軍制改革はなぜスウェーデンで完成したのか

第一章 問題提起
 三十年戦争を代表する英傑の一人に「北方の獅子」グスタフ・アドルフを挙げることができる。彼はオラニエ公マウリッツが着手した軍制改革を完成させ、それで得た軍事力をもってスウェーデンを強国へ押し上げた。そして、彼の軍制は近代ヨーロッパのそれの基となる。

しかし、そこで疑問が生じる。何故、マウリッツの軍制改革はオランダでもフランスでもドイツでもなく北の辺境国であるスウェーデンで完成することとなったのであろうか?今回はスウェーデンが持っていた如何なる要素が軍制改革を成功へと導いていったのかについて論証してみたい。

第二章 論証
①オラニエ公マウリッツの軍制改革について
 手始めにオラニエ公マウリッツの軍制改革について触れよう。

 1568年、スペインの圧政に苦しむオランダが反乱をおこす。以後、八十年に及ぶオランダ独立戦争の幕開けである。当時からオランダは経済的に豊かであり、スペインに対して粘り強い抵抗を続けていたが、それでも物量と人員では到底スペインに及ばない。よってマウリッツはスペインが用いる戦術「テルシオ」を打ち破る戦術の創造に着手しなければならなかった。

 「テルシオ」とは重装備の槍歩兵による密集方陣であり、機動力こそ皆無だったものの、その圧倒的な防御力は驚異的で、まさに「人間重戦車」と呼ぶにふさわしいものであった。とはいえ、ゆっくりと前進することしかできない「テルシオ」には前列が戦っている間、後方の兵が遊兵となってしまい全兵力を有効に運用できないという欠陥があった。マウリッツはそこにつけ込むことを思いつく。


 マウリッツは中隊をスリム化し、マスケット銃を大量に配備することで柔軟性、機動力、火力の底上げを図る。「テルシオ」が全兵力を活用できないうちに側面を衝くことを意図したのである。しかし、マウリッツの構想を実現するためには、当然厳しい訓練が必要であり、そして、当時の軍の主力であった傭兵たちにそのような厳しい訓練を受けさせるのは困難であった。


 そこでマウリッツは傭兵達への報酬の支払いを徹底する。当時、傭兵たちへの報酬の支払いは滞りがちなのが普通で、傭兵たちにとってこの待遇は大変に魅力的であった。これによってオランダには多くの傭兵が集まり、厳しい訓練も甘んじて受けるようになるのである。さらにオランダでは絶えず戦闘が続いていたので彼らを長期間雇い続けなければならず、次第に軍は「準常備軍化」していった。以上のことから、オランダ軍は非常に精強な戦闘集団と化していく。

②グスタフ・アドルフ登場まで
 マウリッツが軍制改革を進めていたころ、スウェーデンもまた厳しい状況にあった。旧宗主国で再びスウェーデンを支配しようとするデンマーク、スウェーデンの王位継承権を持ち強力な騎兵「ユサール」を擁するポーランド、バルト海への進出を図るロシアという強力な敵国に囲まれていたのである。このような状況では貿易も満足に行えず、財政も厳しいやりくりを強いられた。

現状を打開するため、グスタフ・アドルフの父カール9世はオランダからマウリッツの一族であり、後にヨーロッパ最初の士官学校を設立するヨハンを招聘したり、ヤコブ・デ・ラ・ガルディをはじめとする若い貴族をオランダで軍務に就けさせる等オランダ式の改革を取り入れようと試みた。

しかし、マウリッツの改革は確かに画期的ではあったが、傭兵を用いるという根本は従来と変わらない。スウェーデンは地理的にヨーロッパの北の辺境にあり傭兵を集めにくいこと、財政も豊かではなく、充実した装備を揃えられないことなどから、この試みは早くから行き詰まりを見せていた。しかし一方ではデンマークに対する独立運動や、宗教改革、そして敵国に囲まれているという危機感を通してスウェーデン人たちには愛国心が芽生えつつあった。

③グスタフ・アドルフの軍制改革
カール9世はデンマークとの戦争中に没し、グスタフ・アドルフは17歳で王位に就く。彼はまず手始めにイギリスとオランダに仲介を依頼し、デンマークと講和を結ぶ。これにより貿易の相手国とルートの確保に成功し財政が改善された。さらに、ミハイル・ロマノフがツァーリに選出されたロシアとも領土を絡めた交渉で和睦。ポーランドはロシアへの干渉失敗とウクライナの反乱で身動きが取れない状況にあり、スウェーデンを取り巻く状勢は小康状態となった。また、貿易が軌道に乗ったことで財政にも余裕ができ、オランダ式の改革はここにきて少しずつ進み始める。


 1620年にドイツを視察し、見聞を広めた彼はさらに思い切った大改革を断行する。最初に着手したのが徴兵制の施行である。傭兵が来ないスウェーデンが他国に対抗する兵力を持つための苦肉の策であった。これは産業を担う人口と兵士人口のバランスに対するグスタフ・アドルフの過度な要求などの問題があったものの、宰相オクセンシェルナの尽力もありおおむね成功をおさめ、結果として「常備軍化」への大きな一歩となる。これで得た「新式陸軍」は対ポーランド戦で初めて実戦に投入された。


 対ポーランド戦の結果だけを見ればほとんどの戦闘に勝てず、フランスの仲介で何とか和議に持ち込むという惨憺たるものだった。とはいえ、この苦い経験はスウェーデンに重大な示唆を与えることとなる。

まず一つは歩兵に関するものである。ポーランドの「ユサール」抑えるのに、従来のマスケット兵の運用では火力が不十分であった。火力を大幅に上げる為に彼が編み出したのが台形型に兵を配置し、順番に撃っていく戦術である。これで銃の連射を可能にさせた。さらに火力を底上げするため、砲兵も増強された。

もう一つは騎兵の再編成である。従来の騎兵は敵の近くまで接近し、マスケット銃を撃ちこむという運用がされており、騎兵の本来の機動力、突撃力が十分に生かされていなかった。そこでグスタフ・アドルフはそれぞれに特化した騎兵を編成する。まず、機動力に特化した竜騎兵を創設した。馬にマスケット兵を乗せ、目的地に到達したら馬から降り銃撃を浴びせるという発想で生み出された竜騎兵は、敵の予期しないポイントへ迅速にマスケット兵を送り込み、銃撃を浴びせた。これは実際に与えるダメージよりも精神的なダメージの方が大きかったらしい。

もうひとつはサーベルで武装した突撃騎兵だ。突撃力は「ユサール」に及ばないものの、崩れた敵陣にダメージを与えるのには十分の威力を持つ。これらの騎兵は特殊な技術もあまり必要ではなく、ヴァイキングを始祖に持ち、馬になじみが無かったスウェーデンでも比較的簡単に運用できた。


 こうして近代ヨーロッパの「砲兵が耕し、歩兵が前進し、騎兵がとどめをさす」という「三兵戦術」は一応の完成をみた。この戦術と、よく訓練され規律も厳正な常備軍をもってグスタフ・アドルフは名将の名をほしいままにし、スウェーデンはヨーロッパ最強の軍事大国へとのし上がってゆくのである。


第三章 結論
 スウェーデンが軍制改革を完成させた最大の理由。それは周囲を敵に囲まれた弱小国だったから、ということがあげられる。この状況を生き残るために必死で知恵を絞った結果だったのだ。同じことは軍制改革発祥の地、オランダにも言えるだろう。


 オランダとの決定的な相違点は、スウェーデンはヨーロッパの北のはずれに位置し、傭兵が集まりにくい土地柄だったということが挙げられる。このため十分な兵力を確保するために徴兵制を敷くしかなかった。苦肉の策ではあったが、これが真の常備軍化へとつながり、安価で大量の兵力を獲得することにつながったのである。また、スウェーデン市民の間に芽生えていた愛国心により、徴兵制によって誕生した軍隊は非常に士気の高い良質な軍隊であった。


そして、この時代のスウェーデンにはグスタフ・アドルフやオクセンシェルナを筆頭に優秀な人材をい数多擁していた。初めのうちこそ苦戦を強いられたものの、彼らはその苦境から学ぶことを心得ていたのだ。軍制改革はそうした試行錯誤を重ねに重ねて完成されたのである。

当時の政治状況、地政学的要因、そして優秀な人材。これらの要件が満たされていたため、スウェーデンで軍制改革が完成されるのは必然だったと言えるだろう。


【参考文献】
・B・H・リデルハート著 森沢亀鶴訳『新版 世界史の名将たち』原書房 2010
・武田龍夫著『物語スウェーデン史―バルト大国を彩った国王、女王たち―』新評論2003
・立石博高編『新版 世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』山川出版社 2000
・百瀬宏 熊野聰 村井誠人編『新版 世界各国史21 北欧史』山川出版社 1998
・モーリス・ブロール著 西沢六郎訳『オランダ史』白水社 文庫クセジュ 1994

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