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じんわり自分を変えていく

ちゃんが始める新連載「じんわり自分を変えていく」今日が第1回目です。

さてはて、じんわり自分を変えるとはどういうことでしょう。世の中自信に満ち溢れ輝いている人がもてはやされる時代です。誰もがみんなそういう人に憧れて努力している毎日ではないでしょうか。でも中には自分に自信がなく毎日自分の存在を呪うように生きている人もいるはずです。私はそうでした。自分なんていなくなればいいのに…とは思いつつもまばゆい人たちを前に、自分もああなりたいと思う日々。頑張ってみようと思い立って、きらめいている人たちが放つ自己改革ストーリーに触発され挑戦してみるも、レベルが違いすぎて挫折。なんて経験、自信がない私たちには良くあることなんじゃないでしょうか。

タイトルにこめた「じんわり」という意味ですが、無理をして一足飛びに変わろうとすると疲れてしまいます。そんなに焦らずに自分にできることからちょっとずつ、自分がなりたい姿に自分を変えていこうよ、それがこの連載の趣旨です。いつか変わりたいと思っているけど何から手をつけたらいいかわからない、とにかく自信がない、周りの目が怖いというそこのあなたに向けて、古い友人から届く穏やかな手紙のようにこの連載を始めていきたいと思います。

さて、本格的な連載に入る前になぜ私が自分が変わりたいと思ったかお話ししてまいります。
つかぬ事をお伺いしますがACってご存知でしょうか?

ACとはアダルト・チルドレンのこと。大人になっても子どものときに受けた傷を抱え続けている人たちのことです。子どものときにこころを傷つけるような言動や暴力があった家庭、子どもらしく自由に振る舞えなかった家庭で育ったことで大人になった今も、こころや人間関係に障害を持つよにうなってしまった大人のことを言います。

ACの特徴として本当は嫌なのについつい周囲の期待に沿って振る舞ってしまう、相手に「NO」が言えない、自分の感情が自分でわからなからない、生きることを楽しいと思えないといった様々な生きづらさを感じることが挙げられます。幼い頃に自己肯定感がきちんと育たなかったために「こんな自分は愛されるはずがない」、「人の役に立たなきゃ生きている価値がない」、「うまくいかないのは自分の努力が足りないからだ」といって自責的な感情に常に苛まれ苦しみ続けています。

この国では言葉の暴力や身体的な暴力を受ける人よりも、子どもの時に子どもらしく自由に振る舞えなかったからこそACになった大人がたくさんいるんじゃないかと思います。年上の子だからと妹や弟の世話を任されるなど、必要以上にしっかりしなくてはならなかった人。親の教育方針で常に勉強漬けで遊ぶ暇なんてなんてなく、いい点を取らなければ叱られると常に怯えていた人。すこしでも公共の場でのマナーが悪かったら、恐ろしいほど叱られるんじゃないかと常に親や年上の人の目を気にしていた人。何をするにも管理されて窮屈で、叱られないかとビクビクしながら大人になったひとは、今でも上司や同僚、先生や同級生に何か恐ろしいことを言われないか恐れながら生活しているのではないでしょうか。

なぜこんな話をし出したのかと言うと、私自身がアダルト・チルドレンでありずっと自己否定やありもしない他人の視線に苦しんできたからです。私は大学4年生の就活のさい自分がACであると自覚し、今まで自分を苦しめてきた感情と向き合い始めました。なぜ自分がACであると自覚できたかと言うと、就職活動の開始とともに幼少期から今まで見て見ぬ振りをしてきた「生きる意味がわからない」、「やりたいことがわからない」といった感情に目を向けなければならなくなったからです。

新卒の就職活動とは見知らぬ他人にむけていかに自分は有能で、やる気があり、将来性にあふれているかを、希望に満ち溢れて姿で発信しないといけません。しかしまあ考えてもみてください。「生きる意味がわからない」なんて思っている人間がどうやって人様に向けてそんな明るいメッセージを発信できるでしょうか。無理です。お祈りメールが企業から届くたび気分がどん底まで落ち込み、やはり自分は生きる価値のない人間なんだと突きつけられて言うような気分でした。何社も何十社も落とされていよいよ後がないとなった時にいまの自分ではダメだと思いました。今のままでは両親は落胆し、こんな私を見捨てるだろうと言う恐怖に震えました。

ACでに人から見ればあり得ない発想ですがACの人から見れば割と共感してもらえるんじゃないかと思います。冷静にかなりやばい思考ですけど。

暗中模索、五里霧中の状態でどすれば死にたくなくなるのか、どうしたら就活で苦しまなくて済むのか、いま自分がどんな状態なのか、打開策があるのかをGoogle先生に頼りまくって調べたところとうとうACと巡り会いました。ACであることがわかったからといって何かが解決するわけではありませんが、名前が付けば課題を解決する糸口ぐらいは見つかります。ACであることがわかって、すぐには自分の性格が変わることも、ACやこの生きずらさが解消することはないということ。本格的にACを治すには精神科など医療機関を受診することが手っ取り早いこと。就活とACは最高に相性が悪いことがわかりました。

そして自分がACになったきっかけが母親にあることもわかりました。母のことが大好きでとても大切だったからこそ、母がきっかけで生きづらくなったと認めることはとても苦しかったです。我が家はとんでもない暴力的な家庭だったのかと言われるとそう言うことでもなく、ネグレクトされていたかというとそんなこともありません。いたって普通の家庭というよりは家族仲も良く、お金に困ることもそれほどなくとても恵まれている家庭です。ではなぜ私がACなったのか。それは母がACであったからです。

母の母、つまり私の祖母は母をとても厳しく育てました。普段のしつけから勉強まで、少しの失敗もゆるされない環境で母は育ってきたのです。DVを受けていた子どもが親になると、その子どもにもDVをしてしまうという傾向があります。自分が育ててもらった経験を真似して自分の子どもを育てるため、幼少期に家庭に何らかの問題があった場合、子どもとの接し方がわからなくなってしまい悪い習慣も引き継いでしまうことがあるようです。ACの場合も同じです。自分がACになる育て方をされたからこそ、親を真似して自分の子どもACになるような育て方をしてしまうことがあるようです。

つまり私も母と同じように自分の子どもをACにする可能性があるのです。それは何としても避けなくてはならないと思いました。ACの連鎖を断ち切らなければ、愛しいであろう我が子が自分と同じような苦しみを味わうことになるだろうからです。というか自分が愛したパートナーの子どもを自分の身勝手で苦しめるような事態になりかねないのです。他人に迷惑をかける=死と思っていた私が変わろうと決意できたのはこの部分が大きいです。

ACである私が自分のことを好きになり、自分のことを認めて褒めて、輝くことができたならどれほど人生は素敵なものになるだろうかと思いました。時間がかかっても自分の思考の癖を改善し、そしてもし、この経験がほかの誰かが生きやすくなるきっかけになってくれたらいいなと思うのです。私は精神科医でも何でもないので本当にこれからお話しすることが、みなさんの変化と自信を取り戻すことに繋がるか保証はできません。それでも自分に自信がない人がお送りする自信のつけ方は一つのモデルケースとして何かの役に立つのではないかと願っています。今回は前置きとなりましたが、次回からはまず私が就活の時に最も苦しんだ相手の視線に怯えずに会話する方法の身につけ方を書いていきたいと思います。

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