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飽きることは良いことだ

「飽きる」ことはネガティブに捉えられがちです。
ひとつのことが長続きせず、次のことに手を伸ばす。だからなかなかものにならない。そんなイメージ。
自分自身飽きてしまうことに対して「また続かなかった」と嫌悪する事もあったし、他の誰かに対しても「あいつは飽き性だからダメだ」なんて思っていました。
でも本当にそれってダメな事なんでしょうか?

もしかしたら「飽きる」って

つい最近のことですが、実は「飽きる」ということはあって良い事なんじゃないかとふと頭をよぎる瞬間がありました。
それはつい最近知り合った人と話をしていた時のことです。その人自身も飽き性で、そんな自分を責めるような口振りでした。話を聞いていると確かに色んなものには手を出している。でも飽きてしまったひとつひとつは中々にこだわりもあり深みもあって、かつ今まで手を出してきた様々な経験が全て繋がっているように感じたのです。それはたくさんの経験がその人を成長させているんじゃないかと感じさせるものでした。
もしかすると「飽きる」という現象は、あって然るべきものなのかもしれません。

「飽きる」という現象

「飽きる」という現象は可能性の幅を拡げてくれるものではないだろうか?

あるものやことに触れ、そして飽きる。それはある意味見切りをつける行為なんじゃないかと思います。
恐らく何かに飽きる時はその物事に対して「つまらない」という気持ちになっているんじゃないかと思いますが、「これは自分とって必要ない」と"判断した"とも言い替えられる様に思います。

「ある程度経験したがもうこれ以上は必要ない」「だったら次のものに挑戦したい」

もしかしたら本能的に効率良く、自分の適性に合わせた取捨選択をするための仕組みなのかもしれません。だって物事に余計なバイアスがかかっていない赤ちゃんですら持っている行為ですから。

どんどん飽きよう!

そう考えると飽きることは全然悪いことではなく、むしろどんどん飽きちゃったら良いんじゃないかと思えるようになりました。これは自己受容とも言えるし、近年重要とされている自己肯定感の向上にも繋がるものだと思います。
反省も、罪悪感を持つ必要もありません。
どんどん挑戦して、飽きて、成長しましょう!

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