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恋人ができればさみしさは消えるのか

初めて恋人ができて、初期に抱いた感情が「出家したい」だった程度には、煩悩と破滅願望に定評があったのですが、歳月を経て悟りの過程に至ったような気もするので、標題の話をします。
個人的な恋愛観の話です。

恋人というものを知らない頃、誰かに愛してもらえれば、自分のさみしさは無くなると思っていた。一方で、愛する相手ができて初めて、本当の孤独というものが分かるのだろうかともうっすら思っていた。

かつての私へ。自分のさみしさを他人でどうにかしようとするんじゃないよ。
かの冨岡義勇さんも生殺与奪の権を他人に握らせるなと仰ってましたし…(引用が雑すぎんか?)


個人の主観でしかないですが、恋人ができて得られるのはひとに愛される温かさと、離れる寂しさなので、さみしさはプラマイゼロむしろマイだと思った。
これまで寂しい気持ちを抱えてきた人ほど、会えない寂しさに支配されてしまう気がする。

2年くらい心を振り回されて、やっと、ひとりの人生を楽しく過ごせるだけの強度がなければ、恋人ができたところで本当の意味で幸せにはなれない、と思える境地に至った。
人生の強度、とは言い換えれば生活の充実感とでも言いましょうか。


乱暴な言い方をするが、恋人は人生の必需品ではない。人生のオプションでしかないのである。標準装備がしっかりしていなければ、オプションをつけてもあまり恩恵がない。

オプションありきで売ってくる商品、どうかと思いませんか??じゃあ標準装備をちゃんとしろというかんじがしませんか??いや主観ですが…

恋人って結局精神的取引先の人でしかなく、あなたの欲しい愛を際限なく与え、全ての問題と寂しさを消し去る神様ではないのである。
恋人で精神的な穴を埋められるわけではない。物理的にしか塞げん。(最低な発言)

恋人がいる人間だけにやさしい世界が嫌いすぎて、だいぶ恋人という概念の悪口を言いましたが、結局のところ恋人がいなかったとしても充分楽しいけど、恋人がいたら楽しさの幅が広がるみたいな人生が理想だと思っている。

いま幸せならそのまま幸せでいい。
恋人がいない寂しさに苛まれているならば、そもそも自分の生活を充実させる術を見つめ直すべきだと思うし、
恋人がいても寂しさに苛まれているのならば、それは他人ありきの人生でしかないので自分自身の人生を生きてほしいと思う。
恋愛至上主義的思想を他人に押し付ける人間は特に伝えたいことはないけど静かにして。

お黙り!!

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これぐらいの圧で黙らせていきたいです

なんにせよ恋人と一緒にいない時間を楽しく過ごせなければ、例え恋人がいても寂しさに心を支配されるので、本当の意味で幸せになれないという事実は自分の肝に銘じておきたい。

しかし恋人の存在、自己肯定感と生活の充実感を超絶お手軽に上げてくれるので、恋愛に狂う人間の気持ちはめちゃめちゃよくわかってしまうな…
そのいっぽうで恋人に頼らず自分自身で得た、人生の強度は、手に入れるのが簡単ではないかもしれないけれど、自分のものだから裏切らないことも分かっているので自家発電したいものである。


偉そうに語りましたが、恋人がいない人生だったら、この悟りには絶対に至らなかった。恋人ができて初めて、さみしさは自分で解決するしかないという事実に至ること、卵が先か鶏が先かみたいな話である。

仮に私がいま独り身だったらこの文章を読んで、
うるせえ!!!それは恋人がいるから言えることだろう!!!!!って絶対に言う。

私はまだその部分に答えを提示できていないので、未だ悟りの過程なのだろうと思う。
人生は絶望のメリーゴーランドですが、寂しさも含め孤独を愛せる人生でありたいな。

とりあえず今の恋愛観を留めておきます。
おわり!

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