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救急搬送

昼間、久々に友人たちとごはんを食べて少し飲み、帰りはバスに乗った。11ヶ月と13日、なかなかハイハイできず、おすわりもまだ。ゆっくりな子だなと心配が募ってきていた頃だった。
食事中はいつも通り、とくに機嫌がいいわけでも、さりとて悪いわけでもなく、持参した離乳食を食べてみんなに抱っこしてもらっていた。

あんまり泣かない子だけれど、帰る段になってとにかく泣き止まない。疲れたのかな。そう思ってバスを一本見送って様子を見たけれどさほど変わらないので、次のバスに乗りこみ、泣くのをあやしながら帰宅した。

帰宅後熱を測ってみると少しだけ高め。様子見ながらゴロゴロしようねと、その後はいつも通りお風呂に入り、離乳食を食べ、早々にリビングでゴロゴロしていると寝てしまった。やはり疲れていたのかな。連れ出してごめんねと思いながら、なんとなくずっと抱っこしていた。いつもはずっと抱き抱えていることなんてないのに。この頃には平熱まで戻っていた。

ソファに座りながら横抱きし、テレビを眺めていた。22時のミルク、これを飲んだらベッドで寝ようねと話しかける。寝ながらも哺乳瓶に吸い付く。けれど何かおかしい。うまく飲めなくてむせるような動作をしたので乳首を取り出しもう一度咥えなおさせるが、また同じようにむせた。発作が起きたのは、その直後、大丈夫?と話しかけたときだった。

両手を頭の上にあげ、足はカエルのような形になり、その姿勢のまま両手足がビクビクと小刻みに痙攣している。黒目は上へ行き、呼びかけても目線は戻らない。明らかにおかしい。
ほおを叩きながら呼びかけるけれど反応は変わらず、それどころかみるみるうちに血の気が引いて顔は真っ白、唇は真っ青に。驚いた夫が喉に何か詰まっていないか口をあけてみてくれる。この一連の対応がすべてやってはいけないことだったと、のちのち病気について検索するなかで知ることになるが、このときはそうしてしまうしかない大人ふたりがいた。

夫が見ている間に119番。電話で話しているうちに顔色は戻ってきた。救急車が到着して、搬送先を決める間に酸素マスクをつけて問診をしてもらう。
最低限の着替えと荷物を整えて病院へ。道中スヤスヤと眠りはじめ、なんならうっすらいびきすらかきはじめ、救急隊の人と顔を見合わせる。恐怖はあったけれど、落ち着いてきた顔色に少しほっとしていた。

救急で小児科の先生がいたので少し安心して、説明を聞く。この時間にやれる検査をやり、一つひとつ病気の可能性をチェックしては消していくという。パソコンの不調の原因を突き詰めていく作業に似ていると、ぼんやり思っていた。イエスノーで、可能性を狭めて核心に迫っていく。

コロナやインフルも含めて、脳のCTやお腹のエコーも。でも、なかなかこれというものに当たらない。ちょっと疲れただけだよね。すぐに帰れるよね。すごく変だったけど、すごく怖かったけど、でも大したことないよね。そう思っていた。

今日は泊まって様子をみましょうと、病室に移動したのは夜中すぎだった。担当看護師さんに「入院中大人のごはんは提供されません、食堂にお弁当が注文できますが予約しますか?」聞かれて、明日には退院できますよね、いりませんよねと答えた。明後日には仕事でいただいた賞の表彰式も控えている。でも明日のタイヤ交換はキャンセルしないとな、保育園もお休みの電話しなくちゃな。そんなことを、漫然と思っていた。

またすぐにナースセンターに呼ばれて先生のお話を聞く。明確な診断はまだない。
でも、先生から聞いた話の断片と痙攣の様子、これまで気になっていた成長の遅れなど踏まえて、病室に戻ってからスマホでとにかく検索した朝の3時すぎ。検索するほどに、なぜ明日には退院できると思っていたの?と自分に問いかけるしかなかった。
もう、悪いことしか考えられなくなっていって、声を殺して泣いた。この子はもう、普通には生きられないかもしれない。そう思った。まだ診断はされていない。でも、ほぼ当たりそうな悪い予感が頭と心を支配した。

いやでも、まだわからない。いやでも、、ぐるぐると回る思考。出口はない。

1人用のベッドに2人寝転んで、点滴をされながらもスヤスヤ眠る顔を見つめながら、また泣いた。

しばらく電気をつけていたら、もう消してくださいと少しきつい口調で怒られた。こんなときでもナースはきっちりとしている。悲劇の渦中から現実に引き戻されたようでハッとした。きちんとしなければ。電気を消した。

しかし、発作があればナースコールをと言われていたので、寝ているようで寝ていなかった。そんな日々が、ここからはじまった。寝ているときも起きているときも、とにかく、ずっとずっと見ていた。

写真_お出かけから帰るバス。この頃すでに表情は乏しかった

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