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署名を始めたのは「子どもと一緒にいる未来」を想像するため

難病の子どもを世話しながら、その子を含む8人の子育てをしながら、働きながら、9人目と10人目の子どもを身ごもりながら、署名活動をやり遂げた人がいます。
このかたが類まれなバイタリティに溢れていることはもちろんですが、ただ"強い人だからできた"と言ってしまうのはちょっと違います。ご本人は「むしろ署名活動が子どもの病気と向きあう助けになった」と繰り返し話してくださいました。その真意を読み解くには、もう少し深く彼女たちのライフストーリーを追う必要があります。
今回はそんな署名の発起人である江田麗奈さんと、署名のきっかけになった娘さんの"ひーちゃん"の元を訪ねました。


■署名を始めたのは「子どもと一緒にいる未来」を想像するため

ーー今回の署名は小児がんの治療に際して必要になる予防接種への助成を求めたものなんですよね。

はい。小児がんの治療の中で、それまでに受けた予防接種でできた免疫が失われてしまうんです。また免疫を作るためには再接種が必要なんですけど、それには各々が自費で20万円ほど出さなくてはいけない。その金額を自治体で助成してほしいっていう署名活動です。
本当はお国を上げてやっていただきたいんですけど、まずは自分の住んでる北区に署名を提出して、無事採択されました。そして、今年4月から助成も開始されました!

――本当におめでとうございます!

ありがとうございます!北区議会健康福祉委員会を生で傍聴し結果が全会一致で採択と出たときは夫婦揃って泣きました。

――実際にお子さんが小児がんの一種である「神経芽腫」になったことをきっかけに署名を始められたんですよね。どういった病気なのか伺っていいでしょうか?

小児がんっていうと白血病をイメージされるかたが多いんですけど、白血病は血液のがん。神経芽腫は血液のように流動的ではなく、定まった場所にできる「固形がん」というタイプのものです。
ある日ひーちゃんの首に硬いしこりができていて、何度か病院に行ったんですが、いずれも風邪と診断されてしまって、最終的にお腹にしこりが出来てそこでも便秘と言われ、がんだと判明するまでに何ヵ月も分からず、不安で何回も病院を受診しましたが重篤になるまで発見されませんでした。

ーー署名に向けて動きはじめたのは治療期間中?

そうです。同じ病気の方からこの問題を教えていただいて。そこから治療と並行して、再接種のことも調べていきました。

ーー不躾ですが、ひーちゃんの今の体調はどういった状態なんでしょうか?

今は維持療法といって、再発しないように抑えてる期間です。定期的に通院してること、髪が抜けちゃってること以外は他の子と変わりません。好きなもの食べて好きな遊びしていいんですけど、周りのお友達が気にしちゃって。

――今日も元気いっぱいでしたね。撮影では公園中を走り回って、カメラマンと追いかけっこ状態でした。

元々外で遊ぶのが好きな子なんです。なんだけどまだ"かわいそう扱い"が続いてる部分もあって、周りにはしつこく普通にしてください、遊びに誘ってくださいって言ってます。

――今回のケースは難病の治療自体ではなく、治療が済んだ後の法整備の話。自分の子以外の子どものためにもなるものの、実施のタイミング次第ではひーちゃん自身が助成を受けられない可能性も十分にあったわけですよね。

そうですね、最初から他の子のためにというのも思っていたのはあります。でも署名を始めたいちばん大きな理由は、ひーちゃんの"この先"に希望を持ちたかったから、と思いがあったからです。治療の過程でひーちゃんに万が一のことがあるかもしれないっていう不安を払拭したくて、治療が何事もなく終わり、命を繋ぎ止めると信じるために、「治った後の生活」のことを考えられるようにって。

――なるほど、署名にはそんな役割もあるんだ…!

やっぱり病気のことだけを考えてると気持ちが萎えちゃうんで。署名を通じて改正した制度を使えるまでがんばろうっていうモチベーション作りのために始めたところが大きいんです。

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■ハイパーマルチタスク人間・江田さん

ーーこの署名活動、働きながらやっていたんですよね?

そうです。私、不動産会社経営に携わっていて、そこで管理監督者をしています。学校でいうと副校長の様な役目です。

――管理職として働きながら署名を…というか、そもそも病気になったお子さん以外にもお子さんがいらっしゃったり?

はい。10人。

――社員さんの数ですか?

子どもが10人います。

――えっ…? 病気の子どもを世話しながら、10人の子どもを育てながら、働きながら、署名を…?

あっいえ、署名を始めた当時は8人でした。署名活動後に双子が生まれて計10人になったんです。

――病気の子どもを世話しながら、8人の子どもを育てながら、働きながら、2人の子どもを身ごもりながら、署名活動…!

そうですね、はい。つわりでゲーゲーやりながら署名集めてました。
あと、上の子たちにも各自いろんなタイプの発達障害があったりして、色々やらかすんですよ。その対処もしつつだったので、まあ大変でした。仕事が終わると病院の面会に行って、面会が9時に終わるのでそこから家に帰って上の子たちの宿題をチェックして、やってなかったら起こしてやらせて、家のこともやって。

――わけがわからなくなってきた…。どれか1個にしたいなって思うことはなかったですか…?

元々いろんなことに気がいくタイプなので、並行してやっていけたのかなって。気が多いんですよね。

――な、なるほど…? も、もうないですよね? 同時にやってたこと。

そうですね、これで全部です。次男の妊娠中に宅建と調理師免許と食品衛生責任者を取ったりはしましたけど。

――また同時並行…そういえばさっき不動産の会社経営に携わっているって…その妊娠中に取った宅建を元に事業を…?

そうですね、はい。まとめてやっちゃおうって。本当に急な思いつきでやり始めちゃうんで、家族には迷惑かけてますけどね。まあ褒賞金に釣られてがんばったのもあります。

――元々同時にいろいろ進めるのが得意だったにしても、やっぱり命に関わることだし、大変な場面がたくさんあったと思います。やり遂げられた大きな要因ってなんだったと思いますか?

そうですね、でも署名に関してはChange.orgのスタッフさんがいろいろ助けてくださったので。…それに、万が一本人に何かあった場合も、この活動を通してできた制度はずっと残るじゃないですか? その制度の中に娘はずっと生きるって思ったから、全力でがんばれたというのはあります。

――ああ…なるほど…。

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■やり遂げられたのはPTAの皆さんのおかげ

ーー署名に際しての情報収集ってどういう風にされたんでしょうか?

主にブログとSNSです。あと、Change.orgのスタッフさんが一緒に資料を探してくれたりもしました。
最初は本屋さんや図書館に行ったんですけど、なかなかこういった病気の本はなかったんです。やっぱり神経芽腫の子を持つ親御さんが発信されてる情報が一番役立ちました。片っ端からブログを探して、何人か会いに行ったりもして。中にはもうすでにお子さんが亡くなったかたも多くて、落ち込んだりもしたんですけど。

――なるほどそれは…。署名を集めるにあたって、最初からChange.orgを使っていたわけではないんですよね?

最初は口コミだけで手書きの署名を集めてました。やっぱり北区のお金の使いかたに関わる話なので区民の理解が必要だなと思って、まずは身近な人にお願いしますって伝えるところから始めました。

でもやっぱり口コミだけだと集められる数に限界を感じて。何かないかなあと探している中でChange.orgを知って、これならネットで拡散できるし、やってみようと思って。
やっぱりネット上に名前が残るし、家族に対して何か言われちゃったらどうしようというのはあったので、家族会議しました。

ーーなるほど、最初は地元のかたに。地元と言っても、具体的にはどういった繋がりのかたにお願いしたんですか?

基本は8人の子どもそれぞれの学年のPTAですね。

――そうか! なるほど、子どもの数だけPTAの横の繋がりが。

北区内のPTA会長さんたちが個別に集めてくださったり、保険外交員をやってるママ友が、訪問先で紹介してくれたりもして(笑)。そんな感じで、区内だけでも手書きの署名が3,000筆以上集まって。北区の保護者の方々の子育てへの関心や意識は高いと思います。いつか地域へ恩返しをしたいと思っています。

――すごい…!

その後Change.orgを始めてからはもっと爆発的に増えたんですけどね。PTAや地域の集まりで配るプレスリリースの作り方にもスタッフさんからアドバイスをいただきました。
あと他にやっていたこととしては、地元のつながりを利用したりして区議会議員のかたにアポを取って会いに行って、こういう問題で困ってるっていうのをお話させていただいて。いくつかの政党が協力してくださいました。その際の議員さんへのアプローチの仕方もChange.orgさんにアドバイスいただいて心強かったです。

活動前に選挙があったので政治家の皆さんに会いやすかったし、熱心に協力してくださったところはあると思います。ラッキーでした。署名をくださった3,000人以上が「この問題に対処してくれるんですよね?」と政治家さんたちの動向に目を向けているという状況が作れたわけで。区議会議員にとって3,000人超えの民意は無視できないですからね。

選挙が終わった今年に入ってから動きはじめていたら、こんなにうまくいかなかったと思います。声をかけた政党の中には対立しあってる党もあったんですけど、そこは別々の繋がりをうまく使って両方にアプローチしたり。

――すばらしいですね。地元のコミュニティをかねて大事にされてきたことで人望もあり、効果的な戦略も思いつき、身を助けてくれている。

協力してくださったPTAの皆さんを政治的なことに巻き込みたくなかったので、「請願」ではなく「陳情」という形を取りました。というのも、請願だと全会派で代表者一名の署名が頂けないと、何かしら政治の色がついてしまいますので、あくまで私個人として提出したものという形にするのが誠実かなと。

――協力してくださるかたがいる反面、心無い言葉を投げかけてくる人もいたのでは?

ありましたよ。小児がんってステージの考えかたが大人と少し違っていて、当時ひーちゃんはステージ4だったんですけど、大人のステージ4の様な治療の難しい深刻な状況ばかりではないです。進行が早い分お薬もよく効く場合があるんですが、大人のがんのイメージで「もう助からないじゃん」って言われちゃったりとか。「こんな活動やっても意味ないじゃん」とか。あとは、子どもが病気だって言うと"かわいそう扱い"されるのがつらくて、職場にもしばらく言い出せませんでした。

――気を遣われるのもやりづらいし、希望を持ちたいのに気分が下がってきちゃいますよね。

そうですね。落ち込みはしましたけど、いちいち気にしてられないから、自分のことを理解してもらって協力してもらうしかないかなと思って、いちからしっかり説明してました。説明してわかってくれたらいいし、わかってくれなかったら、もう切り替えてっていう。
で、どうしても切り替えられないときにはママ友に愚痴聞いてもらったり(笑)。

■お父さんがお店を畳んだあとに重大事実が

神経芽腫の治療は最近になって最新の効果的なものが出てきているんですが、病院によってできる治療できない治療があって。ひーちゃんに効果のありそうな治療ができる病院が名古屋にあって、引っ越すことになったんです。
私と夫どっちかがついて行こうとなったんですが、私は東京で会社をやってるし、夫も赤羽で「大だこ」っていうたこ焼き屋さんをやっていて。でも最終的にはひーちゃんがパパっ子なのもあり、夫が「俺が行くよ」と言ってくれて。
ちょうどお店にお客さんがついてきて、テレビ取材を受けたりして、仕事楽しい! これからだぞ! ってときだったんですけど。

――つらい決断ですね…。こちらに住みながら定期的に名古屋に通う選択肢はなかった?

年単位の治療になるのでそれは厳しかった…。やっぱりうちはひーちゃん以外にも兄弟がいますから、これ以上他の子どもたちと一緒に過ごす時間が減るのは避けたかったんです。 難病の子を持つ親として、きょうだい児のケアも必要かなと思って。
※きょうだい児:難病や障害のある姉・妹・兄・弟のいる子どものこと。大人の場合は「きょうだい」と呼ぶ。

――なるほど、きょうだい児の中には、どうしても親の関心が病気のある子のほうにいってしまうので疎外感を覚え、精神のバランスを崩してしまう子もいますよね。

ただでさえあまりかまってあげられてなかったですから。当時ひーちゃんの下に1歳の子と4歳の子がいて、病院行かないで、寂しいって激しく泣かれたこともありました。それを聞いて私も泣いちゃって、ごめんね、ごめんねって...。でも、「一緒にご飯食べよう」とか「ねぇママ、一緒に寝よう、抱っこして~」とか言われても、体がクタクタでトイレや風呂の中で寝ちゃったりして、相手する余裕がないときもある。毎日が全力というわけにはいかなかったです。

――今も夫さんは名古屋に?

いえ、引っ越しはなくなったんです。

――おお、引っ越さずに済むことになったんですか?

というか…、名古屋へ引っ越す3日前に、名古屋で予定されていた治療ができないということがわかって。体質的に手術を受け付けない可能性が5%くらいはあると聞いてはいたんですけど、お医者さんも大丈夫な前提でいたし、まさかの展開すぎて。
たこ焼き屋さんは引き払っちゃったし、名古屋で契約した家は結局必要なくなったけど、ほとんどお金が返ってこなくて…。丁度夏休み目前お金ない、もうどうしよう、死んじゃう!なんて言ってました。

――聞いているのすらつらすぎる…。今、夫さんは…?

お店を失ったダメージは相当大きかったんですけど、今はひーちゃんや双子の赤ちゃんのお世話で協力してもらって、兼業主夫やりながらパートで介護のお仕事をしてます。いつかまた自分のお店を持つべく頑張っています。

――いつかぜひ夫さんのたこ焼き食べたいです。そして今のお話、世間の人が「難病の子のいる家庭」に向ける眼差しの盲点が集約されているように感じました。病気の子どものお世話だけではなく、きょうだい児のケアもそうだし、事業をやっているかもしれないし、引っ越しなどのライフイベントも付随して発生しているかもしれない。

そうですね、どうしても病気の子どもがいるって言うとまるでその子しかいないみたいな扱いかたをされがちだし、再接種の20万円にしても「その程度も払えないような人は子どもをそんなにたくさん産んじゃだめでしょ」みたいな心無いことを言われたりもしたんですけど、20万円っていうのは治療に付随して発生する付添人のベッド代や交通費、食費などいろいろある出費のうちの1つ。他の出費で充分圧迫されている可能性は大いにあり、看病のために仕事を休んだり辞めたり、住む場所を変えなきゃいけなくなることだってあるので。

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■3,000筆あれば署名で政治を動かせる

――引っ越しの件など非常にヘヴィーな局面がありつつも無事移植手術が終わり、署名も目標数に到達し、いよいよ提出の段階のお話を伺います。

2019年2月4日に署名と一緒に陳情書を北区議会事務局議事調査係へ持って行きました。その後、健康福祉委員会という部署の会議でこの陳情が議題に上がり、そこで自民党・公明党・共産党・無所属の4名の議員方が後押しして下さり、全会一致で採択となりました。
もし採択しなかった議員さんがその後何か「子どものために」ってマニフェストを掲げても、署名した3,000人の区民は「でもあの人ってあのとき採択しなかったよな…」ってなっちゃうので、署名は政治を動かす上で3,000筆でも充分に脅威ですよね。

――それは後続のかたにとって大きな励みになる情報ですよね。江田さんは北区ですが、他の自治体でも同様の運動をする人が出てきているんですよね?

そうですね、他の地方自治体でも活動の成果が出揃ってきたら、足並みをそろえて国に意見書を出そうねって話にもなってるんです。

――おお、この先の活動計画があるわけですね。

採択が決まったときに、よその自治体で同じような活動をしようとしている人たち数名から連絡が入ってきたんです。どういうふうに進めたんですかとか、資料を見せていただけませんかとか。その中には今すでに陳情が採択になった方もいて、本当に協力してよかったなと思います。

――活動が広がってきてるんですね…。最後に、これまでの活動を振り返って改めて感じることを伺いたいです。

そうですね、元々この活動の先人がいて、道しるべをしてくれたのも大きいし、更に地元でこつこつやってきたのも活かされたし、ネットを活用して爆発的に拡散したことでたくさんの署名が集められて、その両輪があったのがよかったのかなと思います。
ネットって広がりの速さは段違いだけど、不特定多数の人に知られちゃうというのもあって、最初はかなり恐怖があったんです。でもそこはChange.orgのスタッフさんがしっかりサポートしてくれたので、諸刃の剣をうまく使えたと思います。

あと思わぬ収穫だったのは、予防接種自体に元々あんまり興味なかったかたが今回の再接種の活動を通して関心を持ってくれて、予防接種を受けにいってくれたこと。そういうふうに、活動を通して周りが少しずつよりよいほうへ変わっていくのがうれしかったですね。

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(インタビュー:ヒラギノ游ゴ 写真:宮本七生