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音楽的なものを棄てるな

音楽のない世界を、想像してみてください。

国境とか宗教とか、戦争のない世界よりは、ずっとイメージしやすいと思います。

こんなことを言うと、反応は大きく二手に分かれると思います。
「考えられない」
と、
「簡単だ」
と。

この文章を読んでくださっているあなたは、いかがでしょうか?

音楽とはそもそも何なのか。

定義レベルで言えば、「ある種の規則をもった音の連なりで表現される時間芸術」ということになるでしょう。
一旦は、それでいいでしょう。

では、問いを変えます。音楽には何ができるでしょう。

何もできないと思うかたへ。私は賛成します。
音楽は戦争を止められたためしがありません。

いや、できることはある。人の心を動かすことができるというかたへ。私は賛成します。もしそれができなければ、音楽は実体も概念も存在しえないでしょう。

もう一度問いを変えさせてください。音楽は我々の生活に必須でしょうか。

私は必須ではないと思います。衣食住の確保と安心安全が、生命維持には必須です。音楽はおまけです。しかし、日々の暮らしで鼻歌する自由も、あるいはそれをしようとする心の回路すらも奪われたら、私は正気で生きていける自信がありません。

音楽は、
商品であり、祝祭であり、芸術。
癒しであり、驚きであり、脅威。
空気でありデータであり、
集団のため、かつ個のため、
人間を変化させながら、堂々巡りにします。

音楽とは何なのか。
答えは、聴覚を通じた「世界への触れ方」をチューニングすること。
それは非常に価値付加的で、先述のような矛盾した属性の包含を可能とします。
そして、それらの矛盾と流動性へ、人間が身をやつすための回路、つまりは世界に対して「そうありうる」ことだけを担保します。

(その次元において、演奏することも聴くことも、個人的には大差ないと思っています)

コロナウイルスの流行を受けて、プロアマ問わず、音楽イベントの中止や延期が多発しています。
関係各位の心中は察して有り余るところがあります。
なくなってしまったイベント。実現するはずだったサウンド。そういう一期一会のものは、機会すら失われた暁には、埋め合わせることはできても、それ自体を取り戻すことはできません。

しかし一方で、テクノロジーの発達が可能にしたさまざまな代替的行為で、音楽を届け続けようとする動きもあります。
また、既存の音楽サービス(特にサブスク配信等)は、その社会的インフラとしての価値を試されるときだと思っています。

いずれにせよ、音楽に終わりはありません。

人類がこれまで受け継いできた、世界にアプローチするための方法を、私たちも継承し、改良し、共有しつづけていく。それ以上のことはできないし、それをこそ守りつづけていくべきだと思います。

音楽のない世界を、想像してみてください。
やはり難しいでしょうか。それとも簡単でしょうか。

意外と、それに起因する困りごとは少ない世界だと思います。

スキップの仕方を忘れても、あるいはそもそも理解できなくても、困ることはほぼありません。
しかし、スキップで進むことでしか感じ取れないこと、世界の見え方があるのならば、スキップ的なものを失うことは、それに付随するアプローチそのものを失うことなのです。

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音楽好きのアナログ人間です。目指せ「奏でない音楽家」。
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