島原・天草は隠れキリシタンの名残が残る場所 軽バン車中泊日記_九州一周の旅11日目
九州一周の旅の話に戻ろう。
私たちの現在地は熊本県天草市。
熊本は阿蘇市に行って動物を愛でたり
熊本市内でラーメンを食べたりしたけど
まだまだいく場所がたくさん。
意外と熊本観光で行くことが少ない
島原に行きたくて
熊本県→長崎県
のルートを使うことにした。
まず訪れたのは
天草のキリシタンの歴史を感じられる場所
隠れキリシタンって
話を聞けば聞くほどすごかった。
隠れキリシタンの集落
私たちが訪れたのはこちら
📍 崎津集落
🗺 熊本県天草市河浦町崎津499
🚗駐車場あり
めちゃくちゃ普通の港町。
ここに隠れキリシタンがいたのか?
と疑問に思う。
でも、隠れキリシタンだから
隠れてないといけないのか。
普通のこんな町中に
キリスト教を信仰する文化があるなんて
まずはちょっと歩いてみる。
隠れキリシタンの象徴、見つけた
一本道を進んでいくと
左側に大きな教会が見えてきた。
和風な町中とはちょっと違う雰囲気。
中に入ってびっくりしたんだけど
日本の教会って、土足厳禁で、しかも畳。
私は海外の教会しか入ったことなかったから
すごく新鮮だった。
教会があったことで、隠れキリシタンの名残がある気がしてきた。
隠れキリシタンの歴史を学べる場所
教会のすぐ先には、﨑津資料館みなと屋という
隠れキリシタンの歴史を残してる施設があった。
ここでは隠れキリシタンについて学ぶことができる。
教会がたった意味も、隠れキリシタンがどうやって信仰し続けたかも知ることができる場所。
📍 﨑津資料館みなと屋
🗺 熊本県天草市河浦町崎津463
🕰9:00-17:00
みなと屋さんにはいると
資料館の方が、建物の概要や隠れキリシタンについての歴史についてお話ししてくれた。
私たち、隠れキリシタンについてなんて
天草島原の乱しか知らなかった。
ここでは
隠れキリシタンとして何年もキリスト教を信仰し続けた人々の暮らしを
肌で感じることができた。
宣教師がいなくなっても信仰を続けた人たち
隠れキリシタンの人たちって
宣教師がキリスト教を布教してた頃から
キリスト教が禁止されて
宣教師が追放されたあとも
数百年以上、独自の信仰方法でキリスト教信仰を続けてたそう。
漁業が盛んな町だから
キリスト教の信仰の拠り所になるものも、海に関わるもの。
この貝の中にある、表面の剥がれ
よくよくみたら
マリア様がイエスキリストを抱いてる姿に見える
この集落の人々は
こんな貝の模様にも、キリスト教を見出して
祈っていたらしい。
何度かキリシタンが大量に告発された事件があったそうなんだけど、告発がされたきっかけは、クリスマスのお祝いをしたから。
仏教徒にとっては普通にすぎるはずの12月25日なのに
この集落の人たちは、イエス様をお祝いするために肉や魚を用意していた。
その様子を不審に思われて、告発につながったという事件。
知れば知るほど、隠れキリシタンの人たちの暮らしは興味が尽きない。
表面的には仏教徒として装ってるから
すぐそばにめちゃくちゃ大きなお寺もある
改めて町の作りを見ると、ちゃんと隠してきたんだなぁって実感する。
いまでもこの集落の人の25%くらいはキリスト教を信仰してるらしい。
日本の中でも
キリスト教信者が町の人口の25%というのはすごく高い。
隠れキリシタンの歴史
ここの人たちがなんでこんなにもキリスト教を信仰し続けられたのか
宣教師が追放された数百年の間、どうやって信仰したのか
歴史を学んでも私は理解しきれないんだろうなぁ。
でも、ここを旅しなかったら
こんな文化が今も根付いているって知らなかった。
天草は、歴史が動いた場所。
歴史を巡る旅がしたい人
ぜひ天草に行ってみて。
今日はここまで。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
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