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45歳。もう一度、英語の勉強をしようと思う。[序]

スペック / 100%日本人。東京育ち。45歳。まあまあな熟女ゾーン。いわゆる英語関連の検定受験経験なし。渡航経験十数回。海外の友達あり(ネトモ)。中学レベルの単語はわかるけれど、高校レベルの文法や単語には自信なし。旅行英会話の実弾はいくつか所持。

何度となく英語の牙城を崩そうとしては最長数週間で挫折。そんな熟女が50歳の時点をゴールとしながら、英語ともう一度向き合う日記です。

英語勉強的生い立ち

海外旅行に十数回行ったことがあるけれど、旅行英語だけで乗り切れるところにしか行かないし、しまいにこの数年は、アプリで問題解決できることが増え、なおさら英語をはなす必要に迫られなくなってしまった。

5歳の頃にポーンと近所のアメリカ人が経営する英会話教室に入れられた。

入った途端に、初めての謎の言語でたたみかけるようにはなしかけられ、なにをいっているかわからないけれど、オウム返しに言われたことを返してみたら、いいこ!いいこ!といわれた記憶がある。(今となっては、本当はなにをいわれたかはわからないけれど)

帰宅後、そのワードを披露した時に、父が嬉しそうに「おお!!」といったことを覚えている。母がホットなLINEでそれ報告していたら、きっと♥とか絵文字がついて返事がきたりしていたのであろう。

もちろん黒電話時代なので、そんなものは猫型ロボットの世界。

THE・オールウェイズなその場で、おっしゃー!とばかりに喜んでもらったので、40年もたつ今でもそんな光景を覚えていられるのかもしれない。

団塊の24時間働くビジネスマンだった父は、アメリカに出張することがあるものの、典型的なヒヤリング不足人間で、娘にはそんな思いをさせたくなかったのであろう。

私も、なんやこんな風に真似していってこの教室に行くことで、周りがこんな風に喜んでくれて、きっとこの先、英語が喋れるようになるんだな!!って、すっかりイージーモードな感触をもったことが記憶にある。

1年もすると、その教室は最初に出会ったアメリカ人の奥さんである日本人が教えることとなり、だんだん違う方向に進んでいった。吸収スペースはスローダウンし、単語やこどもなりの読み書きが中1レベルまでいったところで、イディオムの丸暗記がスタート。ここで、あれ、英語、好きじゃないな、となる。当時、小学3年生の時ぐらい。

今、思えば、駅前留学的な大きな英会話教室がようやく日本を戦場としはじめたころで、当時の先生もやりかたを模索していたのだろうけれど、時代が時代だったということもあるし、所詮週1の英会話。

会話など、ものにできるわけもなく。

現在、発音だけほんの少し気楽にできることだけが、当時の貯金である。

中1になり、満を持して披露したシラブルもばっちりの発音「アポー」も、周りのジャパニーズイングリッシュにまみれた先生と周りの生徒に一笑され、砂漠へ埋めた。

幸い、真面目に勉強するのは嫌いだけれど、瞬発的に勉強するのは嫌いじゃなかったので、勉強はできる方の部類にいた。

当時の公立中は、偏差値は大体下記の順番だった。

A 天才軍団 > B 努力でトップ > C やればできるだろうけど結局やれない3〜4番目> D 勉強が身に入らないけれどやる気はある >E/F やる気があるけど記憶がものにならない・やらない

私はこの「C」のタイプで、当時偏差値がテストによってマチマチで60〜70ぐらいだった。これを頭が良いといってくれる人もいれば、天井人からは教養の端にもひっかからないといってくる人もいる、けして天狗にはなることはないヤカラ。

その後、この偏差値帯のことを、高校に行って実感するのだが、この層は、中途半端なら勉強ができるけれど熱しやすく冷めやすい地頭を持ち合わせていることが多い。

中学時代は、頭がいいと呼ばれたりするし、ほんとはやればできるともいわれるけれど、実はその "やり続ける能力" がかなり低い。

瞬発的に集中力があるか、記憶力があるだけ。

にもかかわらず、一度はわりといい線に行った経験もあるので、どこかしらみんな自信を持っていて、きっとやればできんじゃね?今やんないけど。と常に思いがちな層なのであった。

なにがいいたいかというと、うさぎとかめのうさぎ。ありとキリギリスのキリギリス。さぼればすぐに地に落ちるスタンドが、自分の影の中に潜みしもの・それがわたくしである。

高校になった頃も、受験英語にしか触れておらず英語は試験前にだけこなすスタイル。

付属だったこともあり学校の中は、受験に追われる感じもなくのんびりとしていた。授業ではシャーロック・ホームズの本を読む時間もあったりして、多少は楽しい授業だったはずだけれど、シャーロックの構文も単語も覚える気がなくてどんどん英語が面倒になっていった。

今、読み返してみても、シャーロック・ホームズを最初の多読の1冊にするにはあの当時の自分にとってクセが強すぎたと思う。

そんなこんなで大学に進んだ頃には、英語が嫌いで第二外国語はフランス語を履修。1年だけやって、こちらもただ単位をとってサヨナラしただけ。

しかしその頃には、あーー。どこで間違っちゃったんだろうなー。なーんで8年間+こども時代の英会話スクールがあってもこんなにしゃべれないんだろう。読めても喋ろうと思うと頭まっしろ。などと、CDつきの本を買ってみたりドリッピーをやってみたり、父のアルクのマラソンテープを聞いたりしてそれもこれもまた、1ヶ月真面目に英語の勉強を続けるというところには結局いかないままで、気がつけば大人の階段をのぼってシンデレラはまだまだシンデレラだと思っていたら、英語が関係ない仕事につき、こどもを生んだりしながら、30歳も半ばに着地。

Most of 日本人この世代の典型。

ところが、30歳も半ばごろ、ノリで始まった自営の仕事が輸入をする内容となり、メールだけでもなんとかなるものの、英語がはなせた方がより、よいのではなかろうか、というタイミングがやってきた。

続く

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