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オンラインが内包的に問題解決をしてくれるのかもしれない……という妄想

さっきまでオンラインで演劇の稽古をしていた。
最初に取り組み始めた時は「本当に形になるのだろうか?」と不安になっていた。
まぁ、でも、やればやるだけ積み上がっているような感じはしている。
テクニカルな稽古がとても多くて、いつも行っていた稽古とは全然違う事になっている。
それが面白く興味深い感じもあるが、反面、物足りなさを感じるのも事実だ。

本当に大切なものは失って初めて気が付く。

今まで「普通」だと感じていた日常がどんなにありがたいモノだったのかひしひしと実感する。
人対人がリアルタイムで同じ時間と空間を共有する事。
これが、どんなに特別で尊いものであったのか。
別に軽視していた訳でもないのだが、じゃあ「明日、その日常がなくなる」なんて真剣に考えたこともなかった。
ずっとこの「特別」が続くものだと信じ切っていた。

ポッカリと開いた穴を埋めるように、その穴の中に色んなものを手当たり次第に詰め込んでいる。
その中のひとつが「オンライン演劇」である。
到底、開いた穴を完璧に塞いでくれるものではない。
開いた穴と形や大きさが違うのだ。
完璧に隙間なく埋めてくれるわけではない。

でも、「オンラインでも何かが創れる可能性がある」という光が見えないわけでもない。

演劇は役者・舞台・観客、お互いの影響の矢印が干渉しあって、影響の輪が大きくも小さくもなるものだと思っている。
そして、その手法はリアルタイムでしか取れないと考えていた。
いや、今もそのように考えている。
だが、それが絶対というわけでもないのかもしれない。

オンラインだと距離や時間を超えて行ける。
その中に、何か発見できていない可能性が眠っているのかもしれない。

様々な事情で演劇から離れてしまった人。
一緒にお芝居がしたくても遠くに行ってしまった人。
なかなかお互いの時間が合わなくなってしまった人。

今までは、そのような人それぞれの事情を解決する事ができなかった。
オンラインにはそれを解決できる「何か」があるのか?
実感を持って「これだ」というものはない。
でも、「何かがある」という感じはしている。見えないけど。

人それぞれの抱えている「何か」が解決できた素敵だなぁ。
それができたら、遠く離れたあの人とも一緒に何かができるかもしれない。
そんな夢なのか妄想なのかわからないものが自分の中で広がっている。

本当の本当はオフラインのライブでしたい。
最初はその代替えかもしれない。
でも、その代替えが新しい何かを作ってくれるのかもしれない。

そんな事を、ふと、考える。

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