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25年前のこと

25年前といえばまだ20世紀だ。私は30代で気力体力充実しておりバリバリとエンジンをふかして突き進んでいくような会社員だった。当時はパソコンを電話機につないで通信したり、ぼちぼちインターネットという仕組みが広がろうとしていた時期だ。たった25年前というべきか、もう25年も前というべきか。確かなことはその25年という期間が自分の人生の中に綴られているということだ。さて、
そのころ私は黎明期のインターネットに興味を持ち、当時流行っていた「掲示板」というものをよく眺めていた。その中にパソコンボランティアという文字を見つけて、何気なく読んだことが、その後の25年を大きく導いてきた。インターネットを使えば家に居ながらにして、たとえ寝たきりであっても外の社会とつながることができる、その技術的な興味とボランティアというそれまで経験したことのない社会参加の形態への興味があった。
私はそれまで障害のある方々と全く接する機会がなかった。当然のことながら何も知らなかった。無知は恐怖である。最初に施設を見学した時のショックは相当なものだった。自分にパソコンボランティアなどできるのだろうか、と思ったものだ。しかし技術的興味がその不安よりも優った。人間的な信頼関係を言葉で築くのはあまり得意ではなかったが、一緒にパソコンを前にしてどうすれば、希望する環境が作れるかを考えることが結果としてコミュニケーションになり、信頼関係を築くのに大きな助けとなった。
いま、古い話を持ち出しているのは、自分が30代の頃を振り返って当時の気持ちを思い出したかったからである。30歳を過ぎてからようやく障害のある方々の存在、生活に気付き始め、そのときに自分の専門にしていたコンピュータ技術がー少し方面は異なったがー役立ってボランティア活動という新しい自分の生活の広がりをもたらしてくれたことだ。
日本でも介護保険制度が導入されてから介護は家族から専門職へと認識が変わってきたはずだが、私の理解が不足していたのか、それは新しい試みの一つにすぎないような感じを持っていた。しかしデンマークに行って福祉の現場を見る経験や情報を得られたことで、専門家がチームになって一人ひとりをサポートすることが普通であり、適切であり、尊厳を守ることにつながるということが納得できた。
専門というのは大切である。社会に貢献できる何かを専門で持つ。そのことはコミュニケーションを生み出し、自分の人生のこれからの期間に彩りを与えるものになる。どんな専門性も社会に貢献できる。その貢献の方法を考える気づきを与えてくれたのが、私の場合はパソコンボランティアであった。

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