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2020年2月2日(日)

徳島県の文化の森総合公園で野田秀樹作「パンドラの鐘」を観劇した。

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演劇界の超有名人である野田秀樹が1999年に書いた作品。

20年以上も前に上演された作品。

20年の月日がたてば古ぼけて埃を被るのかと思いきや、全くそんな事はなかった。

それだけ普遍的なテーマが、この作品には内包されているのだと感じた。


調べてみて面白いと思ったのは、同時期に野田秀樹と蜷川幸雄が「パンドラの鐘」を演出・上演している所。

有名演出家が同時上演するという滅茶苦茶にバチバチしている感じ。

あぁ、本当に演劇が盛んだった時代があったんだな……と、その時代を全く知らないのに思いを馳せる。


ちなみに、野田秀樹演出のパンドラの鐘は映像で観た。

個人的に松尾スズキが好きなので、もう、何をしても面白く感じてしまう。

えぇ、もう、完全に贔屓です。

アングラっぽくて好きな空気感。

だからこそ、蜷川幸雄演出が気になって仕方がない。



さてはて……そんなアレコレがある作品。

それを徳島演劇ネットワークの方々が、どのような作品に仕上げてくるのかとても楽しみで仕方がなかった。


まず、大前提として私なら絶対に野田秀樹は選ばないし、選べない。

何故なら、難しすぎるしハードルが高い。

役者としてもそうだけれど、演出としても可能な限り関わりたくない。

戯曲を読んだり、作品を見るのは好きだけど……ねぇ……難しいし……怖いし……

と、思うような作品に挑んだことが素晴らしい。

そうやって「上演したい作品に挑戦する」というエネルギーがいいよね。

観劇後は「どうして私は勝手に守りに入っていたのだろうか」と自問自答しましたわ。


舞台セットは想像していたよりも、かなりシンプルな作り。

そして「布」が多用される。

そういえば野田演出は「紙」がその役割を担っていた。

そして布は風を纏って姿形を変えていく。

それが綺麗で魅入ってしまう。

効果として的確なように感じた。


そして、物語のキーとなる「パンドラの鐘」が出現しない。

それが大きな違いだった。

パンドラの鐘が最終的に「ある形」に変化するのが最大の見せ場だと思っていた。

だから、それが出現しない事に序盤は「え?どうすんの?」ってなった。

最終的には、それはスクリーンに投影された映像で補っている。

その映像の表現がよかった……とてもよかった。

あの演出方法は本家よりも好きかもしれない。


ただ、野田秀樹作品を見る度に「やっぱり野田秀樹作品って難しい」って思う。

会話のような形態を取っているが、間に挟まる言葉遊びたちをどのように処理するのが的確なのだろうか、といつもいつも考える。何故か本家を見ても思う。

まぁ、別に「このように処理するのが正解だよ」というモノがあるわけではないので、それぞれがどのように対応しているかを見るのが好きだったりする。


昨年「鯖の頭」を見た時にも感じたが、徳島の演劇人たちが集まってひとつの作品を創作る場がある事は本当に素敵で尊いことだと思う。

これまで徳島の演劇文化を支えてきた古株の人たちから、これから支えていく新しい若い演劇人も一緒になって協力し創作した作品たちは、完成度という物以上の価値があるように感じている。

だから、きっと今年も気になってしまったんだろうな。

来年はどんな作品に取り組むのか、今からとても楽しみ。

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