「提案しなければならない」という病

クリエイティブの現場においては、待っているだけでは何も生み出しません。常にこういうアイディアはどうだろう?と提案し、クライアントとコミュニケーションを取りながら創造していくことがビジネスとなる。。このことには間違いはありませんが、前提に取り違いがあったらどうでしょう?

ルーティーンワークでしかない場で、すべての仕事はクリエイティブ、感性こそが新たなビジネスを生み出すといった観念だけが先行してしまうことはありませんか?

クリエイティブ至上主義で、ただ産みの苦しみだけで終わっていませんか

相場の世界の格言で「待つも相場」という言葉があります。FXで言うところの「ポジポジ病」は、待てずに無駄なポジションを持つことで、せっかくの利益をマイナスにしてしまいます。
コロナ禍の仕事が激減するなかで、何もせずにただ待つことは「焦り」と「不安」を生み出しますが、「焦り」と「不安」からは良い結果は生まれません。

方向性が見えないところで、ただ時間だけが過ぎていくということは耐えがたいことです。ならばあらゆる方向性をシュミレーションして提案し、方向性を絞り込もう。そう考えるのがごく普通のクリエイターですが、トレーダーから見れば狭い値幅のレンジ相場に飛び込みに行っているようにしか見えません。

A案とB案を提案すれば、C案も見てみたい。C案を提案すれば、やっぱりA案だね。A案に決まるかと思えば、決定権のある偉い人が出てきて「C案も見てみたい」と話が戻る。トレーダーが言うところの「レンジの往復ビンタ」、レンジを抜て方向感が出た頃には疲弊して、エントリーする気持ちが萎えてしまっています。

【先週金曜のユーロ/ドル】

前日からの底値形成、そろそろ反転を思わせるWボトム&ミニWボトム&sma21サポート&ネックライン越えからのロング。
まだ逆張りなので、1.174を利確目標にしました。
しかしまだずんずん上昇する段階ではないので、途中もみあいでアウト、微益で撤退しました。
結局1.174を突破。チキン利食いしてしまったが、やっぱり自分の考えは正しかった。。。ホントか?

キャリアは無駄な引き出しをつくる

「やっぱり自分は正しかった」そんな思いは自分の経験が実現しなかったときに思うことです。ですが「実現しなかった経験」なんてものが経験に値するはずもありません。自分の考えを正解化することで、経験を正当化し、人生において無駄な引き出しをつくっているのではないでしょうか?それが結局シンプルなチャートを複雑に、難しくしてしまっているのではないでしょうか?

取れるところだけ取る。
優位性のあるところを取る。
再現性のあるところを取る。

とにかくかんたん、シンプルに見てみよう。