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大きな周期で繰り返すスコッチウイスキー人気 《スコッチ・トレンド史①》


■スコッチウイスキー人気の浮き沈みの歴史

今回から数話に渡って、大きな周期で繰り返す「スコッチウイスキーのトレンド」についてご紹介したいと思います!


■最初のスコッチ・ウイスキーブームの到来(1880年代~1890年代)

スコッチは、ブレンディッド・ウイスキーが発明され、一般的に流通し出された1870年頃から、一気にスコットランド内外で人気を博すようになりました。

ちなみに、ヨーロッパ全土としてのスコッチ人気には、フィロキセラというワイン用ブドウの木を枯らせる害虫が蔓延った影響(ワインが手に入らなくなった)も大きいのですが、それはまた別の機会にご紹介したいと思います。

1880年代には、スコッチ人気によってモルト原酒が足りなくなり、原酒の確保のため蒸溜所が次々に開設されました。

そのため、1880年~1899年くらいまでに開設されたスコッチウイスキーの蒸溜所は非常に多いです。
この1880年代半ば~1890年代半ばまでを、「スコッチのゴールデンディケイド(黄金の10年)」と呼んだりもします。


■パティソン事件によるウイスキーバブルの崩壊(1900年代~1940年代)

そして、ゴールデンディケイドの絶頂期には知らず知らずのうちに、ウイスキー原酒は過剰生産となり、密かに過剰在庫が積みあがっていきました。
いわゆる「バブル」の状態ですね。

そして、このバブルは1898年~1899年にかけてのパティソン事件によって、弾けてしまうのです。

パティソン事件は、以前にご紹介しています。
【ついにバブル崩壊】パティソン兄弟の2つの過ち《パティソン事件:③》|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)

◇パティソン事件
パティソン兄弟が、不正会計とブレンド不正によって、業界トップのブレンド会社にのし上がるも、その不正が怪しまれ銀行からの資金がストップすると資金ショートであっけなく倒産した事件。

業界トップのパティソンズ社の倒産によって、そこに原酒供給していた蒸溜所も数多くが連鎖倒産しました。

この事件によって、スコッチウイスキーのバブルが弾け、以降50年間近く、新たにスペイサイドやハイランドで、蒸溜所が開設されることはなかったくらいのスコッチ不遇の時代に突入します。


■第二次大戦(1940年代)

大麦をはじめとする穀物を「食糧」とすることを優先させるため、「ウイスキーづくり」は制限されました。

戦争の時に、「お酒向けの穀物」を制限して、「食糧に回す」ことは、よくあるパターンで、第一次大戦の時も同様でした。
この第一次大戦の時に誕生したのが、スコッチウイスキーの法的な最低熟成年数の規定であり、それは市場でのウイスキーの流通量を減らす意味合いがありました。

これについては以前に関連記事を書いています。
スコッチの最低熟成期間の法規定は「第一次世界大戦」が原因!?|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)

一方で、第二次大戦中には日本でも、「食糧としての米」を優先させるため「日本酒づくり」が制限されています。

その「日本酒向けの米を減らす」目的で、「日本酒への醸造用アルコールの添加」や「合成酒」が誕生するのですが、これについてもいつか記事化したいと思います。


■第二次大戦後(1950年代~1960年代)

第一次大戦以降(1918年終戦)やアメリカ禁酒法の廃止(1933年廃止)以降、アイリッシュ・ウイスキーがうまく海外輸出を再開できない中、スコッチは最大マーケットのアメリカ市場の開拓を着々と狙います。

そして第二次世界大戦中に、戦時中もアメリカへのスコッチ・ウイスキーの輸出に積極的だった英国チャーチル首相の「外貨獲得戦略」がドンピシャにハマります。

戦争に従軍した米兵が戦場で慣れ親しんだスコッチ・ウイスキーを、戦後に帰国してからも母国で飲むようになると、第二次大戦後のアメリカの好景気に引っ張られる形で、スコッチは世界的に売上を伸ばすのです。


■ウイスキー離れ(1970年代~1980年代)

しかし1970年代に入ると、世界的なウイスキー消費(バーボンもスコッチも)を牽引していたアメリカ市場に異変が起こります。

簡単にいうと、

ウイスキーって、オヤジくさくね!?

と思われるようになったのです。

これは、お酒のトレンドではいつもあることです。

◇ありがちなお酒のトレンド論

《登場時》
主に若者が、好んでその新しいお酒を飲む!
  ⇒ 次第に全世代へ波及

《10年くらい経つと》
あのお酒って、オヤジが飲むやつだよね!?
ブランドの陳腐化
  ⇒ 次第に売上に陰り。
    その受け皿的に新たなお酒が登場!

経済でいうところの、製品ライフサイクル(導入期/成長期/成熟期/衰退期)のことです。

製品ライフサイクルとは|段階別のマーケティング戦略や実例を解説 | PEAKS MEDIA produced by 松尾産業 (peaks-media.com)

で、この1970年代のアメリカで起こったのは「ホワイト・レボリューション」という消費の変化でした。


◇ホワイト・レボリューション(白色革命)

1974年に、アメリカにおいて、ウォッカ(≒ホワイトスピリッツ)がバーボンウイスキー(≒ブラウンスピリッツ)の消費量を抜いたというお酒の消費革命のこと。

ウイスキー(ブラウンスピリッツ)に比べると、無味無臭で飲みやすいホワイトスピリッツ(ウォッカ・ジンなど)が消費の中心に躍り出る流れは、アメリカから、イギリス(スコットランド)や日本へも波及することとなります。

【焼酎の歴史】ホワイト革命とは? – SHOCHU PRESS 焼酎の力を世界に発信するWEBメディア

このホワイト・レボリューションによって、世界的にウイスキーがダウントレンドとなります。


■次回に続きます

次回はホワイト・レボリューションの続きからです!


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