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シティボーイ

ビル風が僕の髪を散らかした。

僕の仕事場は本来こんな都心にあるはずではなかった 。この街を形作っているコンクリートの色はどこも少し黒ずんでいるから嫌いだ。
見上げた空は狭く、雨で風化した窓枠から流れるどろっとした何かは、いつも僕を不安にさせる。

「あーつっかれたぁ。八木先輩、今日部長たち飲んでるらしいんすよ。終電まででいいから顔出せって昼飯んときに言われて。」
そうなんだ。そりゃお前も大変だな。じゃ、僕こっから乗るから。おつかれ。
「ヤギ先輩も連れて来いって言われてるんすよー。ほら、決起するらしいっすよ今夜も。」

僕より一年遅くこの会社に入った六浦は、いかにもかわいがられそうな性格をしていた。必ずお酒の席には顔を出すし、明るく元気で、何よりすぐに『さすが』という言葉を使う。仕事も別にできないわけではないし、嫌いになる人を探す方が難しくも思える。
あー、ほらでも僕、終電あるしさ。
「何言ってんすか、あと1時間あるじゃないっすか。一杯だけ奢ってもらいましょうよ〜」

僕が下っていくはずだったの階段の奥から発車サイン音が小さく聞こえた。

ゆでだこのように赤くなった上司は天井に向かって煙を細くひと吹きして、六浦と僕をテーブルに招き入れた。
どうやら僕らのことを歓迎してくれているみたいだったが、店内の喧騒からかその声が僕に届くことはない。いや、受け入れることを拒んでいたと言った方が正しいかもしれない。
あと20分もしたら終電がなくなってしまう。コークハイボールを一杯飲んで帰ろうと、一番下座で僕は小さく決意した。


六浦はめっぽうお酒に弱い。僕がひと口、ふた口とコークハイボールを啜っている頃にはすでに茹で上がっていた。上司は六浦になにやら熱く語っているように見える。僕に火の粉が飛んでこないことを安心したような溜息が出るまで、そう時間はかからなかった。

小さく飲み進めたコークハイボール。飲み進めるに連れて段々と色が薄くなっていく様子は僕がここに残っていようと耐える意思のようだった。
グラスの中身が全て透明になるのと同時に、僕は立ち上がった。

すみません、終電なんでそろそろ帰ります。

「まだ来たばっかりじゃないか、もうちょい残ったらどうだ八木」

ああ、はあ。
僕の挑戦はなかったことにされた上に、火の粉が僕のもとまで飛んでくる。

「お前らがまだ入社する前はな、うちの会社は本当大変で、、」
これもいつものことだ。聞き飽きた自慢話。
何度聞かされるのだろうか。それを聞く僕の笑顔の賞味期限はおそらくあと2秒持つか持たないかだろう。

この飲み会やっぱり来なきゃ良かったな。

もう僕を家まで運んでくれる電車はなかった。

どれだけ時間が経っただろう。店員さんが叫ぶありがとうございましたを聞くのはこのお店に入ってから25回目だ。上司から少し距離を置いて、店の階段を上がった。

コートから煙草の匂いがする。
結局六浦が調子良さげに僕に話した計画は果たされることなく終わった。

最後に飲んだ梅酒のロックが家路に着く僕の足をもつらせる。

この世界のことなんて、全部どうでもよくなったはずなのに、なぜだか僕の今が始まる気がした。


タクシーの窓の外で揺れているネオンが混じる景色はいつもより少しだけ綺麗に見える。

できるなら僕も、キラキラしていたい。

#小説


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