見出し画像

「わからない」はそのままでいいの?

徳島県にある「大塚国際美術館」に行ってきた。

「古代」「中世」「バロック」「ルネッサンス」「近代」「現代」そして「テーマ展示」と多種多様な絵画が展示されている。

しかも、原寸大の大きさ、展示数も1,000展は優に超え、鑑賞ルートも約4キロ、というとても見応えがある美術館。

そんな巨大な美術館なので、午前2時間、昼食休憩1時間の、午後2時間では満足できるだけ回りきることもできなかった……ほぼ1日いたはずなのに。


過去に1度だけ大塚国際美術館には行ったことがある。

それが、何歳頃なのかは覚えていない。

ただ、一番最初に目にするミケランジェロ「システィーナ礼拝堂」の壁画に圧倒された事だけは覚えていた。

画像1

それ以外の展示については全くと言っていい程、覚えていなかった。


以前の私は美術館については全く興味がなかった。

だから、きっと記憶から抜けていたのだろう。


どの展示も見応えがあったのだが、一番興味があったのは「現代」の展示。

とにかく、原寸大のピカソ「ゲルニカ」が見たかったのだ。

画像2

まず大きさに圧倒されるし、ピカソの他の展示を見ていてもここまで攻撃的な作品はあまりなかったように思った。


現代の展示は他にもあって、その中でも一際目立っていたのがイヴ・クライン「青のモノクローム」だった。

検索したら直ぐにわかるのだけれども「カンバスいっぱいに青色を塗っている」だけの作品。

ただそれだけに見えるのだけれども「IKB(インターナショナル・クライン・ブルー」という特許も取得している「黄金よりも高貴な青」と呼ばれるものだと、後に調べたらわかった。


こうやって興味を持って調べていけば、色んな面白い情報が増えてくる。

でも、私がこの展示を見ていたら大半の人が「わからない」と半笑いで過ぎ去っていく。

何だか、この光景に違和感を感じる。


私もその場で直ぐに「これは○○だ!」とわかるわけではない。

美術についてはNHKの日曜美術館を見る程度の知識しかないし、そんなに物凄く積極的に美術館に行く方でもない。

でも、調べたら色々と面白いのに、どうして「わからない」と切り捨ててしまうのだろうか。


でも、わからなくもない。

大塚国際美術館の見どころが巨大な宗教画だったり、

レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」やムンク「叫び」等の有名な絵画だからなのだろう。


それは、わかる。私も見たい。


でも、せっかく展示されているんだしなぁ……と思いながら展示を見て回っているとピカソ「女=花(フランソワーズ)」という作品に出会った。

画像3

その説明には、ピカソがモデルの女性に対して「リアルな肖像は何も君を表さない」と言ったエピソードが書かれていた。


その言葉を目にした時、ひとつ、それが答えな気がした。


私は「コンテンポラリー」と名の付くものが好きだ。

でも、それに対して「何故、好きなのか」という事に対しての自身の答えがなかなか見出せずにいた。

具象的でも問題ない物を、何故、抽象的に表現するのか……上手く言葉にならない思いがあった。


今回、大塚国際美術館を巡って、色んな時代の絵画に触れる事ができて、少しだけ腑に落ちた気がする。

結局「具象は具象」でしかなく、その物事を「はっきりと描き出す」事には長けていると思う。

反面、それ以上の解釈をする事が難しいのかもしれない。

もちろん、その人の歴史や背景や視点や精神状態によって解釈が変わってくるかもしれないが、例えば「モナ・リザ」は「モナ・リザ」であって、それ以上でも以下でもない気がする。

今でも研究が進むにつれて色んな発見があるみたいではあるけれど。


私は現代美術と対面している時に、自身に沸き起こる無数の想像と精神状態を観察するのが好きなのかもしれない。

向かい合うべき対象が「絵画」から「自分自身」に変化するような感覚に陥る。


とまぁ、色々と考えてみたモノのこれがハッキリとした答えかどうかはわからない。

ハッキリと言えるのは「わからない」モノを「わからない」と切り捨ててしまってはもったいない気がするという事。

「わからない」事を「わかった気になる」事も、結構、面白かったりするよ。


時間が経ったら「わかった気になっていただけだ」と恥ずかしくなるけれど。


そうやって知識として理解して思考でこねくり回すのが、私の美術館での楽しみ方かもしれない。

最後までお付き合いただきまして誠にありがとうございます。 「サポート」も嬉しいですが「スキ」も嬉しいです。 思ったり感じたりしたことがあれば、是非「コメント」もしていってくださいね。 本当にありがとうございました。