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1-8 茶舗の従業員たち、下僕にマジびっくりする ~小説「女主人と下僕」~敗戦奴隷に堕ちた若者の出世艶譚~


ディミトリと、ディミトリに抱えられたヨサックは、中庭の作業場の奥の奥の行き止まりの方に消えていった。

周囲の人々はもちろん、1番驚いたのは、ディミトリを焚きつけた張本人である、マーヤだった。

確かに、胸の中のとても深い所で、マーヤの中の何かはうっすらと感づいていた。

しかし脳で理解したのは今がはじめてだった。

(やはり!やはりあの男、肚の中は太い男だった。だって!ふだんあれだけ、人に優しくできる男ですもの!他人をかばえる男ですもの!そんな心の広い男が、ただの意気地なしな訳はなかったのだわ。)

(気が弱い人だけどそれでも私のために勇気を振り絞ってヨサックを叱ってくれるはず、って思ったの)

(ただ…何かが違う…あたくしが想像してたディミトリさんとは…何かが…!)

奥の奥の通路からディミトリであってディミトリではない知らない種類の猛獣のような恐ろしい怒号が聞こえる。

「おい!…こんどもし、たった一度でも、俺のお客様に手を出したら…只じゃおかねえェッ!!…いいか…おぼえておけェッッ!!」

中庭にいた皆んなも、マーヤも、あまりにもあまりにもいつものディミトリと違う声に

(えっ、あの声、誰?ディミトリなの?ヨサックでもないし?)

と混乱するほどだった。しかしあの声は確かにディミトリであった。

しかも怒る間もマーヤのことを『俺のマーヤ』どころか『マーヤ様』とすら呼ばず『俺のお客様』なんて呼ぶような、そんな所で妙な遠慮を見せるような男、ディミトリの他に居るわけがない。

そもそもヨサックも『俺のお客様』なのだがそれはまあいいとしよう。

しばらくして、ディミトリがムーっとした顔で帰って来て、マーヤが居るテーブルと、一つ離れたテーブルにどすッと座る。

「あっ、あの、ディ…ディミトリさん...?」

マーヤがこわごわ声をかけてもディミトリは返事をしない。

そこにヨサックがこそこそと逃げるように中庭を走り抜けようとした。

するとディミトリはヨサックの方を振り向きもせずテーブルを思いっきり

バン!

と叩いた。古いテーブルは、たくさんの板が寄せ集められてできたテーブルであったが、そのうちの一枚、3センチはあろうかという厚みの板の一枚が叩き割られて真っ二つにVの字にひしゃげ、その瞬間一本の古釘がどこかに吹っ飛んだ。


「ひっ!」

ヨサックが身動きも出来ずに固まった。

そしてディミトリはそのままヨサックの方に振り向かず、ヨサックにはただ後姿をみせたまま、低い絞り出すような声で唸った。

「...ヨサック!」

それからディミトリはゆっくりとヨサックの方に向いて続ける。

「…筋を通せ…こっちに来て、マーヤ様にきっちり非礼をお詫びして、二度と失礼な事は申しませんって誓ってから帰れ…..」

「は、はい!」

マーヤは目を丸くして、椅子にも座らず石畳にひれ伏し両膝をついて丁寧に非礼を詫びるヨサックを見つめた。そこにはまったく知らない別人になったヨサックが居た。

マーヤはその先の方を見るとやはりディミトリに似た、まったく自分の知らないディミトリが不機嫌そうに腕組みして椅子にどっかと股を開いてふんぞり返ってヨサックを睨んでいる。

周囲の人々も、ただ、純粋に、ぽかんとして、言葉を失っている。

ヨサックが平謝りに謝って、小走りで、中庭の作業場を抜けて、茶舗から退散した瞬間。

ふんぞり返って腕組みをして眉間に皺をよせていたディミトリが、堂々たる引き締まった浅黒い体躯をゆっくりと起こして仁王立ちに立ち上がり、そのまま、きっ、とした瞳でゆっくりと周囲をぐるっと見まわした。

周囲の空気が凍った。

特に今までヨサックとつるんでいた数人の不良どもは狂ったようになって全速力で逃げ出した。

そもそもザレン茶舗の人々は皆、悪気がないにせよ、ふだんは平気でディミトリの事を、からかったり、いじくりまわしたりして、遊んでいるのだ。まさかディミトリがこんな男だったと知って、怖ろしくない訳がない。

だが、ディミトリは、そのまま一度息を吸ったかと思うと、また い つ も の 気弱そうなディミトリにすうっ…と戻って筋肉質のぶっとい膝を、女の子みたいにきっちりとそろえて、きちんと椅子に座り直した。そして、テーブルの、割れてくの字型にひしゃげた板をメキメキっとまた元のまっすぐに戻し、つまらなそうにもう一度小さなため息を吐いて、困り顔の女の子みたいに上目遣いに、バツの悪そうな、ちょっと不安げな表情でマーヤを見て、そしてうつ向いて、言った。

「あ、あの、えっと、マーヤ様、終わりました。たっ、大変見苦しい様子をお見せしてしまって申し訳ございませんでしたっ。そのっ…ヨサックが申しました通り、ヨサックは明日からは、二度とマーヤ様に失礼を働きません。10年経とうが20年経とうが今後ずっと大人しいように上手いこと処理しました。まずあり得ませんけど、万が一ヨサックがまた何か仕掛けてくれば、すぐ押さえつけますんで、仰ってください。...ただですね、その、繰り返しますが、この一回きりですよ?本当に本当に今回だけでもうこんな事は勘弁してくださいね?今後はこんな些細な人間関係ぐらいは、ご自分で上手くいなして下せえ。...いくらマーヤ様のお願いでも、もう2度とやりませんからね?」

ひたすらマーヤは声も出ないほどびっくりしてディミトリを見つめていた。

実際にディミトリは完全にヨサックを制圧した。それからしばらくして、ザレン茶舗でヨサックに会ったときはもちろん、その後10年も経ってマーヤが誰も従えずにただ一人で街を歩いている時ですら、ヨサックは完全に怯え切った様子で、地面の土の上に直に深く跪いて挨拶して来るようになったのだ。

また、「ヨサックをディミトリがたったのひと吠えでこてんぱんにやっつけたらしい」という話は、たしかにしばらくうっすらと噂にはなったのだが、翌日からのディミトリの様子があまりにも今までとまったく変わらない、気の弱そうな穏やかな態度であったたため、いまいち噂話も盛り上がらず、目の前でその様子を見た者たちすら、何かの間違いだったのか、ヨサックは元々ディミトリにはなぜか大人しかったっけ、というような気分になって、この事件はそのまま忘れられていった。

話戻って。ヨサックを追い払った直後である。

マーヤがぽかんとしたまま黙っている目の前のテーブルで、ディミトリがまた変化し、第3の顔を見せた。

さっきの猛獣のように吠えるディミトリでもない、

いつものメソメソへらへらした気の弱いディミトリもない、

男らしくも落ち着き払った真剣な表情のディミトリだ。

ディミトリは、いまいちグラグラして直らないテーブルの割れた板から手を放し、真っすぐに向かいのテーブルに居るマーヤの瞳をしっかりと見つめて、深みのある声ではっきりと言い切った。

「マーヤ様。今からわたくしは、どうしてもマーヤ様と話したい、大切なお話がございます」

そしてディミトリはすっくと立ち上がり、すかずかと、マーヤのテーブルにやってきて、堂々とマーヤの両手を手繰り寄せて、2つまとめて、ガッシリと握り締めた。ディミトリの粗末な皺しわの灰白いシャツから、まがまがしい敗戦奴隷のくろがねの首輪と、日に焼けた男らしいのどぼとけが覗く。

「身分違いだろうがなんだろうが、俺は決めた。腹を決めて言わせて貰いますぜ。…ん、ここだと人目があるからいけねえ。…この話は絶対にふたりっきりで話したいんです。...そうだ、いまから商談室に行きましょう。あの部屋なら壁もドアも厚いから外に話も聞こえねえ。ついてきてください」

そして、あの、どうしようもないほど恥ずかしがり屋のはずのディミトリは、躊躇いもせず立ち上がり、ふだんは触ろうともしないマーヤのしっとりとした白い手を、再び堂々と鷲掴みにして、真顔でしっかりとマーヤを見つめると、前を向いてどんどんと歩き出した。

たぶんその場にいた全員が「ディミトリは何年も好きだったマーヤをたったいまから口説き落とす気だ」と思った。

...そしてまた、マーヤも口説かれると確信した。

(私の知らないディミトリが目の前にいる。しかも商談室でふたりっきりですって?)

マーヤは今日の不思議なディミトリに猛烈に惹かれてしまっていた。熱く乾いたディミトリの力強い手が堪らなく心地よい。脚がもつれて、いう事を聞かない。

明らかに身分違いの相手だ。
到底結婚するとかマトモな交際ができるような身分差ではない。

しかもその上、いま、茶舗の一部のディミトリ派な従業員達がまだ数人は(ヨサック派のヤツらはついさっき全員全速力で逃げ出して居なくなったとはいえ)そんなマーヤとディミトリの掛け合いを完全に目撃してしまっているのである。

いくら『商談室で話す』とはいえ、下賎な男と2人っきりで密談など、通常ならば未婚の両家の子女であれば決して受けてるべきではない。

だが。

マーヤの心はもう、狼に仕留められてまだ絶命してもいないのに動けなくなったウサギのように無抵抗になっていた。

(あぁ…わたしは、今、完全にどうかしている…)

マーヤは思った。

(だっていま、私はこの人に今すぐ強引に襲われたいって思ってる。ふだんは情けないくらい穏やかで優しいけど、この人は本当はやっぱり虎だった!さっきの虎みたいに吠えていた男がディミトリだなんて!あの、見たこともないわたしの知らない恐ろしいディミトリの、餌食になりたい。いますぐ、この人に、強引に抱きしめられて、虎が兎を食い殺すみたいに首筋を甘噛みされながら、自分が自分でなくなるまで襲われたい…!)

あのお堅い上に鼻っ柱の強いマーヤが「男に襲われたい」とすら望むなんて!

もちろんマーヤは男に対してこんな気持ちになったのは産まれてはじめてだった。

が。




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昔々ロシアっぽい架空の国=ゾーヤ帝国の混血羊飼い少年=ディミトリは徴兵されすぐ敵の捕虜となりフランスっぽい架空の敵国=ランスで敗戦奴隷に堕…

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