39歳、無職になって1週間

半ば狂いそうになりながら東京のマンションを脱出し、実家に転がり込むように帰省して4日目。

帰ってくる日は人混みも、街の騒音も、歩く人々のスピードも何もかもが恐く感じて、とにかく一刻も早く東京を飛び出したい一心だった。

実家に着いてからも、今後のことを考えれば求人情報に目を通さないといけないのだけど、PCを開くことすら恐くて、ただただこの数日間は「仕事」というものからすべてを切り離して過ごした。

実家に帰ってきて痛感したのは、逃げ場があることのありがたさだ。

私が育った家庭は決して理想的な仲良し家族とは言えないし、むしろ長年蓄積された確執が多々あるほうで、どちらかというと歪な一家だと思う。両親は世間体を何よりも大切にしてきた人たちで、そのため私は昔から、子供の気持ちよりも常に世間体を優先する彼らの言動に度々傷ついてきた。いつもどこかで「愛されていない」と感じていた。

だから仕事が順調だった頃は、実家に顔を出すのなんて年に数日だったし、両親からの電話はうっとうしくて無視することが殆どだった。

ところが、どうしたことか。仕事を辞め、鬱に陥った私ときたら、ここ数日はまるで赤ちゃん返りしたかのように、父や母のあとをくっつき回っているではないか。あれだけ独りで過ごすのが好きな人間だったのに、今は独りになるのがとても心細くて、怖い。なんなら両親と一緒の布団で寝たいくらいの勢いだ(さすがにそれはしないけども)。

そして、どうしたことか。あれだけ世間体を気にする人間だった両親が、年老いて弱ったからなのか、39歳で無職になって帰ってきた娘を、大喜びで迎え入れてくれたのである。なんなら「娘が仕事を辞めて帰ってきたんですよ」と、笑いながら近所の人に自慢して回る勢いだ。

てっきり、すぐに追い返されるものだと思っていた。「いい年して無職なんて恥ずかしい、早く東京に戻って仕事を見つけてこい」と。

しかし、私の予想は驚くほどに裏切られた。もちろん、良い意味で。

両親は何も言わずに、ただ温かいご飯を用意してくれる。午前中、私が不調に苦しんでいると、「庭の緑を見てボーっとしてきなさい」と言ってくれる。働くことが怖くて突如泣き出す情緒不安定な私に、「今はエネルギーを溜める時。エネルギーが溜まれば自然と働きたくなる。そしたら働けばいい」と言ってくれる。

父は過去に大きな脳梗塞を起こして、体の一部が思うように動かなくなったときに、うつ病を患った経験がある。その父が「大丈夫。少し時間はかかるけど、必ずまた力は湧いてくる」と言い切る姿が印象的だった。

今回帰省したことで、私は今、生まれて初めて心から「愛されている」と感じている。心から、両親が生きていてくれることに感謝できるようになった。この感情に辿りつくまでに、39年もかかってしまった。

39歳、独身で、無職。ないない尽くしの現実だけど、もしかしたらこれは、神様がくれたプレゼントなのかもしれない。そう遠くない未来にお別れがやってくるであろう両親と、ちゃんと「家族」をする時間を、私は与えてもらったのかもしれない。

そう思うと、1日1日がとても大事で愛しいものに思えてくる。将来の不安ばかりに押し潰されて鬱になってしまった私が、少しずつ「今」を見つめることができるようになっている……そんな気がするのだ。

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