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署名を始めた人に聞いてみよう。声をあげた瞬間のこと。 [第3回 斉藤ひでみさん]


このインタビューでは、今までChange.orgで「キャンペーン」と呼ばれる署名活動を立ち上げたことがある方に、署名活動を始めた頃の気持ちやエピソードをお話しいただきます。

第3回目は 三十代で教員になり、現在岐阜県内の高校で地歴科を教えておられる斉藤ひでみさんにお話を伺います。2018年から3度にわたりキャンペーンを立ち上げ、最新のキャンペーン【令和の校則】 制服を着ない自由はありますか…? 制服は強制力のない「標準服」にして 行き過ぎた指導に苦しむ生徒を救いたい!は3月26日(金)に文部科学省に提出されます。

現職の教員という立場でありながら3度もキャンペーンを立ち上げた時の周りの反応や、斉藤さんの背中を押してくれる根底にある思い、3度の署名活動を通して感じた気持ちの変化についてお話いただきました。

□斉藤ひでみさん プロフィール  
岐阜県公立高校教員。2016年8月よりツイッターで教育現場の問題を訴え始め、Change.orgでは給特法の改正、変形労働時間制の撤回、校則問題の改善を求めるキャンペーンを立ち上げる。記者会見や国会参考人陳述で数々の提言を行なった。共著に『教師のブラック残業』『迷走する教員の働き方改革』。趣味は泳ぐことと旅すること。


ーー最初に現状に違和感を感じたきっかけを教えてください。

最初の二つの署名は教員の労働問題についてです。そして今やっている署名は、生徒に直接関わる「校則」の問題についてです。

教育現場に入って1年目の頃、労働環境としてかなり悲惨だなというのはすぐに感じていました。急に3日くらい失踪した先生、勤務時間中に頭を抱え込んでうずくまって2時間動けなくなってしまった先生、ベッドから起き上がれず、そのまま休職・退職されてしまわれた先生など、毎年そうやって現場から離脱していく先生を見てきました。

僕の目の前ではそういう現実が当たり前のようにあるのに、それについて何かしようとする先生はいない。現場にいるから分かること、でも外にいるとなかなか分からないことを「見える化」しなければと思い、その役目を少しでも担えるならと思い始めました。

ーーChange.orgでオンライン署名を始める前は、何かアクティビストとして活動されておられたんですか?

ないですね。最初の署名を始める前は、ただ家と学校の往復だけでした。

声をあげる人は、特別な才能や力を持った人たちだけだと思っていた


ーーオンライン署名を始めようと思われたのは何故ですか?

教員の労働問題が話題になった時、すでに他にも部活動強制についての署名活動をされている方がいて、それを見た時には「すごいな、自分にはできないな」と思っていました。でも、根底にある法律の問題に関しては誰も動こうとする様子もないので、どれほどのことができるかわからないけど、とにかくやってみるかという思いでした。

ーーその時のお気持ちは覚えておられますか?

部活動の署名活動を見ていた当初は、そうやって活動している人って、特別な才能や力を持った人たちなんだと思っていました。そんな中、ある日現職の教員でもあられる発信者の方に直接お会いする機会があったんです。その方々と接した時に、「あれ?みんな思ったより普通の人たちなんだ」と思ったんです。特別な存在で、'スーパーティーチャー' だと思っていた人たちは、できる限りの力を振り絞っている自分のような普通の人たちだった。そして自分もTwitterのアカウントを開設し、そのうち署名活動も開始しました。

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ーー日本の教育現場は出る杭は打たれる風潮が強く、閉鎖的な印象があります。当初の周囲の反応や、職員室での皆さんの様子はどうでしたか?

一つ目のキャンペーンを立ち上げたのは2018年で、顔を出し始めたのは二つ目の署名を立ち上げた2019年からです。今の僕にとって教壇に立って日々生徒と触れ合うことは何より大事なことです。この活動を通じて報復人事を受けたり教壇に立てなくなるようなことがあってはならないと思いました。自分の活動を保護者に知られることなども含め、とても悩みました。

実際「もし顔を出したら周りからバッシングは受けるだろうな」とは思っていました。そしたら意外なほどそういった攻撃を受けることはありませんでした。むしろ意外にも職場で「すごいじゃん」とポジティブな反応を示してくれたんです。管理職が「昨日テレビ出てたね!」「応援しているよ」と励ましの言葉をかけてくれたりもしました。

ーーそれはよかったです!周りからのサポートがあるのは嬉しいですね。

生徒からの反応もすごく好意的でした。僕はゆるい教員なので、基本的に生徒は僕の言うことを聞かないんですよ。でも僕が顔を出してこういう活動をしていることを生徒が知ると、僕の言うことを聞くようになったんですよね(笑)学校の中での権威はないけど、国会に呼ばれて話している僕の姿を見た生徒に「真面目に頑張っていてるんですね!」なんて言われたり、「先生のやっていることは間違ってないと思う」と真剣に伝えてくれる生徒もいました。

ーーポジティブな変化の方が多かったんですね。

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自分の背中を押してくれたのは、実際に傷ついている生徒がいるということ。


ーーキャンペーン本文に書かれている「私はかつて勤めた定時制高校で、画一的で行き過ぎた指導によって不登校になってしまった生徒たちと、数多く接してきました。」という部分は、斉藤さんを前に動かす大きな動機の一つなのではないかと思いました。

最初の2回の署名は教員の労働問題に関する署名でしたので、周りの先生はマイナスな感情を持たずに共感してくれるだろうなという確信がありました。ただ、今度は校則や生徒の問題ですので、勇気がいりました。これは先生方の中でも意見が分かれる問題だということもわかっています。

「校則は厳しい方がいい」「厳しくしないと生徒が育たない」と信じている先生方もおられる一方で、「今の校則は厳しすぎるのでは?」「緩めてもいいのではないか」という意見もあり、半々に分かれています。

しかし、それでも自分の背中を押してくれたのは、実際に現在の校則によって傷ついている生徒がいることです。

初任校だった定時制高校では、そんな生徒とばかり触れ合ってきました。定時制に通っている生徒の半分以上は、不登校を経験しています。学校のあり方や教員の対応でかなり傷ついてきたのだろうなという生徒に多く出会ってきました。

また、Twitterを通して「ジャージ登校なら通えるのに絶対に制服じゃないとダメだと言われるので学校に通えない」と現在進行形で苦しんでいる学生からメッセージをもらうこともあります。また、そういう風に生徒に指示しないといけないことが苦しいと打ち明けてくれた教員の方もいます。

そういった人たちのためにも教員の側が、自分のたちの有り様を反省しないといけない気もしています。

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コロナ後の学校教育全般をどうすべきかということをみんなで考えましょうというメッセージを伝えたい


ーーそういったことを直接教員同士で話せる機会は?

とは言ってもコロナ禍の前なら、そんな風に思っても動けなかっただろうなとも思うんです。コロナ禍をきっかけに、生徒にとって安心安全に通える学校ってなんだろうと、多くの教員が自然に考えることができました。

これは僕が一緒に活動をしている内田良先生と常々話しているんですが、今こうしてコロナ禍で一時的に変わっていることは、コロナが収束に向かい出したら全部元どおりになってしまうのではないかと思っています。

せっかくこの一年で、今までの有り様や世の中全体の価値観の変容をコロナをきっかけに迫られた、言うなれば多くの学校にとって大実験ともいえる経験を全く元どおりに戻してしまうと、僕らはそこから一体何を学んだんだろうという事になります。

だから、今回の制服や校則のことを含め、コロナで変わったことをプラスに評価して、コロナ後の学校教育全般をどうすべきかということをみんなで考えましょうというメッセージを伝えたいんです。
 
ーーまだ賛同者が少ない時に支えになったエピソードや人の声があれば教えてください。

これは今回の署名に限らず、最初から大きな賛同が集まる見込みがあって始めたわけでは全然ないんです。初めてのキャンペーンは、最初の一ヶ月くらいに集まった賛同は100とか200とかで、なかなか伸び悩みました。それでもやっぱり今の労働環境に苦しんでいる先生のために声をあげたことに後悔はありませんでした。

そして今回の署名は、僕の目の前で実際に苦しんでいる子たちのためにやっています。何万人の思いを背負って、ということも責任が伴う大事なことですが、それでもやっぱり僕は、「誰か一人のために」という思いで動くことでいいんじゃないかと思っています。

ーー斉藤さんが自分の気持ちを代弁してくれているという事実が、苦しんでいる生徒さんたちにとっては何よりも大きなことですよね。

そうだと思います。「誰も自分の辛さをわかってくれないし、手を差し伸べてくれない」ということで落ち込んでしまう子たちは、それを「おかしい」と言ってくれる先生が一人いるだけで救われる。社会全体や制度を大きく変えるためというよりは、「その人の心が少しでも救われるなら」という思いがあれば、賛同数が100でも1000でも10000でも、数って関係ないんですよね。その苦しさに手を差し伸べる、光を当てる、そして「僕は動くよ」というメッセージを伝えることが大事だと思っています。

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誰も声をあげなかったら、みんなが納得している良い制度だという前提で物事が進んでしまう


ーー署名活動をされることに意味があったと感じますか?あれば、それはどのような意味があったとお感じですか?

3月26日に提出予定の今回の署名も、国に提出した後どうなるかわかりません。前回・前々回の署名から学んだのは、提出したとしても思ったより国って変わらないということです。でも僕は「何かが変わらなかったから失敗」とは全然思わないんです。

2回目の署名では変形労働時間制の撤回を求めたけれど撤回はされなかった。でも、あの時点で誰も声をあげなかったら、みんなが納得している良い制度だという前提で物事が進んでしまう。国会に呼ばれたことでも、その制度に疑問を投げかける人がいるということが世の中に伝わりました。それは大きな違いです。

何かおかしいと思うことがある、それに声をあげた。30年先に今の僕の発言をなんらかで見てくれる人がいて、その時に誰かが変えてくれるかもしれないというそれくらいの思いでやっています。

ーー特に日本社会においては、満点を出さないと失敗だ、と感じる人は多いと思います。「変わらなかったことを失敗だと思わないで欲しい。」というメッセージはとても力強いと思います。

当初望んでいた結果にすぐに繋がらなくても、キャンペーンが立ち上がらなかった時と比べたらどうですか?まずはキャンペーンを立ち上げてみるだけで十分意味があると思います。

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ーー賛同・一緒に活動してくれる仲間をどのように見つけましたか?

今回の署名も、乙武洋匡さんやたかまつななさん、東ちづるさんなど連名してくださっている方がたくさんおられてとても嬉しく思っています。教育界ではとても権威のある教育学会の学会長を務めた方が3名も連名してくれました。

僕もまさかそんな方と繋がれるなんて思ってもなかったんですが、ある方を通して手紙を書いたんです。学会長にいち教員が手紙を書くなんて・・と思いながらも、とにかくやってみようと、誠心誠意書きました。すると「大事なことだから、協力するよ」と二つ返事で言ってくれたんです。

乙武さんも僕のツイートにリプしてくださって、DMをさせてもらった時も、いち教員の僕にわざわざ電話をくださったんです。

そこで感じたのは、誠心誠意伝えたらちゃんと受け止めてくれる人がいる。そうして繋がりを作って行った形です。


ーー出る杭は打たれるという風潮が強い日本で声をあげ、否定的な意見を目にしたときの気持ちや、その時にどのように気持ちを切り替えておられたか教えてください。

職員室の現場や、対面で嫌なことを言われたことはないんですが、Twitter上では少なからずバッシングがありました。最初の給特法の改正について訴えたときは、Twitter上で親しくしていた教員から直接バッシングを受けたりもしたし、かなり堂々と足を引っ張られたことや人格否定もありました。知っている人からだったので、1ヶ月2ヶ月くらいは悩みましたね。

ーー多くの人がそういった批判を受けることに慣れてないですもんね。

負の感情を投げつけられて、自分も負の感情で返してしまうと、僕が署名で伝えたいメッセージもマイナスに受け止められてしまう。少しでも教育の現場がよくなればという思いだけでやっていた活動がマイナスの連鎖に巻き込まれてしまう。なので、バッシングにはバッシングで返さない、ということですね。それ以上に賛同してくれる人の方が多いということをよりどころにすればいい。

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行動を起こさなかったらゼロ。自分がちょっとした行動を起こすことで少しでも社会の変化に参画していける。


ーー同じく声をあげたい方に対して、メッセージをお願いします。

繰り返しになりますが、キャンペーンを立ち上げることで直接何かを変えようということよりは、まず声をあげること自体に価値があると伝えたいです。

僕がこうして実名を出してやっていることを生徒が見てくれているのはありがたいと思っていますし、そこから色々感じて欲しいと思っています。教員たちは生徒に向けて「君たちが社会を変えるんだ」というメッセージを伝えがちですが、僕はそうではなく、「僕も社会を変えるために何かやっているよ」という姿勢を見せたいし、僕も動くから君らも動こうよというメッセージを受け取って欲しいんです。

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署名を始めてから、社会に対する見方がバージョンアップされましたね。


署名を始める前に描いていた成功の姿に至らなくても、まず動いたことで誰かが必ず見てくれる。それが10年後20年後30年後の社会につながれば良いんです。踏み出すという決断ができたこと自体が素晴らしいことです。行動を起こさなかったらゼロ。自分がちょっとした行動を起こすことで少しでも社会の変化に参画していける。

最初に署名を立ち上げた時、僕は文科省を敵のように思っていた。いざ署名を持って行った時に話を聞いてもらった時の若手の官僚の人はすごく真剣な眼差しで聞いてくれた。それでもすぐに文科省として手をつけることはできないとしても、「この方々も悩んだり苦しんだりしているんだ。みんなその課題の前で苦しんでいるんだ」ということがわかったんです。そこで僕は「対・文科省」みたいな姿勢をやめました。課題を誰かにぶつけるために署名を提出するのではなく「ここにまず課題があるんだ」ということをみんなで見つめて話すことが大事なんだと。

そういった意味で、僕自身も署名を始めてから、社会に対する見方がバージョンアップされましたね。自分自身にとっても、やってよかったなと思います。まあ毎回もう次はやりたくないと思うんですけど(笑)やればやっただけの発見や収穫がありますね。