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NOTEのみらい分析

noteはかつての勢いを取り戻せるか?


 8月にcakesが終了するというニュースは、私にとって悲しい知らせだった。cakesだけでなく、最近のnoteにも昔のような勢いが失われつつあると感じる。有料マガジンがスマホで購入できなくなり、パソコンを開かないと買えなくなった不便さも、noteの減速に影響しているのかもしれない。また、2020年の冬に一斉検閲のようなことが行われ、性描写を含む多くの記事がBANされたことも、読者を離れさせた原因かもしれない。とにかく理由はひとつではなく、複数の要因が重なり合って、noteの勢いが削がれているのだろう。

 私がnoteを始めたのは2016年からだが、当時は書き手と読み手のバランスが取れていたように思う。つまり、ユーザーは自分がnoteを書くと同時に、他人の投稿もよく読んでいたのだ。無名の一般人の記事でも1000以上の「いいね」が付くことも珍しくなく、そこからインフルエンサーへと成長していく人もいた。noteで名を売り、エッセイストや漫画家として人生を始めていった人たちは、今も様々な媒体で活躍されている。

 しかし、これからのnoteはこれまでと同様に、インフルエンサーを生み出し続けるだろうか?

 残念ながら難しいと私は見ている。今のnoteは、書く人が多くても、読む人が少ない状態だ。ようは、まるで小説投稿サイト「カクヨム」や「エヴリスタ」のように、書きたい人が書くばかりで、彼らの作品は読まれることが少ない。「カクヨム」にはあまたの小説が溢れているが、「ほんとうの読者」がついている作品はその中のほんの一握りに過ぎない。noteも似たような状況になりつつある。

2020年にnoteは大きな変化を迎えた。


 小説のほかにも、noteを賑わす多くのエッセイやコラムや日々の徒然日記たちは、どれも4,5年前の活気を取り戻せずに、投稿されたままサイト上に縮こまっているように感じるのは、きっと私だけではないはずだ。
 自分がフォローしているユーザーたちを今一度、アクセスし直して分析してみたら、2020年と2021年に大きな変化が起きていたことが分かった。多くのユーザーたちが、この年を境に投稿をストップしている。2020年に何が起きたのか? 容易に推測できるのは、コロナ禍の始まりだ。

 机やダイニングテーブルでパソコンを開き、noteを書くことは、多くのユーザーにとって広い意味での「娯楽の時間」だった。noteの中だけで知り合った人同士で心を通わせたり、自分が投稿した小説やコラムの感想をもらったりと、大切で温かくて心地よい時間を味わえた。それが、ステイホームの時代になり、通勤からオンラインの勤務形態に変わった人が多く現れた中で、机やテーブルでパソコンを開くことは「仕事の時間」に変わった。それまでnoteに費やしていた時間が、ズームの仕事に奪われて、ユーザーたちの投稿回数は見る見るうちに減っていった。
 大きなライフスタイルの変化は、noteの変化に最もよく表れていた。コロナ禍について、多くの人が言いたいこと思うことが増えたのだから、noteの投稿回数が増えるかと思いきや、多くの人が去っていった。2020年に最初の離脱の波が来て、翌2021年に離脱の第2波が来た。2021年はステイホーム生活が定着した頃だ。
 2020年と2021年。反対に、この2年の間に新たにnoteを始めた人は、それ以前のユーザーとはタイプが異なっている。端的に言えば、内向きというか、「あまねく広く伝えたい志」を持つ人よりも、初めからもっと内輪的なコミュニケーションを目的としている人、あるいは「ワクチンの危険性を提唱したい」といったような、特定の強い主張を持つ人たちだ。もちろんこの2タイプが全員ではないが、多くを占めているように思う。

 ちなみに、当の私も2020年からnoteとの向き合い方が変わった。2020年5月、最初の緊急事態宣言が発令された時に、作家デビューした。そこからラジオ番組に呼ばれることになり、マスクと消毒をしながら何度も定期的にラジオ局に通った。朗読のイベントなどにも呼ばれて、ステイホームの最中、家で自分の小説を大きな声で読む練習をした。
 また、自宅にいながら自著に関連したトークイベントを開こうと思い立ち、ズームで参加者を募り、月に2度ほど開催していた。そんな人生の変化を逐一noteにしたためればよかったものの、長い投稿はいつも後回しになり、写真やつぶやきなどの短い投稿ばかりになってしまっていた。
 そして、今年になり、再び長い記事の投稿に力を注ぐことにしたが、noteそれ自体の環境が明らかに変化していた。それまで活躍していた憧れのエッセイストやコラムニストの何名かはnoteから去っていき、残っている人のマガジンも以前のような輝きを失っているように見えた。まるで、かつて賑わっていた商店街が徐々に傾いていくような感じと似ていて、とても寂しい。

noteのみらいはTwitterになる⁈


 では、これからのnoteはどうなるのだろうか? 私は近い将来のnoteはTwitterのようになると思う。Twitterはインフルエンサーの投稿だけが読まれて、それ以外の無名の人々はフォロワーを伸ばすこともなく、ひっそりと投稿しあう世界だ。無名の人々の中には5万も6万もツイートしている人が珍しくないが、彼らは呟きたいから呟き続けるだけで、狭い範囲でしか読まれず、アカウントがフォロワー数を伸ばすこともない。一方で、インフルエンサーたちの短い一文には何百もの「いいね」が付く。noteも現時点ですでにインフルエンサーの投稿は読まれるが、それ以外のユーザーは毎日、何を長く書き綴っていようとも、限られた人の目にしか留まらないだろう。
 今日からTwitterを始めた人が、ツイートだけで注目されて10万フォロワーのアカウントに成長することが不可能なように、noteもこれからは投稿だけで注目を浴びようとすることは期待できない。

目的を絞った使い方をする

 人間が環境の変化に適応しなければならないように、変わってしまったプラットフォームにユーザーも適応しなければならない。今後は、明確な目的を持ったnoteの使い方をするのが良いと思う。これまでのように、「自分の気持ちを吐露した文章を知らない誰かに読んでほしい」や、「自分の書いた小説が出版社の目に留まってスカウトされたらいいな」といった漠然としたものではなく、もっと具体的な目的をもった人が使うプラットフォームになるだろう。現に、2021年以降にユーザーになった人たちは、例えば、所属している同好会の会報としてnoteを書いていたりと、明確な用途で投稿している。
 残念ながら私自身が、noteのより良い未来の使い方について、具体的に突っ込んだ提案がまだ出せないことがもどかしい。だからこそ、今後もnoteがどうなるのか見守っていきたい。

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