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Addenda/Anecdotes I

1.Trilogy

 ‘79年頃だったか、YAHAMA主催のコンテストの地方予選があった。L-Motion熊本予選。関東地域だと88ロックデイかな。まぁ、地元の楽器店からの話だったのでバンドとしては出ることにしたみたい(知らいないうちに決まっていたので)だ。過去、東京の本選にいったいどんなバンドが出たかなんてとっくに知っていたのだが、僕としてはまぁ出てみるか程度の気持ちだったと思う。そんな時期、お世話になっていた楽器店をぶらついていたら、展示品のCP-70Bをバラバラと弾いている人が居た。いかにも只者ではない(アマチュアではない)感じだったので声を掛けるのを控えていた(というか、シャイだったので声が掛けられなかったのだが)。見ていると、Trilogyを弾きだした。最高域のフレーズは、73鍵モデルだとキーが足りないのだが、そのはみ出したところを委細構わず鍵盤枠を叩いて折り返してくるのが何とも粋で決まっていた。

 さて、予選当日、審査結果の待ち時間にゲスト演奏があった。当時福岡で活動していたQuaserというkb,b,drの3ピースバンド。ステージを見るとコの字型にマルチキーボードが並んでいる。ELPかよ、とか思って聴いていたら、オリジナル曲に続いてTarkus(Eruption~Stones of Years)を演り始めたのでぶっ飛んでしまった。そのキーボードプレイヤー楽器店で見かけた件の方。松浦義和さん、後にプリズム等でも活躍された方だった。さもありなん、である。(2016/04/09)


2.Synthesizer

 入学してから学部の4年まで、大学至近(構内まで徒歩30秒程度)の場所に間借りしていた。4畳半1間、トイレ共同、風呂無しといったところ。木造の旧い家屋の北側1F。傾斜地に建っていたので、窓側道路は一段上、という絶好調に日当たりの悪い部屋だった。当時風呂屋は近所に数軒あったし、学生向けの定食屋も多かったので特に困りはしなかった。
 大家さんはお婆様と同居の奥様(自分の母より高齢の方)でとても上品な方だったが、昔気質というか、面倒見の良い人(今だったらお節介とかプライバシーの侵害とか言われる感じ)で、時々「お勉強なさってますか」などと下宿人の様子を見に来ていた。
 ある日、シンセ(SH-3A)のセッティングをしている最中にいらして、それは何という楽器か、とお尋ねになる。シンセサイザーです、と答えると、「しんせい、何ですか?漢字でどう書きますか?」と。何のことを言っているのかわからず、流石に一瞬絶句したが、「いや、その英語です、シンセサイザー。」とどうにか返事をした。「新生ナントカ」とか書くのかと思われたらしい。後にも先にもシンセサイザーを漢字でどう書けば良いのか、考えたのはその時だけだが、今でも時々思い出しては理不尽ながら何となく引っかかるものがあったりする。結構大きなトラウマなのかも知れない。(2016/04/10)

3.BB1200

ベースの話。
 ’78年ころだったか、何だかよくわからんがベースのバンマスが抜けたのだが、鍵盤弾きがバンドに2人いたのでとりあえず困らん、ということもあり、僕がベースを弾くことにした。例のお世話になっていた楽器店で色々見ていたら、BB1200というYAHAMAのモデルがあった。国産にしては当時かなり高価なモデルだったが、ともかくもそれを入手した。買ったのは実は斜向かいの別の楽器店。そちらの方が売価が安かったし、美人の店員さんが居たのだ。いきなりサークル内で最も高価なベースを弾く男になってしまった。
 さて、問題はバンドの方。とりあえず存続バンドとして旧来のバンド名をそのまま名乗ってはいたが、新曲もやらねばならん。渡辺香津美のMoving Nozzleというインスト曲と、もう1曲、もう名前すら忘れてしまったが、ボーカル曲を耳コピーないしは弾ける範囲で弾けるようにリアレンジする傍ら、後藤次利先生の教則本およびそれと連動したLPを買ってきてひたすら練習した。プリズムのバンドスコアも買ってきて練習したな。
 当時の学生バンドは学内や近隣大学サークルの主催するダンパ(ダンスパーティのこと)で演奏することが多かったが、その一つでこの2曲を演奏してお披露目。ちょっと派手に決めてみたので、サークル員が少し驚いていたようだ。そうこうしている内に件のバンマスが、メンバーの熱意に感動したとか何とかで戻ってきたので、レギュラーのベーシストとしての地位は非常に短期間で終わった。その後、バンマスがベース貸せと言うもので(そりゃGRECOのJBコピーよりはいい音がしたからね)、屡々貸し出したのだが、徐々に私物化されそうになって来たので(質草になってはかなわん)、現場で貸すだけにしておいた。この人、後に当時の彼女も私物化したのだが、その辺りの話を書き出すと少々具合が悪くなるのでやめておく。

画像1
YAMAHA Broad Bass BB1200
フレットレス改

画像はそのBB1200。何年か前にベースマガジンの記事を参考に自分でフレットレス化したが、まだ手元にある。色々複雑な記憶やエピソードの絡んだ代物だけど、ともかく僕がベースを弾くようになったその初めからの付き合い。僕の基礎はここにある。 
(2016/04/10)

4.YC-20

 またバンド時代のことだけど、今回は本職(*41)の方の話。僕が加入した時、サークルには鍵盤楽器が1台あった。というか、一台しかなかった。YAMAHA YC-20という電子オルガン。YAMAHAのコンボオルガンなのでYC。わかりやすい型番。赤いボディで1段鍵盤。脚は取り外し式で、同じく取り外し式の蓋を閉じるととそのままボディ全体がキャリングケースの形。バンド向きの仕様ですね。随分前からあったと見えて、電源スイッチはただの家庭用の壁スイッチみたいなやつに交換されてた。
 当時のバンドで演ってたレパートリーといえば、もう定番というか70年代のことだし、PurpleとかZeppelinとか、ハードロックという奴が主。当然ヘビーな音が必要なんだけど、如何せんエレクトーンの電子音。特撮TV番組とかカレッジ・フォーク向きではあるけれどそのままではちょっとロック向きじゃない。専用のキーボード・アンプがあるわけでもなし、余ったGUYATONEのギターアンプに繋いでも、これがまた絶対に歪んだりしないクリーン設計(笑)。
 でまぁ、考えるわけです。私、ギターも弾いていたので、ACETONEのFuzzMaster IIとかRoland(BOSSじゃなくて)CE-1とかも持っていた訳ですよ。で、それを繋ぐ、と。
オルガンの出力が小さい状態では歪まないんだけど、ボリュームペダルを踏み込んで行くと、あるところから音量感は変わらずに(コンプレッションされた感じで)歪んで行く。
そこでコーラス(CE-1)ONにすると、レスリーのホーンが回転する感じになる。なので、Smoke on the Waterのイントロのフリーソロとかではかなりいい感じになってた。まぁ、機材が無い分、あれこれ工夫してたし、それが楽しかった。
 それから後の事になるけど、SS-30なんていう、ミサイルみたいな型番のYAHAMAのストリングアンサンブル(Solinaもどき)を弾く時に、モノシンセ(SH-3A)のブラス音色でトップノートを一緒に弾いてアタック部分だけ足してやると、ブラス・アンサンブルの感じが出るとか、ポリシンセが高価でとても手が出なかった時代に、何とかやりくりしてた。大して巧くもないというか、下手くそだったけど、妙なハッタリ技だけは器用だったな。
(2016/12/10)
*41: 一応、音楽教育はオルガン~エレクトーン教室から始まっているので、そいうことにしておきたい。自主的に真面目に取り組んだ最初の楽器は、中2の時に初めたクラシックギターの通信教育だったけど。

画像2
YAMAHA YC-20(資料画像)と
学園祭ステージでの様子
(1979年頃)

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