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思い込みを捨てる

未知数ですよ。
編集長に言われたこの一言が、私を自由にしてくれた。

現在、電子書籍の刊行に向けて準備している。白兎舎(はくとしゃ)という兵庫県にある電子書籍専門の出版社とタッグを組み、サンフランシスコを舞台にした小説を作っている。

今更ながら、自分が電子書籍を作る日が来るなんて思わなかった。
電子書籍はずっと「負け組」のやることだと思っていた。
単行本を出版するのは大変だし、人的コネクションを作るのも簡単ではないし、自費出版の場合ならばお金もかかる。著者が費用を出さない商業出版なら売れないと「ジ・エンド」なばかりか、担当してくれた編集者やその他スタッフたちとの人間関係が悪くなることも珍しくない。「この人の書いたものは売れないんだ」とレッテルを貼られて、お世話になった出版社の人たちが離れていく状況に直面して心を病んでしまった人を、私はこれまで数多く見てきた。
だから私は、電子書籍は安易な道だと思ってきた。著者の自己満足にすぎないものだと思ってきた。現実に、キンドルにアップされる電子書籍には完成度が低く、そもそも作品と呼べる段階に達していない読み物も多い。

こんなふうにマイナス面ばかり見てきた私の考えを変えてくれたのは、上記の編集長の言葉だった。彼はこの業界の未来に駆けていると言った。もちろん、キンドルに低レベルな作品が溢れていることは編集長も知っている。ほぼ無編集でアップされている作品が多いことも、目に余るそうだ。しかしそれでも、この変わりゆく時代に電子書籍の業界だけが何も変わらず停滞しているはずがない。エコだのコロナだのと、否が応でも変化を受け入れざるを得ないこの時代に、電子書籍も社会の変化とそれに伴う人々のニーズに沿って徐々に変わっていくに決まっているだろうと。
だからつまり、この業界はまだまだ未知数だ。
「カワカミさん。やってみないと分かりませんよ」
こんなシンプルな言葉が、私の背中を押してくれた。

それともうひとつ。
電子書籍に抱いていた私の偏見を覆してくれた出会いがあった。それは「Black Drangonfly」という、アイルランドで出版された電子書籍との出会いだった。これはジーン・パーセリーさんという、広くヨーロッパで活躍する脚本家が書いた小説で、日本を舞台にした物語だ。小泉八雲を主人公に据え、ダブリンからニューヨーク、そして日本へと移住を繰り返した小泉八雲の一生を描いている。アイルランド人の手による、小泉八雲論考と捉えてもいい。このような国際的な高レベルな作品が、電子書籍のみで出版された。英語なので、日本でのアクセス数こそ少ないものの、英語圏では売り上げを伸ばしている。
「Black Dragnfly」は500ページに及ぶ長い小説で、著者の視点が卓越していて、そして素晴らしい編集者と二人三脚で仕上げられたのだろうなと、一目で分かるクオリティだ。
このようなレベルの書物が電子書籍のみで販売されていることに、私はキンドル業界における世界と日本の圧倒的な落差を感じた。
翻って、自分は狭い視野でしかキンドルを見てなかったと反省した。世界ではキンドルは「Barns&Nobles」などの書店と匹敵するウェイトをすでに占めていたというのに、私は日本のなかの狭い部分だけを見て、キンドルなんて「負け組」だと一方的に決めつけていたのだなと思った。
自分自身の認識を変えるためにも、電子書籍に挑戦したい。
未知数なのは、じつは私自身なのかもしれない。

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