私のための日記

私は過去、鬱っぽくなっていた。今、少し経ったから分かる。こんなことも話せてしまうnoteはすごいな。
鬱っぽい、というのは、診断を受けに病院には行っていないから。でも、体がそうなってしまっていた。
そうなる性質を、生まれたときから持っていたのだと分かった。
遺伝的な要素はあるのだろうか、スピリチュアル的な要素(誕生日占いとかそっち系)も関係しているのだろうか、色々考えたけど、キリがない。

自分を肯定するだけの言葉かもしれないけど、ただ言えることは、鬱になってしまう人は悪い人ではないということ。
悪い人、という表現は正しくないかもしれないが、世の中にいる自分以外の人間を知り、深く知りたいと思い、人間のことを日々考えている、悶々と考えている人、ということを言いたい。
考えて考えて、その辿り着いた先で、自らを潰してしまう病にかかってしまう。そう思った。

私は、こうならなければ、決して鬱病や精神の病が世の中に存在していることに一切の興味は無かったと思う。知れてよかったと思う。

さて、鬱っぽさから抜け出せたのはなぜだろう。私はまた考える。
圧倒的な出来事は、好きなこと、ものが見つかったことだ。
といっても、好きなことって何。となると思う。
それは、脳の違う部分が働くこと、だと思う。
違う部分というのは、いつも考えているあなたや私だったら何となく、感覚が掴めそうだ。
考えて考えて悪い方向へといってしまう。そんな脳から、はるか遠く離れた場所にある、楽しむ脳のこと。
そこが働きさえすればいい。

働かせるためのこと、ものについては、私以外の事例は知らないので、これがおすすめとかは分からない。

あとは、働かせない方法。
自己否定の方向へと働いてしまう理由は、
対象がちらちら見えてしまい、それと自分を比べることから始まる。対象とは、綺麗な女性、芯のある女性とか、女性の場合はそんなところだ。
そして、対象の真似を自分でしてみる。
この行為が、より自己否定へと繋がるのである。

そうなるなら、はじめから挑戦をしないこと。
例えば、メイクをしない、美容院に行かない、ネイルもしない、鏡をあまり見ない、服装にこだわらない。
服装は毎日同じでも良いのだ。
鏡を見ないというのは、私的にはおすすめだ。私は他人から見た自分の容姿に特にこだわってしまうから、鏡を見ないことで、1つ考えることが減る。あとは、外出時はマスクをする。

このように、はじめから、自己否定脳が作動しないように仕組んでおく。
メイクを研究して、髪を綺麗にして、ネイルをして。というのは、鬱が完全になくなった時点で取り組むので良いと思う。

私たちは考えることでいっぱいだ。
それは鬱の時も同様に。

自分が元気でない時に、他のことを考えている余裕なんてないのだ。通常であれば。
でも、病を抱える人は皆、自分以外のこと、自分の周りにいる人のことを考えてくれる。
病の時くらい、自分の欲を知り、自分を満たしてあげてほしい。

それは、何が食べたいだとか、何を見ていたいだとか、何に時間を使いたいだとか。
外ではなく、家の中で起こる小さな小さな生活の一部のことなのだ。
たった小さなそれについて、脳を働かせよう。

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