産に登録されているにもかかわらず単独でも登録されている。708年に聖ミカエルのお告げによって建てられたここは、潮の満ち引きによって陸から孤島に変わるユニークな場所である。ノルマンディー・ロマネスク様式の代表でありながら、随所にゴシック建築の派手さが見られる。世界遺産に登録される建築物件は、この手の建築様式の融合体を評価する傾向にあるが、その代表とも言えよう。修道院北側にはゴシック様式の建物ラ・メルヴェイユがあり、階層による住み分けが行われてきた。19世紀後半に防波堤が作られたため、潮の満ち引き関係なく島に渡ることができていたが、本来あるべき島の形に戻す工事が行われ、2014年に専用の橋が開通した。自分が訪れた時は、まさにこの橋が開通して間もない頃だったのですが、これはこれで景観を損なっているなと思ったりしました。

ヴェズレーの教会と丘

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フランス
文化遺産(1979年登録、2007年範囲変更)
登録基準:ⅰ,ⅵ

これもサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路と重複して登録されている。十字軍がエルサレム奪還の拠点と使われた。教会のタンパンには傑作「使徒に使命を与えるキリスト」が掘られている。

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サン・ピエール・ド・モワサックのタンパンはフランス留学中の授業で少し習いました。授業で魅せられた時、緻密に掘られたタンパンに驚かされました。ここは実際に行ってみたい場所です。

尚、ヴェズレーは宗教や政治的拠点となっていたため百年戦争やフランス革命といった影響を受けて荒廃してしまったが、後に修復された街でもあります。

ボルドー、月の港

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フランス
文化遺産(2007年登録)
登録基準:ⅱ,ⅳ

ガロンヌ川の三日月形の地形から「月の港」と呼ばれるボルドーはワインの名産地として有名である。「月の港」の他に「プチ・パリ」と呼ばれるここは美しい観光名所が多いことでも有名で、水を張った空間が建物を映えさせるブルス広場、ギリシャ建築を彷彿とさせるボルドー国立歌劇場などがあります。これらの建物は18世紀の新古典主義による都市計画で建築され発展してきました。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼を行う際には立ち寄りたい場所ですね。

サン=テミリオン地域

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フランス
文化遺産(1999年登録)
登録基準:ⅲ,ⅳ

ボルドーからそう遠くない場所にあるサン=テミリオン地域もワインの名産地として有名であり、ブドウ園が多いことから「1,000のシャトーが立つ丘」と呼ばれている。巡礼路の途中にあるここではメルロ、カベルネ・フラン主体のワインが楽しめる。代表的なものにシャトー・ボーセジュール・ベコがある。

ピネレー山脈のペルデュ山

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スペイン/フランス
複合遺産(1997年登録、1999年範囲拡大)
登録基準:ⅲ,ⅳ,ⅴ,ⅶ,ⅷ

フランス唯一の複合遺産であるピネレー山脈のペルデュ山はスペインをまたぐトランスバウンダリー・サイトでもある。「孤立した山」という意味があるここでは、スペイン・アイベックスやピレネーグマなどが生息しており、フランス側では昔ながらの放牧が行われている。自然と共存したライフスタイルが評価され複合遺産となっている。尚、こちらもフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路と重複登録されている。

ビスカヤ橋

スペイン
文化遺産(2006年登録)
登録基準:ⅰ,ⅱ

巡礼路の観光案内で時たま登場するのがバスク地方にあるビスカヤ橋である。なんといっても世界初のゴンドラを使った運搬橋が見られるのです。今ではバンジージャンプのスポットにもなっており、youtubeの動画を漁っていると行きたくなること間違いなしでしょう。アルベルト・デ・パラシオが編み出したケーブル技術はその後、ヨーロッパだけではなく、アフリカやアメリカ大陸にまで伝わったんだとか。

アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築群

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スペイン
文化遺産(1985年登録、1998年範囲拡大)
登録基準:ⅰ,ⅱ,ⅳ

サンティアゴ・デ・コンポステーラを築いたアストゥリアス王国の首都。ムスリム勢力のウマイヤ朝がイベリア半島を制服したことに対してキリスト教勢力がレコンキスタ(再征服)を開始。西ゴート王国の貴族ペラーヨがオビエドにアストゥリアス王国を作った。レコンキスタを語る上で重要な拠点な為、世界遺産として登録されており、サン・ミゲル・デ・リヨ教会やサンタ・マリア・デル・ナランコ教会、噴水「ラ・フォンカラダ」が観光名所となっている。

セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館

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スペイン
文化遺産(1987年登録,2010年範囲変更)
登録基準:ⅰ,ⅱ,ⅲ,ⅵ

セビーリャからアストルガを繋ぐ銀の道。その出発点にはコロンブスの墓があることで有名な大聖堂があります。イスラム教徒が入植していたこともあり、増改築される中でイスラム、ムデハル、ゴシック、ルネサンス様式が混在する建築物となっている。中でも特徴的なのは、セビーリャ大聖堂に隣接するヒラルダの塔。イスラム教建築には礼拝(アザーン)を呼びかける塔であるミナレットが備え付けられている。元々イスラム教徒が建築していたミナレットを転用して鐘楼にしている面白い歴史があります。

また、インディアス古文書館は元々、商品取引所として1958年にフアン・デ・エレーラの手で着工されたが、1784年にカルロス三世が文書保管所として使うようになりました。

参考文献

・すべてがわかる世界遺産大事典<上>,NPO法人世界遺産アカデミー,2012年発行
・すべてがわかる世界遺産大事典<下>,NPO法人世界遺産アカデミー,2012年発行
・スペイン サンティアゴ巡礼の道,実業之日本社出版、髙森玲子編著、井島健至写真、2016年発行
・最新版 ワイン完全バイブル,ナツメ社,井出勝茂監修,2012年発行


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