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#10 感覚と理論の確かさ、不確かさ

こんにちは。今日は競技場で練習してきました。

今週は私にしては高強度の練習を多くやっていたので、疲労で思うように跳べませんでした。でも、これまでイメージしてきたことを少し試すことができ、有意義な練習だったと思います。それに関連してふと思ったことを取り上げたいと思います。

理論の確かさ、不確かさ

陸上では多くの研究がなされ、効率的な動きや練習方法について様々な理論が示唆されています。私はこういった知識を蓄えるのは、選手の伸び代の多さにも直結すると考えていて、そういう意味でとても大事だと思っています。ある程度信頼できる理屈で競技の理解を深めることができるのは、効率的な練習を考える上でも役に立ちます。

しかし一方で、理論は理論です。理論を知ったらたちまち記録が伸びた、なんてことはない。当たり前の話ですが、あえて理由を考えるなら、自分の動きに反映されていないからです。知っただけでは動きは変わらない。

感覚の確かさ、不確かさ

感覚は完全に主観です。「重心が転がるように」と言っても重心は転がるものではないし、そう言ってる選手たちも、必ずしも同じ感覚を味わっているとは限らない。

感覚は、説明される時には動きとして再現しやすそうな言葉や、ほかの人がイメージしやすそうな言葉が当てはめられているにすぎません。だから、ほかの人の感覚を教えてもらったとしても、受け取った情報としてはとても不確かなものです。

でも、感覚は蓄積されるとだんだんといい感覚、悪い感覚がわかるようになってきます。私の中では、いい感覚の時は「楽に」体が前に進んだり浮き上がったりします。そして、いい感覚に出会えた時は正解だと直感的に確信できることが多いです。その瞬間に感覚は理論以上に確かなものに感じられます。

いろいろ試してみる

理論と感覚、どちらにもそれぞれ良さがあります。だから、うまく使い分けるとすれば、理論から得たヒントを感覚で掴みにいったり、感覚で掴んだものを理論で裏打ちして再現性を高める、みたいなパターンが考えられるでしょうか。確実に言えるのは、理論で探っても掴めないし、感覚ばかりに頼っても五里霧中となることです。

理論にしても感覚にしても、自分の中の経験の引き出しが多い人の方がそれらを生かす上で有利になると思います。引き出しが多いと、ほかの人から教えてもらったり文献などを読んで得た知識を身体感覚などでイメージしやすくなるし、いい感覚と悪い感覚がの差がはっきりとわかるようになります。

結論としては、いろいろ考えて試行錯誤しながら練習することが、選手としての経験の引き出しを増やし、理論や感覚を最大限に活用することができるのではないか、ということになるでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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